今日も、一緒に走ろ

モブウマ娘 それでも私は走る

「ウララ……起きて」
「うう……――ちゃん。分かったよお……」

柔らかで心地よい、ハスキーボイス。それを何時も明日の朝の楽しみにしながら少女は寝て、起きる。
ぴこぴことピンクの耳はすぐ近くの彼女の心音をすら探ろうしているかのように動く。
やがてここ一年あまりですっかり耳にも慣れた、大切なものの名前をハルウララは呟いた。
手は伸びて、何も掴むことなく落ちる。

「うぅ……」
「おや?」

どうにも、今日は眠い。肩に置いて自分を揺すって起こさんとするほっそりした指先を嫌うようにハルウララははごろりと布団の中に潜り込んだ。
お利口さんな彼女らしからぬむずがる様子は起こす――――を少し驚かせる。そして、これはなにかあったのかなと、邪推すらさせた。

実のところは起きたがらない今に、特に理由がありはしない。
強いて言うならば昨日に高知まで行き楽しく走って帰ってきたばかりということが挙げられるだろうが、それも何時ものルーティンと言われればその通りと返さざるを得ない。
そして、砂地にて泥を浴びながら笑顔で敗北を喫するのも、またハルウララという存在の当然至極。

「……ちょっと、疲れちゃったかな?」

だが、そんな定められたかのような敗衄を繰り返すばかりの、曰く彼女にとって楽しい日々が疲れないはずもない。
勿論、元々幼気な見目と所作ばかりが目立つがハルウララはとても芯が強い子である。苦労がそう簡単に表に出るような弱さからは縁遠かった。
とはいえ、彼女も以前三着になり一度二度ウイニングライブを体験した後で、今日も踊れたらいいなと発奮していたのであれば、それが中々叶わぬ日々に微かな徒労を覚えても仕方ないだろう。

昨夜走るのが楽しいばかりのハルウララは、負けても誰よりも花の笑顔でお客さんに手を振り、その後ぐっすりしていた。
そう、明日も頑張るんだと、歯磨きだって忘れずに余裕を持って布団に入って眠ったはずなのに、どうしてわたしはこんなに眠いのだろうと緩く眠たい意識で彼女は思うのだ。
身を捩り、母のように強引に起こしても来ない――――の優しさに甘えながらハルウララはついつい、この曖昧な気持ちいい感覚に浸り続けたいなあと謝りながら呟いてしまう。

「ごめんね――ちゃんー……わたしまだちょっと眠くって……」
「少し、付き合うよ」
「うー……――ちゃん?」

我ながら情けない、甘えたの言葉。こんなの赤ちゃんみたいだよと泣きたくなっちゃう心地に、ぼさりと寄り添う女の子が一人。
振り返るハルウララの真横で、栗色の尻尾が左右に揺れる。それが彼女が嬉しい時の仕草だと知っていたから、少女は不思議がるのだった。
――――という女の子はにこりとして、布団の隙間からひょっこり顔覗かせるハルウララの前髪を直しつつこう告げる。

「いいよ。まだ私もウララも、大丈夫だから」
「そう、かなあ……」
「うん。少しくらいで遅れることなんてないし……もし一度だけ遅れても、ごめんなさいで大丈夫」

優しい。何時もとてもいい子で優しいけれど今日の――ちゃんはとびきり優しいなとハルウララは思った。
ただ、それでもこの平日朝の始業一時間前にあまりにのんびりしすぎても良くはないだろうと少しメランコリー気味な彼女は続けて考える。
悪いことをしたらごめんなさい。そんなことはいい子たちにとっては当たり前のこと。
その上でそもそも謝るようなことはしちゃいけないんじゃないかな、と思うハルウララは甘い言葉にすぐには食いつかず、唇をぺろりとしてからこう問った。

「……そう、なのー?」
「ん。だよ。ふふ……私達優等生で、良かったね」
「ゆーとーせー……」

笑顔の――――だが、ハルウララは自分に向けられた優等という言葉がちっとも飲み込めない。

ハルウララというウマ娘は、中々起きれない朝を必ず誰かに起こしてもらっている。
勉強も苦手で遊ぶのが好きなお子様。また自分が優しいということすら分からないくらいに他者と己の境界が薄く。
その上ウマ娘として大切な走るという能力が優れていなかった。

