ハリボテのエレジー

モブウマ娘 それでも私は走る

――――という少女は一見とてもそれらしい、ウマ娘だ。

愛らしい容貌には大きな栗色の瞳がぱっちりと。耳のてっぺんからよく梳かれた髪は、例え海水をまとい二つ別れていようとも目を惹いて離さない。
その上で、節々の細さに合わぬ隆々とした筋がむっちりとすらしている。
総じて、なんともグッドルッキング。この世界の人たちが想像する理想のウマ娘の姿にぴたりと重なる――――は、どうにも人目を引く。

「ま、要はそれって普通ってだけだなのだけれど」

しかし、多くの視線を実力ではないもので寄せるというのは、生真面目に過ぎる少女には面白いことではなかった。
夜の無理を知ったスピカのトレーナーに有無を言わさず――は遠泳な、とされて一人ばちゃばちゃ(道中何故かジンベエザメにウミガメが付いてきた)して近くの島の大岩にたっちしてから戻ってきたばかり。
水も滴る、というのが表現ではなく現状である――――は、少し生臭くないかなと肌をくんくん。
老若男女から主にその見事な《《トモ》》へと突き刺さる視線を無視しながら、少女は帰りの目印にしていた岸壁に乗せていたサンダルをぺたぺた歩く。

――――は知っている。水着なんて薄着で見せてしまえばこの恵まれた身体は期待を勝手に乗せてしまう。
あの子は速そうだと、きっと多くが思ってそうなりたいと彼女もずっと思っていたのだが。

「速さは決して、見た目じゃないもの」

想像するは、大きな大きな人を乗せて疾走できるような優れた体躯。
しかし思い出すそれですら、きっと雑多の一つとして優れたものに抜かれるのだ。

「ふぅ」

そして、大勢の中一人ぼっちの少女は空を見上げた。
喪失に、天の群青はよく似合う。心地に真っ直ぐ重なる飛行機雲は、しかし次第に空に滲んで消えていく。
ギラギラと輝く太陽ばかりが憎たらしいくらいに、ずっとそこで夏を主張していた。

「あ……――ちゃん。もう帰ってきたの? 随分かかったみたいだけれど……タオルは、使う? ふふ」

そんな天を仰ぐウマ娘の元に、最前線の少女がやって来る。
見目ばかりが立派な出来損ないの――――というウマ娘とは真逆の、ちっともそれらしくないのに誰よりも先を行くサイレンススズカ。
少女の憂いすら知らん顔して、彼女は彼女に使いかけの厚手のタオルを渡す。そして遠慮なく使われる緑色に先輩は微笑むのだった。

「ありがとうございます……ぷあ。そうですね。私も泳ぐの得意ですが、あの小島まで行って帰ってだと流石にこのくらいはかかっちゃいますよ」
「え? トレーナーはずっと手前のあの……丸く風化した岩場を指していたと思ってたのだけれど……」
「あれ?」

左への首傾げに、反対に転ぶ首。そして、報連相のミスは発覚する。
――――が見据えていたのはスピカのトレーナーが、あそこまでな、と雑に示したその遙か先。
普通に考えて、船に乗らないで行くのは無謀だろうと思える波の向こうにその小島は見えていた。

どう考えても、沖。そこに向かうに何の気負いもなくそして無事(知らず魚を引き寄せ近くの網に迷い込ませて大漁を誘い)帰ってきたという事実。
都会育ちのはずなのに、ここで――――のいっそ異常なまでに野生適正の高さが浮き彫りになるのだった。

「え……あそこまで行って、帰ってきたって……――ちゃんって、泳ぐの速いのね」

ここのところ室内のトレーニングでしか泳いでない肌白乙女は、目を凝らさなければ見えない先まで泳ぎ切るその非現実さを咀嚼しきれない。
とりあえず、普通にあそこからこっちまで泳ぎ帰る時間とを思うに実現性以上にその速さの異常性がサイレンススズカにも分かった。
だがこの水陸両用ウマ娘の存在は眼の前で間違いなく耳をぴこぴこさせている。非現実的な少女はなお、奇妙な台詞を続けた。

「ええ……流石に水の上を走るのはあそこまでは無理ですけど、泳ぐのならそれよりは遅くても何倍も距離はいけます」
「そうよね……そんなに水の上は走れ……あれ……つまり結構いけるって……」
「ふぅ……それにしても、今日は暑いですね」
「え、ええ……そうね。ちょっとびっくりするくらい」

この頃のちょっと異常な夏の気候よりもびっくり箱な後輩にサイレンススズカはタジタジだ。
実際水面を走ろうとすることなんて、ウマ娘はよくやることである。
しかし、やれば分かるが幾ら彼女らと言えどもそれほどの距離を駆けることは難しい。流石にそのうち沈む。
何らかの補正や謎の理論を持ってすれば或いは千四百メートルほどなら駆け抜けることすら可能かもしれないが、しかし素でそれを成すのは何と言うかもはや冗談だ。

だがそんなことより天気のほうが特筆すべきと流した――――に迎合し、サイレンススズカは気を取り直して彼女の視線の先を見る。
地上で迷うから空を見るのか、彼女は最近天を眺めてばかり。彼女が見つめるその向こうには何があるのか。聞くにご両親に御親戚皆健在という中、どうしてこの子は真摯にも悼んでいる。

