☆ルート第七話 食べきれなかった

いいこちゃん2 いいこ・ざ・ろっく()

週末。最も「新宿FOLT」の客入りも増えるそんな一日。
盛況の会場外にて、ビデオ通話が一つ。そこには、何時も元気で愛らしい清水イライザが一転、非常に辛そうな顔してスマートフォンの小さい画面いっぱいに映っている。
部屋着に身だしなみ整わないまま咳を繰り返しながら、なんとか現状を語りきったイライザは、通話相手に向けてこう言いながら頭を下げるのだった。

『ゴホ。ごめんヨー、きくり、志麻……』
「いいよ。こういうのは、気を付けても罹っちゃうもんだからさ。イライザは治すのに専念してよ」
『ありがとう、きくりー。今日のことはよろしくネ……』
「わかった。私達に後は任せて後はゆっくり寝てくれ」
『ごめんヨー……』

再びの謝罪と共に途端に切れた通話。
それが、イライザがどれだけ調子を崩した無理を押して連絡してくれたのか廣井きくりと岩下志麻には理解できた。
彼女はご丁寧に診断書まで見せてくれたが、季節外れの流行りものに罹ってしまったのはそもそも、どうしようもないことだ。

「さて……」

随分イライザが遅いなと《《きくりが音楽を教えてる女の子》》を交えて会話中に受けた電話から始まった、この唐突な事態。
本日は、彼女ら【SICK HACK】がほぼ定期的に行っているライブのある日だ。
少しばかり悩む様子を見せた志麻も、しかしその実結論は既に出ていた。

ここ「新宿FOLT」は箱として大きく、そこらにサポートミュージシャンの一人や二人だって別に居ないことはない。
二人だってそれは知っていて、また声を掛けたら二つ返事で対応してくれるだろう上等なギタリストだって心当たりがあるのだが。

「今日のライブは中止だな」
「はぁ。だねぇ……」

志麻ときくりが出した結論は、それだった。
廣井きくりに、岩下志麻、そして清水イライザが揃っての【SICK HACK】というのは彼女らの共通認識だ。
そう、彼女らはお互いが互いを信用していて寄り掛かりあう、ある種理想のバンドを作り上げている。
インディーズの枠に入っているとはいえ、完成度としては並大抵のものではないその結束に代わりなどないと多くが理解していたのだが。

「はいっ! 困っているならあたしがイライザさんの代わり、やりますよ!」

しかし、そこに元気な挙手が一つ。
瞳を大きく開けて、きらきらきららとさせているのは、きくりの弟子兼世話人みたいなものである井伊直子。
彼女は明らかに自分が役に立つかもしれない場面を喜んでいて、逆に言うとそんな幸せに酔っているようにも見えた。
あまりのやる気に少し気圧されながらも、志麻は額に手を当てながらこう押し留める。

「いや、直子……これは代わりとかそういう問題じゃなくてだな……」
「うーん。いーこちゃんの心意気は嬉しいけれど、ギターがイライザじゃないと【SICK HACK】の音じゃなくなっちゃうからさあ」
「違うから、《《それだけ》》でどうしてお客さんの前に出たくないんですか?」
「それは……」

二人の先輩がごねる前で、しかしどこまでも井伊直子は真っ直ぐだ。
今も、本心から人を楽しませられる素敵なことを欠員だけで止めてしまうのは勿体ないと思っているようだった。

とはいえ、実際のところ《《それだけ》》どころか、それ以下が原因でライブどころか音楽すら止めてしまうようなろくでなしだって、バンドマンには結構居る。
故にこれは、実情を知らないいい子ちゃんの意見である。聞くにはちょっと面倒な、子供の反駁。

ならば、そんなものに付き合う義理もない志麻は否定を口にすればいいだけだ。
だがしかし、何だかんだとてもいい人である志麻は子供の夢想を傷つけられず、きくりだって弟子の心が気になっていれば、だから彼女らに次の言葉が重く届いたのだろう。

