「ふんふ~ん♪」
青空の下、私は喜びを音にして鼻歌として奏でます。なるだけ元気が天高く届くように、ちょっと大きめに。
その裏に悪があろうとも日々が面白くて、朝にいただいた味噌汁のアサリの中にカニさんを発見した憶えも楽しくって、私はついつい下手を周囲に広げてしまいました。
とはいえ調子外れも押し通せば音楽っぽいものになってくれはするのですね。音符さんに小刻みに激しい上限運動をさせながら私はふらふら。
「ふ……」
「ウゥ……ワンワン!」
「わ、ワンちゃん、ヘタでごめんなさいー」
ただ今日のはどうもワンちゃん等の達者なお耳にはテラーな音色に聞こえたようで、どこか怯えた様子の通りすがりのチワワに思いっきり吠えられてしまいました。
慌てて謝る私に、飼い主さんは貴女って歌下手ねーと許してくれましたが、最後まで私はワンちゃんの大きな目にガンつけられることになったのです。
「やれ。こんなところで無能を晒すとは中々私も残念ですが……今日はそんなことではメゲませんよ!」
休日の朝っぱらから街中に騒音ばら撒くなんて悪事をしてしまいましたが、良く考えたら私はこれでも悪の頂点たる存在でした。
申し訳なさそうに背中を丸めるなんてことは止めて、ない胸張って前へ進むのです。次に会った時あの子にあげるための餌の種類などを考えながら、私は小さくこう呟きました。
「そろそろ、新一さんのところに『サイレント』さんからのお手紙届いてますかね?」
それは期待が素直に口から出てしまっただけですが、お察しの通り実は私には文通なんてクラシカルな趣味があったりします。
ペンネームであるらしい正体不明の『サイレント』さんのことを全身の毛むくじゃらを金に染めているらしい現代かぶれの酷い原始人である新一さんから紹介されたのは、果たして何時の昔でしたっけ。
まあ、取り敢えずただの無能しか世に披露してなかった頃の幼少の私はそんな自分に興味を持ってくれた人が嬉しくって、二つ返事で手紙のやり取りを了承したのですよね。
「しかし『サイレント』さんたら、本当に良く分からない方ですよね……カクカクした文字と男女どちらとも付かぬ内容でちょろっと文を恵に調べさせてみても、これは無理と返されてしまうレベルですからね……」
幼い頃には何一つ気にすることなく稚気に任せたお返事を月いちでしていたのですが、積もり積もったその内容を振り返った時に不思議に気づきました。
いや、何度読み直しても『サイレント』さんが何している人なのかは勿論のこと、性別も癖ですら今ひとつ分からないのですよね。
それは字の偏り等からでも人を観ることの出来るスキルがあると豪語する恵であっても不可視であるくらいですから、実は私の文通相手凄い人だったのかもしれません。
「まあ、新一さんも原作登場人物であったりしますし……その知り合いが何か癖のある人物なのは仕方ないですかね」
そう、魔法原人である新一さんは原作にも出てくる不老不死の魔法使いなのです。それこそ、原始時代から魔法使いやってるよ、な知恵者な方でした。
ちょっとゴツくて分厚いサングラスがお似合いの毛深い金色なニアお猿さんな人ですけれども、私から見ると子供に優しいおっちゃんです。
そんな新一さんもその昔は時の流れに抗いながら、しばしばビッグフットやヒバゴンだの未確認動物の元ネタにされつつ、世界中を流浪していたらしいのですね。
ただ、なんか日本でファッションブランドを立ち上げてみたところ、大人気になってしまったため気軽に国々をふらふらと出来なくなってしまい、定住を選んだそうです。
その地が「錆色の~」シリーズの舞台であるここ楠川市であるのは果たして運命なのでしょうか。
「おや、今日も頑張っていらっしゃる様子……働き者ですよねぇ……モラトリアム二回目いただいてしまってる私には心苦しい光景です」
そうしていると私は創業したブランドから採ったという彼の住居兼コンビニ「SHIMAMURA」の看板の下で何やらせっせと安売りのお野菜を出している姿を発見しました。
あいも変わらず飽きもせずに新一さんは金ピカですね。古きものでありながら、あらたのいち。
【神の手】、【歴史を記憶するもの】、【歴史を捏造するもの】と呼ばれながらも普通一般に溶け込むことを選んでいる彼のことを私はリスペクトしてます。
正直でももう数年は仕事したくないなあと思いつつ、私はその金毛の塊に声をかけるのでした。
「新一さん! おはようございます! 今日もいい天気ですよ!」
「ん? ……ああ、鬼んところの嬢ちゃんか。今日はそうだな……雪かきシャベルを安くしといたぞ?」
「このカラカラ関東平野の春頃にどうして雪かきを仕入れたかは分からないのですが、今日はお買い物ではありません! お手紙です!」
私は華麗に九十九円と赤字で書かれた下に季節外れにもみっしり置かれた立派なシャベル達をスルーしながらお手紙をカバンから出して提示します。
数万年以上生きてきたせいか時に強烈なボケをかます原始人類さんは、私の出したピンク可愛いレターを見つめてきょとんとするのでした。