「ねえ、――ちゃん」
「何ですか?」

分からない。だから、聞く。
そんなことは相手の気持ちが酷く歪んでいることが想像できなければあってもいいが、しかしならば。
栗毛の二人は人の波を逆しまに、皆が手を振る歓迎がやってくるその間隙にて、小さく言葉だけを交わす。

少女は、火炎の向こうに幻を見た。
それは確かでもしもの未来であり、大切なウマソウルが悔やむ終わりの光景であったのかもしれないが。
サイレンススズカは、しかしサイレンススズカであるからこそ、それこそ嘶くように宣言した。

「私、もう止まらないわ」
「ん……それは」

しかし、運命は懸命であっても及ばず、天禀を持っても望みが叶うのは八卦であると知っている――――は、それが死へと向かう一歩であるようにしか思えない。
少女は走るのが好きで、彼女も同じ。
なら、それを失いかねない全力なんてもう止めてしまえばいいのに、でも。

長いまつ毛折り重ね、目をつむるサイレンススズカ。水を幾ら飲み込んだところで熱気は日差しとともに刺すよう。
とても優しくない環境で、しかし隣にとても優しくて愛らしい後輩が悲しい表情をしていることを信じれるならば。
それで、いいのだともう彼女は思う。私は先を走るもの。ならば先に居なくなっても仕方ないし、それに。

「分かってる。一人ぼっちの先頭の景色の中で、終わってしまうのは正直に怖いわ。でも――私はちゃんじゃないから」

再び目を開け、サイレンススズカは答え合わせ。
すると、予想以上に泣きそうなくらいに――――は彼女の言葉に感じてくれているようだった。
波の音は、近い。だが、それが例え全てをさらう怒涛だとしても。

思うは、合同練習にてライスシャワーを背にしてお手本のように走る近頃の――――。
毎度のように視界の端に一人あってくれるのも嬉しいけれども、でも振り返ってみて二人の真剣があってくれるのだって、とても素敵。
それは、自らの足跡がただ踏んで草を倒したばかりのものでないと、サイレンススズカにも実感できるものだから。
私がいて、貴女がいる。そんな当たり前、連続性を想いとして焚べるなら。

「だから私の背中を見つめる――ちゃんのためにも、走りたい」
「そん、なの……」

貴女でいい。いいや、貴女がいいの。
そう青い目で真っ直ぐにハリボテのエレジーに向けかける。

トレーナーもチームも違い、血縁も遠ければ関係性は、薄弱。似通っているのはただ先にかけようとするその必死さくらい。
同じとは、口が裂けても言えない。でも、決して重ならない訳はなく、私は貴女を心で欲しているのだから。

「大丈夫」
「わ」

もう、一人にはしないし、私もならない。それだけが言いたくて、綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしている――――の手を強く引く。
それだけで、この大勢の中で二人ぼっち。麗しき彼女らは悪目立ちし始めたが、それがどうしたのだろう。
少し冷っこい、細い指先にそれより少し長い白が重なる。

もし、走ることがたとえつまらなくたって、それがひどい苦しみであっても。或いはそれが死に繋がるとしても、それがどうしたのだろう。

思いと思いがクロスした《《ここに貴女が》》、居た。
そればかりがサイレンススズカには嬉しくて、だからこの先が黄泉路だろうともランランとした気持ちで手を抜くつもりはなく。

「私のところまで、駆けてきて」
「え、う……」

そんなことを言い、ちょこっと抜け駆けのハグをすらしてしまうのだった。
顔を真赤にして、笑うべきか泣くべきか分からないのかその中間の面。そんなものを見せた胸中の――――にサイレンススズカは。

「本当に、今日は暑いわ……」
「わ、スズカさん!」
「ごめんなさい、――。私ちょっと暑さにやられちゃったみたい」

思わず暑気にくらり。ああ、先までの自らを煽るような熱量はそれこそ熱射病のくらくらから来ていたのだと、彼女は悟る。
そもそも、真っ先に海辺の――――へとサイレンススズカが向かえたのは彼女が心配で彼女が無理して他をぶっちぎったから。
プロのトレーナーらにも水分補給も欠かしていることすら忘れさせるほどの快走を魅せたサイレンススズカは今度は――――の胸元に弱々しく落ち込んで。

「――ちゃんとスズカさん、合宿中に何してるべー!」
「……――ちゃん」
「スペちゃん達すごい迫力……どうしよう、スズカさん……」
「そうね……」

振った手をおろして怒髪天の、スペシャルウィークが彼女らの元へとやって来る。
その威勢に黙ってとっとこ付いてくるライスシャワーを含め、怖じる――――と対象的に。

「もうしばらく、こうしていさせて」

サイレンススズカは、ぺたぺたとした肌によりかかり涼むように安堵するのだった。

 

――――という少女は一見とてもそれらしい、ウマ娘だ。

だが実際のところ彼女は外見に中身が伴わない悲しい存在、それこそハリボテ|エレジー《悲歌》のようだった。
しかし、彼女とて後輩であり、優れた先達の背中を違わず追えば、或いは。そう思わせるだけのもの、恐らくは希望といったものが彼女にはあるに違いなく。

「……信じて、くれた」

これまで上げなかった手のひらに、太陽は陰る。しかしその分青ばかりの全てに心は飲み込まれそうになった。
そして、――――今にも走り出したく、なる。一人ならぬ心から。

「なら……」

ああ、私も星に手が届くと、望んでもいいのだろうか。


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