そんな全てをダメダメだよと思い込んでいたハルウララには、――――に褒められているのが本当かなとすら思えてならない。
御髪を整えるのからただ撫で付けるばかりに移行した彼女のちょっと年上みたいに達観している瞳に吸い込まれそうになりながら、少女は更に問う。

「わたしって、ここに居て、いいのかな?」
「それは、勿論」
「皆よりずっと、わたし遅いよ?」
「だからといって、貴女は決して止まらない」
「えっと、わたしは子供っぽくて皆に助けてもらえないとダメで……」
「そんなの皆同じ。むしろ、それを知っている貴女ほど優しい人はそういない」
「うう……えっと、えっと……」

しかしクエッションに返ってくるのは是ばかり。
撫でる手は頬のところで止まり、温かいなあと感じるハルウララは眩しいものを見つめるかのように目を細める――――の気持ちは分からない。
でも、知りたいなと思いながらも、どうしてあなたはわたしをそんなに認めてくれるのか問って、しかしやっぱりちょっと難しくて受け取れきれなくて、けれど。

「うぅ……」
「ウララ?」

そして、こんなに肉親のように愛してくれている人の前で自分を下げてばかりいることが嫌になって、ハルウララは泣いてしまう。
自信がないのは自慢したくなるような結果がないから。
皆見上げちゃうくらいに凄いウマ娘たちばかりのこの場で一緒に走れるのはとても嬉しいことだけれど、本当はわたしが居ていいようなところじゃないっていうのは、ハルウララ自身分かっている。
本来ならばそれこそ、一人中央地方の交流のためにもと役目を負って遠征に行っている地元高知にて走り続けるばかりが精々のウマ娘。
それこそ《《なにかの間違い》》でここに居るというのに、でも皆とっても優しくて誰も貴女が悪いなんて言ってくれない。

むしろ――ちゃんなんて、自分のことで大変そうなのに何時だってわたしを起こしてくれて、その上で今だって愛おしそうに撫でてくれている。
この子の時間を取ってしまっていることすらもしかしたら悪いことなんじゃないかな、と思いはじめてしまった涙目のハルウララに、――――は唄うように。

「世界は美しい繰り返しばかりを望んでいるのかもしれないけれど、私は泥の記憶だって忘れたくはない」

そんな何度も彼女の内で奏でられたのか分からないように熟れた文句を口走る。
その意味は、やっぱりハルウララには分からない。ただ、涙のように真上から胸に落ちてきた心があった。

「私はウララがここに居てくれて、良かったと思う」

わたしは皆に好きだよとは言ったけれども、――――というウマ娘は、そんな簡単な言葉なんて使わずに、もっと深くわたしに言ってくれる。

「あ……」

――――という少女は笑顔が、可愛い。
そんなのこれまで皆に言ってきたことだけれども、今のこれなんてむしろドキドキするくらいに綺麗で。
きっと、この子はハルウララという間違いこそを大事に思っている。
そんなのは分かっていたけれど、今に至っては間違いないと感じられて、少女は少女に手を伸ばし。

「――ちゃん」

その指と指は手のひらと一緒に組み合わさった。
雨の後は晴れ。そうなって欲しいから、皆は空を見上げるのかもしれないとハルウララは理解して、破顔。
こう、言った。

「おはよう」
「うん。おはよう、ウララ」

夏でも元気していたら多少陽光に焦げついてしまったハルウララ。
その肌をなぞるように付いた褐色だって何時かは剥がれて元通り。
そんなこと知っているけれども、喪失からどこまでも今を想ってあげたいと考えている――――は。

「今日も、一緒に走ろ」
「うん!」

彼女の笑顔に、むしろ己の意味を覚えるのだった。

 

「うわあ……なんだか凄いの見ちゃったなあ……」

そんな、優等生ないい子たちの会話。日向の優しきざわめきのようなものをセイウンスカイは目撃してしまった。
耳も当然のように凄まじく良い――――には誰かさんが聞いていたこと立ち去ったことの全てを察されているが、そんなこと上の空の彼女は分からずに、胸元もやもや。