「あー……また書いて来たのか……嬢ちゃんも飽きないねぇ……いや、別にワシがヤツとの橋渡しするのはいいんだけどさぁ……どうせつまんない内容しか返ってこないだろう?」
「いつもありがとうございます、新一さん! でも『サイレント』さんは面白い人ですよ? 前回クリスマスにチキン解放戦線として戦った際のお話なんて、どきどきわくわくでした!」
「まあ、ヤツめ何でも信じるからと面白がってホラばかり吹いて……ま、嬢ちゃんが喜んでくれるんならそれでもいいが。後でヤツの書いたの持ってくるからな」
「です!」
私はよしよししてくれるシワシワの指先を笑顔で認めながら、頷きます。
実は私は新一さんのことを、勝手ながらお爺さん的な人と思っており、それがどうも相手側にも伝わってしまっているようなのですよね。
ですので、昔から時に嬢ちゃんにはおまけだと飴ちゃんを貰ったり、特別に可愛がられたような覚えがあります。
そんな人からすると『サイレント』さんのような、普通に考えたら怪しい人と仲良くしているのは、縁を繋げた張本人とはいえ今更ながら思うところもあるのでしょう。
まあ私は、共にサンタさんに歯向かった長兄チキンのメロンさんが『サイレント』さんのためにとアイルビーバックな特攻を行ったその後が気になっているばかりだったりして、申し訳ないのですが。
新一さんは、野菜にマイナス二十円という有り得ない値札を貼り付けてしまってから、こう言います。
「ただ、ヤツとは手紙以上の関わりを持つのは厳禁だ。……これは、ワシとの約束だぞ?」
「それは分かってます! それにお手紙だけの関係っていうのもなんだかロマンチックですー」
「やれやれ。ワシの危惧は見当外れかねぇ……」
私が両手を頬に当ててこういうのも素敵だなあとくねくね――血色の良さは大違いですが叫びにびびっちゃっているあの絵と同じ構図ですね――していると、額に手を当て新一さんはやれやれとしました。
よく分からないですが、私と『サイレント』さんが出会うことは彼にとって良くないイメージであるようです。
まあ、私としては会わない関係もあって良く、向こうが隠している本性だって気になりますが、もうこれ以上無理して暴くつもりはありません。
「何せ皆は皆、私は、私のままで良いのですから」
「……そうかい」
そう、私は他人に口出しできない、目指して届かずただ似せているばかりの、違った何か。でも、そんな私だって愛されているのであるからには良しとしています。
本来なんて、原作通りなんてもう知りません。ただ、私は私なりに物語を支えていく。なら、知ったふりして知らなくても、良いのでしょう。
私の言に何かを感じたらしい新一さんは一度空を見ます。つられた私の視線もそこに。
青の中に雲の白は僅か。でも、それが流れるからこそ今があり、でも流れなくったってあったからには認めざるを得ず。そして私はこの世の全てを認めたかった。
ぼうっとする私達。その後ろから声がかかります。ハスキーボイス気味な彼女の低音が私達の違った耳をくすぐりました。
「ん。おじさん、お客さんが呼んでる」
「おや、ワシ何かやっちまったかな? それとも昨日は暇してる親父共に店で酒盛りを許可したせいもあって品薄だし、そのためか?」
「……そうじゃなくて、マイナス値札の説明が欲しいらしい」
「ああ、ウチのシステム分からん新しいお客さんか、それともお前の店価格破壊すぎとか文句つけてくる商店街会長ら辺か……まあ、しばらく嬢ちゃんの相手しといてくれ。《《京》》」
「……分かった」
けい、と呼ばれたその人はどしどしと一つしかないレジに向かっていく新一さんとすれ違いながら私に向かって来ます。
瞳が隠れるように落ちたもっさりミディアムの下には浅葱色のニットワンピース。はい、磨けば光そうな美人さんですね。
その様に見覚えはなく、ただ憶えのみがあった私は、彼女にこう問いかけるのでした。
「貴女、恵ですよね?」
「……ぶい」
「いや、唐突にエヘ顔ダブルピースとかされても反応に困りますが……」
私は見抜いたことに、えへりと恍惚に笑みながらダブルピースをかましてきた我が直下の四天王の考えを察し、最後まで語らずに黙します。
なるほど今は別の身体を用いての情報収集中なのでしょう。原作資料で全個体のイラストを記憶してしまっている私には分かってしまいますが、このキャラごと変貌出来る恵の変身ぶりは実に素晴らしいです。
呼び声に反応が遅れないようおなじ読みの京の偽名を用いているようですが、こんなの普通は正体察せませんよ。故に、もしボロが出るなら私です。
「大丈夫」
「……何が大丈夫なのです?」
基本知ったふりして自由にさせている四天王の現在行動を聞くのもどうかなと思う私に、恵はこう告げました。
ふんすと鼻息荒く、大人しめな現在の彼女はやる気満々をぶるんと表します。
成長しない胸の中で首を傾げてばかりの私を知らずに、恵はどうにも勘違いした様子で。
「僕はちゃんと『サイレント』に関する情報は得てくる……『全知』の貴女が知らないなんて、ただ事じゃないもの」
「あー……そう、ですか」
