第十五話 無限の未来

アリス・ブーン 小説世界で全知無能を演じていたら、悪の組織のトップになってた

そういえば最近お友達から、川島さんってあまり何か欲しいとか話してくれないよねって言われてしまいました。
すると、私はしばらくそういえば何か欲しいものってあるかなと悩んでしまったのです。

「やれ。これでも私前世は男性だったりしますが……今更性を取り戻したくもないですね……時にわらびが私に実は姉ちゃん兄ちゃんになれたりしない、とか聞いてくる時ありますがそれはただの極薄胸板故の弊害でしょう」

呟く私は、手を伸ばし蛍光灯に向けます。その白い細身は明らかに以前と今は違うことを理解させるに十分でした。
また疑問を率直に呈してくれたその子は高校からのお友達で佐倉知里さんというのですが、真っ直ぐに思ったことを直ぐに口にして下さるのですから助かりますね。
もっとも、時に大熊先生のうなじ舐めたいとか、花ってめしべ丸出しでかっぴらいていて実はかなり変態だよねとか色欲関連まで正直にぼそりと呟かれるのはたまりませんが。
まあ、それも仲良くなって安心してくださったためなのでしょうね。
佐倉さんは普段は持ち前のおしとやかさを輝かせる細かい三つ編みとレンズ厚めの眼鏡が似合う良い子なのです。

ただ趣味は読書と公言なさっている佐倉さんですが、時に精読されているという本の挿絵は大概が裸。
どうも戦闘描写より女の子の見た目関連の方が詳細のようなライトノベルを好んでいらっしゃるようでした。
いや、繰り返すように良い子ではあるのですがひょっとしたら思春期と発情期を勘違いしている子でもあるのかもしれませんね。

ちなみに、私の物欲のなさを指摘されたその流れの発端は、7月はじめのあと幾日も猶予がない佐倉さんの誕生日プレゼントに何がいいかというものからでしたね。
佐倉さんは最近お絵かきに目覚めたらしくスマートフォンで――主に裸体を――描いていらっしゃるそうなので、わらびが飽きて放置している少し大きめの携帯端末が我が家にあるからいりませんか、等と伝えました。
すると、むしろわらびちゃんの裸の写真の方がデッサンの参考になって良いかもなどと冗談を飛ばされたので、私は我が妹ながらエロスな程にバランス崩れている身体のあの子では参考になりませんよと笑顔で返したのです。

「その後あれがベーシックと分からないなんてやはり貧乳は範疇外という謎の罵声を浴びながらの問答の結果、普通にスケッチブックで良いとなりましたが……確かその際に私の欲しいものは何って問われたのでしたね」

やはりおっぱいかなと佐倉さんには続けて言われましたが、しかし私は未だ成長の無限の可能性を信じる身。それには頷けませんでした。
ですが、他に何が欲しいかと聞かれても、実際あんまりなさそうです。彼氏彼女は私にはまだ早そうな感じですし、お友達だってもうそんなに欲しくはありません。
物ならどうかと考えたところで、大体何でも持っている上《《私以外のありとあらゆるものの所有権を主張できてしまう》》善人が暇があれば私に貢ごうとしてくるので、それもなし。
となると、無能な私としてはパワーとかスピードとか超能力とかあれば嬉しくもありますが。

「それは、契約している鬼どもに頼れば補填できるから、特に要りもしないのですよね……」

そう、設定を思い返すに多分我がテュポエウス総出でかかっても敵わないだろう鬼がバックについている私って、実はすごく贅沢な存在だったりします。
むしろ悪性をよしよししているだけの私がこんなに恵まれていていいのでしょうかという話ですよ。
第一、私は死後に憧れたこの素敵な世界への参加権を頂いていますし、他に望むものなんて特になく。