「――もウララも凄いや……あんなに簡単に恋人繋ぎなんてしちゃうんだね……」

太陽の横で、もくもく。自由な雲は、しかし風に流されてばかりの己に少しは思うところがあった。

「はー……セイちゃんも青春したいですねえ、っと」

そう。熱に追いつけず、でも離れることなんて出来ずに空に薄暗く。アオハルなんてその名よりも遥か遠い青雲の少女は好意すらろくに告げることも難しいのだった。
両手を頭の後ろに組み合わせて、悩みながら彼女は寮の廊下にて上の空を続ける。

「はぁ……でも似合わないんだよねえ、私とあの子」

改めて、セイウンスカイは――――が好きである。
それは、過去の子供の執着から端を発したものではあるが、触れ合い付かず離れず、今となっては随分大輪になってしまった。

ただ、それこそ学校生活では優等生な――――と違い、昼寝のためにサボりがちなセイウンスカイは劣等と言わずとも模範的とは程遠かった。
――さんを見習いなさいと先生に言われて、思わず耳を苛立たしくぴくりとさせてしまったことは、今思うと少し恥ずかしい。
それくらいに、セイウンスカイは――――と違う己が嫌だったのだ。

「割れ鍋に綴じ蓋理論もいいけどさ……でもそれって、割れた鍋のために蓋が歪んでくれたってことじゃないかなあ……無理な関係って続かないって言うし……はぁ」

自他ともに認めるのんびり屋のセイウンスカイと、輝かしい今のために生き急いでいる――――はあまりに異なる。
つまり不相応であるなんて、そんなの分かっているけれど諦められたらこの世は楽すぎた。
情って面倒だよねえ、と一人つまらなそうに歩く彼女は虚空に独り言を放り。

「ダメだなあ、私……」
「そうね。貴女らしくないわ」
「だよね……って、キング?」
「おっほほ……そうよ。このキングはスカイさんの呟き、全部聞いていたわ!」

それを、なんとも朝に強いところを見せつけてくる高テンションのキングヘイローが高笑いしたのだった。
ぽかんと呆気にとられるセイウンスカイに、努めて笑んでいるキングヘイローは噛みしめるように、告げる。

「そして、そんな小さな悩みに対する助言は一つだけね」
「えっと……助言してくれるのは嬉しいけれど、セイちゃんの悩みってそんなちっぽけじゃ……」
「いいえ! 在り来りで下らないわ! そんなところでうじうじしているのなんて、キングのライバルに相応しくなくてよ!」
「わっ」

元気。それについていけずとも、大きな否定に揺らいでいた心は飛び上がって先を伺う。
キングヘイローは、先より少しマシになった表情のセイウンスカイに向けて、自問自答の結論を披露する。

そこは既に私の通った道。我慢して、それで得られるものが少なければいっそ手を伸ばして。

「あの子をまたデートにでも誘ってごらんなさい!」
「へぇっ?」

驚く顔に、不敵な笑みが向かい合う。

「ちなみに、私は次の休みの予約は済んでいるわ」
「むむむ……やるねえ」

そして、ようやくここに敵意は交錯した。
敵にも自分にも塩を。勝手に萎れそうな花だって目に入れば世話してあげる。
誰も彼もが意気揚々でその上で勝つ。そんな王道をこそ、キングヘイローという少女は望むのだった。

 

「はい。ウララ。寝間着脱がしてあげるからばんざいして」
「はーい」

ちなみに、声も届かぬ場所でのそんな会話なんて知らぬ――――はハルウララを制服に着替えさせてあげていて。

「ウララも大きくなったら自分で出来るようになるんだよ?」
「? わたしもうおっきいよ?」
「そうだね……なら後は皆じゃなくて本当に好きな人が出来てから、かな」
「ええ? みんな、じゃなくて? うーん……」
「ふふ。いっぱい悩んでいいよ。それまでは私がウララのお世話してあげるから、大丈夫だから」
「わーい! ありがとう!」

とあるウマ娘ちゃん大好きなウマ娘が見たら卒倒間違いなしないちゃいちゃよしよしを繰り広げてしまう。

そう。―――はキングヘイローとのデートも友達とのお出かけをそう呼ぶの流行っているのだなと勘違いしていて、未だフケもアオハルにも素知らぬ顔なのだった。


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