「あたしだろうが誰が代わろうが不完全になるのは間違いないです。でも、このままだとそんなことより【SICK HACK】を楽しみにしていたお客さんがを今夜を少しも楽しめないのが問題だと思います」
「いや。【SICK HACK】のファンはアクが強いし君と私達三人の時点で大分文句が出るかもしれない……むしろあれでイライザは人気があるから野次どころじゃ済まないかも……」
「あはは。そんなことは問題ないですよ」
「へぇ?」

そして、現実問題直にきくりから【SICK HACK】の楽曲まで教わっていようとも直子でイライザ程の楽手の代わりに足るものでなければ、そもそも仮に足りていようともファンにはうざったいものでしかない。
ブーイングの果てに、きくりの暴走でしっちゃかめちゃかになってしまうのが関の山。
それをどうオブラートに包んで子供に伝えようと頬を掻いていた志麻に、しかし笑顔で直子は首を振る。

廣井きくりの一番弟子、井伊直子はそうであるからこそ自信をもってこう言い張るのだった。

「たとえあたしのために質が幾らか落ちようとも……文句なんて【SICK HACK】の音楽の前にしたら聞こえなくなるものでしょう?」

それは、果たして信頼からか、それとも自信あるこの面持ちすらカバーであって本当は私なんてどうなってもいいからライブを成功させたいという優しさからきているのか。
どちらにせよ、何故か本日もゴスロリを着せられている少女のこの挺身は、無視するにはあまりに必死だった。
それがよく分からず、志麻は問いただそうとするが。

「……それは」
「志麻。年下にここまで言わせちゃったんだから、私達も覚悟決めなきゃ」

師匠たるきくりは何を察したのか、これ以上言葉で少女の覚悟を萎えさせようとする志麻を止める。
そんなの、どうしたって無粋に思えたからであるが、しかしきくりの瞳はまるで先におにころをたっぷり容れてきた酩酊状態とは思えないくらいに、据わっている。

志麻はブレーキ役ではあるが、実のところリーダーは、きくり。
リーダーがこうまで決めつけるならば、もうどうなっても仕方がないと腹を括り、しかしため息を止められないまま志麻はこう二人に告げるのだった。

「はぁ……私はイライザにこれでいいか連絡してくるからな……ただその結果次第で直ぐに、リハーサルスタジオで一度合わせるから、二人とも準備しておいてくれ」
「はいっ!」

再びスマートフォンを弄りながら、背を向ける志麻。
そこに向けられた、心より誰かのためになれることを喜んでいる様子の少女の返事が、しばらく彼女の耳から嫌に離れなかった。

 

岩下志麻と井伊直子は去年の暮れ辺りから「新宿FOLT」にて知り合った。
今が春を迎えてしばらくと思うと、実際交友期間がそれほど長くなければ、きくりが直子をやたらと可愛がるためにそれほど仲良くなれてもいないと志麻は思っている。

もっとも、直子が可愛がってくれるお礼ときくりの世話を焼きたがるお陰で、かなり志麻にかかる負担は減ったので有り難くも感じてはいた。
前にきくりが約束すっぽかしたからとゴールデン街にまで探しに行ってきくり宅にて看病までしてあげたと聞いた時は、流石にやり過ぎたと説教はしたが。
まあ、実際それだって主に心配の情から来るものであり、決して直子相手に隔意がある訳でもない。
むしろ迷惑かけっぱなしのきくりへの|怒り《殺意》を増させた彼女は直近のライブのドラム演奏にてそれを晴らせたくらいだ。

そんな、優等生といい子ちゃん同士の、ろくに交わることのない関係性の中、しかし一つだけ志麻が気にしていたことがある。
それは本当にこの少女は音楽が好きなのか、ということだった。

いや、実際「新宿FOLT」に入り浸っている直子がリズムに乗りながらふざけることだってよく目にしているし、ヨヨコ辺りに自前の音楽論をぶつけて撃沈した挙げ句メモを取り出して聞く側に変貌しだす姿だって目にはした。
とはいえ、そんな挙動不審な彼女はどうしてか常に、《《上手に隠した苛立ち》》を秘めているように、僧職を親として人を多く見てきた志麻には見えていた。
そもそもよく観察してみればそのピエロぶりが、刺激に飢えて求めているというよりも、ふざけて痛みを誤魔化しているかのような、そんな感すら覚えるようになってくる。