「やれ。強いて言うなら今はカレーが食べたいくらいでしょうか」
「ぴょんー」

背中に乗っかりたがりのミリーちゃんと共にお家でゴロゴロを楽しみながら、私は最終的におなかの虫さんの結論を代弁するばかりなのでした。
しかし実は私のお馬鹿さんな舌を喜ばしてくれるお料理屋さんなんてなかなかなかったりするのですね。
無能の舌では甘いのも辛いのもよく分からなければ、旨味なんて繊細なものはもっての外でした。
それでも一時期は旨味も味えるようになりたいなあと、違いが分かる女になるため宗田鰹節丸々一本を暇あればしゃぶっていたのですが、間違ってガリッとしてしまい前歯を二本折ってしまってからはそんなことはしていません。

「まあ、味がよく分からなくて匂いもイマイチで何となくしか食べている実感がなくても、お腹が空くのは仕方ありませんね……ミリーちゃん!」
「ぴょん!」
「こんな時はなんか違法レベルのスコビルの唐辛子を自家栽培していると噂の激辛党のアリスの家に向かうべきでしょう! アリスもたまには家に来て欲しいって話しますし、善人が吐いたと噂の地獄カレーを私も食べてみたいです」
「ぴょんー……」
「おや? 珍しくミリーちゃんが曲がりなりにもお出かけのお誘いをしたというのに乗ってこないですね……別にミリーちゃんをチリ漬けにするつもりはないのですが、どうしてでしょう?」
「いや、そりゃミリーがアリスちゃん苦手だからでしょ」
「わらび? あれ……ミリーちゃんってそんなにアリス苦手でした?」
「ぴょぴょん!」

私の前で鋭い爪を大きく広げながらぴょんぴょんするミリーちゃん。改めて見直してみてもウサギ要素ほぼ耳だけしかないなというこの子の怖じをしかし私は理解できませんでした。
何せ私にとってアリスというのは一番最初にどうにか《《どうしようもなくなってしまう前》》になんとか出来た一人。
即ちわらびの次、宗二君以上に馴染みの子なのです。アリスが私の気のおけないズッ友ということくらい、我が家でペットをやっているミリーちゃんは知っている筈ですが。
しかし、ぶるぶると震える末端以外ふわふわの権化さんからは彼女に対する恐怖しか感じ取れませんでした。
これはどうしたことだろうと首を傾げる私に話の途中にぽんぽんを掻きながらシエスタを中座したばかりのわらびがこう答えます。

「いや、アリスちゃんって自分のこと物だって勘違いしちゃってるじゃん? それに誰よりも姉ちゃんに近くなりたがっててさ……」
「やれ。確かにアリスはそういうところがアリアリですが……それでどうしてミリーちゃんが怖がるのです?」
「姉ちゃんの知らない間にミリーに序列教えたんだよ、あの子……流石のミリーもアリスちゃんが《《引きずり込んだ》》異界の神々に囲まれたらブルっちゃったみたい」
「うむむ……アリスはちょっと私至上主義過ぎですね……そんなことしなくても、ミリーちゃんはお利口さんなので適切な距離は自ずと学んだと思うのですが」
「ま、あの子は本当に距離感知らずだからさ……姉ちゃんよくアリスちゃんが姉ちゃんの生活音までコレクションしてるの見過ごせるよね……」
「アリスはちょっと私マニアさんだと思いますが、慣れました!」
「はぁ、姉ちゃんのストーカーって多いからなー……それもしゃーないか」
「ぴょんー……」

気にしない私に、でもわらびとミリーちゃんは何やらアリスの行動に良くないものを感じているようでした。
まあ、私の影の中にどこかの神様を引っ張ってきて盗聴器代わりに仕込んだ際には私も流石に恐れ多いことしないで下さいと叱りましたが、そればかり。
何せアリスは《《世界最高段》》です。浮世に離れているのは当然で、彼女が天国への足がかりという役割を放棄していないことこそ有り難いばかりでした。
私なんかを掲げたがるところは残念ですが、それでも私は何時かの心変わりをずっと待てます。