私は今更ながら以前大男ばーじょんだった恵が実は手紙の主のことを何一つ理解できなかったことに傷ついていたことを、知ったのです。
やれ。果たして私はこの四天王の独断専行を笑えば良いのかどうか、そもそも空ごとの全知を信じ切っている彼らに嘆けば良いのでしょうか。
取り敢えず彼女のこの結果がどうなろうと、そんなことは関係なく。
「ありがとうございます、恵」
「ん……」
お気遣いありがとうと、気弱げな今の恵の頭を背伸びして撫で撫で――さらさらでした!――してあげるのでした。
なんでか私が隠れてトップをやっていますが、テュポエウスは実際普通に悪の組織です。
どこぞで要人を殺害したりヒーローとのどたばたで大幅に電車を遅延させたりなどしてワイドショーを賑わすのは日常茶飯事。
更に報道すら出来ない程のレベルを加えてしまえば、毎日私の両手では足りない程悪いことをしています。
「まあ、しかしそれだけしか行わないのが、テュポエウスの異常さでもあるでしょうか」
それらに知ったかぶりして頷いてばかりの無能の私はあまりに情けないものですが、実は私に対して口頭で物語れる程度の悪事しか行っていない悪の組織というのは中々にレアだったりするのですね。
アリス・ブーンを《《開発》》したブーンオブジェクトや《《上岡ミュート》》を作り出してしまった上岡プラントを代表として、対立故に私達が壊した組織達等は曰く《《崇高》》たる目的のためにともっと酷いことを執拗に行うなんて当たり前でした。
「我々の私欲の方がばっちくても大したことないって、酷い話です」
神に届きたいからといって、そこまでの踏み台として、それこそこ天使のごとく優れた人間のパッチワークを最上の階段として用意するとか、おかしな話です。
そして、愛を反証するためにと愛しか知らないAIをどう動いても殺戮にしか起こせない機体に搭載してしまえば、そんなの狂ってしまうのは当たり前でしょうに。
わからず屋と、私は彼らに何度叫んだことでしょう。その都度知ったような口を叩くな等と言い返されましたが、そんな彼らは自業自得に殺されてこの世に塵も残っていません。
どうしてか私の手元にて残ったのは、彼らのその歪な成果物ばかり。
いや、最高段のまま彼女の生存のため高度を落としたアリスはまだしも、愛を失ったAIのままであるミュートは危な過ぎるので善人預かりとなっていますが、皮肉にも彼らは何故かその存在を否定した私に懐きました。
その理由は、私には分かります。何せ、知っていますから。
「畢竟、生まれたからには認めてあげなければダメですよ」
そう、それだけ。愛まで求めずとも、彼らは|I《アイ》は求めていた。曖昧のカオスが悪ならば、きっとそのままは辛いだけです。
結局私のところも悪でしたが、それでもアリスもミュートも、もう痛くないとは言ってくれました。なら良し、とこの世界のファンでしかない私は思うのです。
「だから、私は善人の悪欲ですら認めてしまいました」
テュポエウスとは悪いことを実行しなければ幸せを感じられない善人(ちなみに私は別腹らしいです)がその壊れた心を日々満足させるためにと創り上げた組織です。
度が過ぎないのは一人の欲が満足する程度であり、悪であるのは彼のためであるから。彼がその王冠として私を頂いたのは故に意味不明でもあるのですが。
「ただ、そんなであるからこそ、我々は気高き悪の悪でもある」
目的のある悪を滅ぼす行為。それを意外と善人は好みます。
昨日殺したどこぞの首長だって、悪に傾ききった人の親。故に、我々は大いに嫌われますが時に慕われることだってあるのですね。
「だから、きっとこれはその一つ」
『よしみちゃん。今日も泣くのを我慢してくれてありがとう』
「ねえ『サイレント』さん。あなたは、何者なのです?」
そう、全知無能たる私は夜空に問うのでした。
「さて……」
夜風に音を聞く。そんなの人の常。だが、原人の魔法使い、自称新一にとってはそればかりではない。
全てのマテリアルは階層的であり、分裂は僅かであってそもそもスクロールは遅々である。それら全てを簡単に言えば、男にはこの夜の全てが一枚的に映るのだった。
世界は脆くってだからこそ愛おしいというのは新一の感想である。
そして、それを幼い者が理解している様子であったことに、彼は驚いたのだった。
またその色もどこか異様なひと粒はどうしてか金色の猿たる自分によく懐くようになる。
そんなことが良いのか悪いのか、賢者には分からない。いや、どうやら忍び寄るもののカラーを見るに悪に利する者にはなったようではあるのだが。
だが、全ては一色でないからこそ、孤独な同色を結びつけてしまいたくなるのもこの老人の心の良さであった。
そう、彼女を理想とする彼女は、知らず彼女と紙束にて結び付けられていて。
「場は整いすぎてもう、何も起きていないのが怖いくらいだ……どう出る? 《《山田静》》」
そんな全てを運命と識る【魔の法則】極まりない時逆の猿人は、物語の帳が上がるのをただ待つのである。
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