そうなってくれば、人のいい志麻は改めて井伊直子という少女を心配するようになった。
そして今彼女の音楽と自分の音楽を合わせてみたところ。

「♪」
「杞憂、だったか……」

そう。色んなものが心配しすぎだったと志麻は思った。
彼女のギターからは今もそれこそ《《まるでイライザのような》》音楽に対する愛が感じられたから。

そしてまた、ブーイング地味たものも実際今のところほぼない。
ほぼ毎日「新宿FOLT」にて多くの人にちょっかいを掛けては軽くあしらわれている直子は【SICK HACK】ファンからも知名度が高かった。
その上にきくりに愛されていることも有名で、またイライザと隅で何やらペンをガリガリ走らせたり、そして公式動画にちょいちょい顔出ししていたりもしたのだ。
ファンからしたら、やたら出てくるモブキャラの認識。強いて言えば常にニコニコしているのが、好印象なくらいか。
今日はあたしを見ろーなどと口走りながら壇上にノコノコ出てきた直子は、まあこいつならある程度下手でも仕方ないかとまるで惰性のように受け入れられて、そして。

「♫」
「――っ!」
「わ―――」

熱狂の渦にお行儀悪いファンたちを巻き込むことに成功していた。
その理由が、後ろでドラムを叩いている志麻にはよく分かる。

彼女の演奏は非常に上手に清水イライザの演奏を踏襲しており、それでも物足りず真似できない部分には。

「♬」
「っ」

情感溢れる音楽に入り混じる激しい、私を見ろとでも叫んでいるかのような演奏。
そう、彼女はモノマネに《《聞き慣れた誰か》》の音を上手く混ぜることによってコピーからすらも離れた独自の音楽を作り上げていた。
これには、最近の子は大体上手いと言っていた銀次郎の言も頷けるし、それにしてもこの子は逸したところがあるなと、瞬間毎に《《本物になりつつある》》彼女の演奏に志麻は聞き入る。

「ふんふーん」
「――ははっ」

そして、何よりそんな弟子の急成長を隣で聴いた師匠は面白くて仕方ない。
誰かのために強くなるってのはいーこちゃんらしいけどね、とまずきくりは思い、そして。

私をそんな鼻歌で盗んでいくのはいただけないなとも考えるのだった。

隣で今も、直子は師匠から学んでいる。
並行タスクが得意とは酒混じりに聞いているが、それにしたって隣でどんどんと迫真に近づいてくる自分にしか聞こえない大きさの鼻歌なんてそら恐ろしいものだ。

ああ、間違いなくこの子は自分のギターをこの一分一秒で上達させていて、その上で廣井きくりという特異なシンガーの上手を食い尽くさんと隣で隠れて牙を向いている。
なるほどこの子はいい子だ。それは身を持ってきくりは知っているし、でもそれだけではないとこの肌泡立つ程のプレッシャーによって感じていた。

「付いてきてねっ!」

だからマイク掲げた際に眼前のファンに向けたように口走ったそれだって、いい子のためのものでしかない。

聴覚にも優れた直子は、音が怖いらしかった。故に、心より音を楽しむことがどうしても出来ないと。
それを思うとなるほどこの子は音楽のカミサマには愛されていないかもしれない。
けれども、彼女はそれ以外の全てを持ち合わせて、今こうして隣から全力で音を合わせに来ているんだ。

「~~~~~♪」
「――わ――あ」
「お――――」

なら、負けられないなと思うきくりは、全力で彼女が望む観客を楽しませることをやってあげて。

「ふ~んふん」

そしてだからこそ、その日は毛色の違う、しかし後でイライザが嫉妬するくらいにその場の皆が満足のいく一夜を過ごせたのだった。

 

「ふふ」

渾身を続けたことによるふらつき。それを達成感が笑顔で支える。
そう、井伊直子は多分誰よりも今夜を楽しんでいて。

「流石は妖怪さん。一度だけじゃ食べきれなかったかー」
「うん。そりゃあ、私は先生だからね」

果たしてライブ終わりにくたくたになった中、最後にふらふら汗だくになって舞台からはけた彼女。
やっと本性を表したライオンからそんな本音が漏れでてくれたのに、きくりは言と違い内心ほっとするのだった。

 


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