だってアリスは。

「大丈夫ですよ。アリスは殆ど私の一部ですから」
「……そっか。そりゃ、気持ち悪いなんて思わないか」
「ええ」

そう、あの子の見目の大部分は私から《《分離培養され造られたパーツ》》から出来ているのです。
私が素材としても無能な故に不格好なアリス。彼女に申し訳ないと思うことさえあっても、嫌うなんてありえません。

なにせ初めて遭った時に彼女は《《高次まで到達した脳に有機的な生存機能を付けただけの状態》》で、でも私を。私だけは。

『ア、アアアアァァア……』
『貴女は……』

「それに、あの子は親友です」

ともに在って良いものと受け容れて、他の悪意たちと同じようにねじ殺すことだけはなかったのですから。

 

在りし日に覚えた多分な誰かのものと混じり合った血の感触も思い出し、そういえばと、私は一つ欲しいものを考えついてしまいました。

『ワタシは、アリス』

あまりに必要なそれは。

『ワタシは、アリスは……ヨシ、ヨシミ……ンを』

情に動いていと高き彼女の有り様を原作から遠ざけた私に対する。

『カミサマにしマス』

罰でしょう。

 

「ぱくぱく……これは……!」
「ヨシミン! どウですカ?」
「とっても刺激的です! 刺激にも痛覚も無能な私にはこうかがいまひとつのようですが、普通の人なら胃に穴が空くこと間違いなしですよ!」
「兵器レベルが平気な鈍感とハ、流石ヨシミンデスね!」
「褒めても何も出ませんよ? むしろ私としては私の性徴のホルモンにやる気出して欲しいところです!」
「ワタシを踏めば、ヨシミンもおっぱい出るカモデスよ?」
「なるほど……でも残念でした! それを天に至る理由にする程には私、まな板を気にしていなかったりするのです……まだまだ無限の未来を期待しているので!」
「ムム、ヨシミンは流石絶壁……いやテッペキです……」

自分の顔写真の数が百を超えて貼り付けられている異常な部屋の中、しかし当人であり盗撮の被害者でもある川島吉見は気にせず赤色のカレーを食べながら雑な会話を広げる。
未だこの世に馴染んでいない吉見の浮ついた肉体は鈍感にも催涙スプレーの中身を軽々越えた致死量を舌に乗っけたところで、気にもとめない。
ただ、笑顔で少女は多少覚えた刺激を楽しむ。そして、その歪をジェイコブズ・ラダーの最後の一段と同等たる彼女は喜ぶばかり。
ツッコミ不在の現況に、むしろ気を良くした吉見は更に会話を無闇に広げるのだった。

「そういえば、アリスって何か欲しいものはありますか? ……あ、私は抜きでお願いします」
「ガーン! 縛りプレイが酷スギデス! ヨシミン抜きナ世の中なんて滅んでシマっても構わないデスよ!」
「やれ。四天王の皆さんは物語に付いたシミ一つに必死過ぎますよ……世界はどこまでも広いって、アリスなら分かっているでしょうに」
「それハ……そうですケド……」

パッチワークの見た目をこれこそ美しいと直すことない継ぎ接ぎ少女は、貴女だけを見ていたいのにと思いながらもその言は間違いないと口ごもる。
そもそも、アリス・ブーンは川島吉見の最古のトロフィーだ。部外者が物語、条理など心根一つで変貌し得ることを証明した、その証。

「ウムム……」

本来《《ラスボスの第二形態変身のための舞台装置》》でしかなかった存在が今乙女として悩んでいるのが、本来何より奇跡的であることはアリス本人も知っていて。

「取り敢えず、今ハ悩むヨりヨシミンとの時間を大事にしマス!」

その結論は、どこまでもどうしても引きつり気味の笑顔と一緒に輝いていたのだけれども。

「……そっか」

川島吉見というこの世界の二次創作をはじめてしまったことを誰より後悔している少女は、何時ものように上手な笑顔を返せなかったのだった。

彼女は、無限の未来を自らの手でへし折ってしまったのだと、そう思っているから。


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