第二十四話 幻想にもあり得ては

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

竹林の迷いは永遠へと繋がる。露わになったのはそんな詩歌のような幻想の体現。
迷いの竹林の中に佇む永遠亭は古式ゆかしい和風建築の趣であるが、一体それが何時何処の流行りのものであったのかは判然としない。
よくよく見れば灼けず錆びずにその材の真新しさは新品そのもので、邸宅は一体全体時に置かれた代物であるかのよう。
その中に容れている人影の《《あてなる》》ところといい、なんとも神秘的であるとは《《二度目の》》はじめての訪問をした上白沢慧音も感じていた。

宵の明星頂く前の、まだ朱色の斜光が葉の隙間から見える頃。
何もかもが影を帯び始めて冷たさを覚える夜の隣の時間に、しかし毬のような白が少女等の眼下を喜びに跳ね回っている。

「きゅ、きゅ」

月を望み続けて空に向けて跳び続ける兎たちが揃って出迎える歓迎に、慧音は頬を掻きながら思わず溢した。

「相変わらず永遠亭は立派だ。とはいえ、その周りをのんびりと兎……イナバ達が跳ね回っているのを見ると、また印象が変わるな」
「そーだね。美味しそうに見えるよねー」
「ルーミア……それは、うん。君にはそれも仕方ないか……」
「うーん。そうですねぇ……畜生共によって永遠が毀損されている様子は個人的に好きですが、私としては理解もできない下等ならば無礼も許すという家主の半端な甘ちゃん振りが癇に障ります」
「……小悪魔。こういうのは甘さではなく優しさと言うんだ」
「なるほど。ならば、この家主のペットの躾も出来ない優しさとやらに私は反吐が出ますね」
「小悪魔も全く……仕方ないな」

ただの一軒と獣たちを見つめて、三々五々な今ひとつ揃わない台詞を吐き出す慧音一行。他と違って兎一羽を見つめる赤の視線は可愛いとは認めている癖してどこか意地悪だった。
気持ちが合わないのは彼女らがつい数時間前に改めて出会った者たちであるからには仕方ないのかもしれないが、前に後ろに斜め上と全く違う方を見ている少女等が揃って一つどころに集っているのは面白いのかもしれない。
戸の向こうという近くに彼女達の言葉を聞いた女性は、捻くれた悪魔の悪口にむしろ笑みを浮かべながらそっと入口から顔を出すのだった。

「ふぅん……悪魔に舌を出される程の人間らしさが残っているなら、まだ私も捨てたものではないようね」
「先生!」

すると、満面の笑みで駆け寄ってくる、獣人。満面に過ぎる喜色に今の慧音には存在しない筈の尻尾すら、周囲には幻視できた。
何度だろうと真この子は私を犬のように懐いてくれるものだと先生、八意永琳は少しありがたくも思うのである。
それこそ、彼女のために私の永遠は小悪魔なんかに指摘されてしまうくらい随分と和らいだのだからと、笑みを返した。

「元気で良かった」
「はい! ありがとうございますっ!」

二人は胸元に満ちる愛のために近づき、しかし思うがまま抱き合う前にぴたりと止まり、言葉を交わす。
まるで家族のような二人の遠慮に数羽の兎とルーミアはどういうことかと首をコテンと傾げるのだった。
だが、素直が取り柄の子達の疑問はどうでも良いと、付かず離れずを保ったまま永琳はこう続ける。

「慧音……予想より、随分と大人数ね」
「そーなのかー」
「ふふ。そうなのですね♪」
「はは……先生、申し訳ないです」
「気にすることはないわ。子供が服に付けてきたシミ二つ程度に臍を曲げる程、私も偏屈ではないから」

言い切り、いらっしゃいと邸内に向かう永琳。
その無防備のようで今ひとつ愛を容れない背中に私のどこが汚れキャラですか、と小悪魔は見当外れな文句を投げかける。
だが苦笑いしたりしながらも大人しく慧音とルーミアは、賢者の後を続いた。

在り来りが永遠と成っている地にて、そもそも定命の者は余計である。
だが実際手入れ要らずの永遠亭の汚れにもなれない慧音は、疎外感を覚えざるを得ない。
兎混じりの玄関、師の影を遠慮なく踏んづけて笑う妖怪少女の隣で、彼女はぽつりといじけたようにこう問った。

「私は……まだ子供ですか?」
「ええ。私の永久に及ぶどころか、貴女が連れてきた子達よりも……いいえ、そこらの竹と変わらない程度の歴史しか刻んでいない貴女は数字で言えばゼロに近い」
「そう……でしょうね」

だが、冷たいほどに素直な先生は、子供扱いを当然とする。
それに、納得をしか覚えないのは実のところ新たな歴史を歩み始めたばかりで不安定な彼女だからこそか。

とある満月の夜、上白沢慧音は八意永琳に拾われた。
それが、記憶喪失のように歴史を失っていた、慧音の新たに刻みだした歴史の最初の一頁目。
刷り込み、インプリンティングですら愚かしいくらいにそれは彼女にとって大切な記録だった。
恩があり、ならばそれを返すためにも認められたいというのは子の常。
随分立派なカルガモが付いてきてしまったわねと思いながらも跳ね除けられない先生は、少女の隣の妖怪の金髪を纏めるリボンの正体を看破しつつ、少し悔しそうにしなからこう呟いた。

「でも……須臾を大事に生きる姿が眩しいことだって、私は既に夜明けとともに知っている……諦めることだけは、してはいけないわよ?」
「……はい」

永遠にとって、閃光など無意味。
愛や恋や熱量などどれもこれもが一点の心地のための利でしかなければ、延々と持ち歩くものではない。
永琳は、そう思って夜に浸っていた。
だが、誰かさんの言の通りに夜の後に朝はやって来て、今はまるで昼のよう。
燦々と輝く全てが愛によるものだとは賢人にはあまり認めたいものではないが、現実を認められなければそれこそ馬鹿である。

言葉の煙に巻かれる慧音。しかしそこから達者な悪魔はホットなところばかりをかいつまんでにんまり。
無遠慮にもそっと永琳の下へと近寄り、こんなことを呟くのだった。

「なるほどなるほど……流石は慧音さんの先生と呼ばれるだけはあるお方のようで……今風の賢人とやらはこんなものなのですかねえ」
「あら。歴史を重ねすぎて今を見るに目を細めて見るしかない私を、貴女は今風と解くの?」
「ええ。どんなに縦軸高かろうが、毒に罹れば何もかもが一緒くたで同じ色になるでしょう。……愛に染まった貴女は間違いなく今を生きる賢者ですよ」
「そう」

甘言をほざくのは悪魔の上手。おだてだって、手管の一つであれば過剰に捉える価値もない。
だが、それでも喜ぶ親心は確かにあり、頭でっかちにそれを否定できないというのが、今の八意永琳の有り様。
つまり、生きることを恐れなくなった永遠は実のところとても強いものであり、それが一度小悪魔程度の力であっても背中を押されたならば。

「さ。行くわよ」
「せ、先生?」
「おー」

振り返ることなく冷たい手のひらでそっと、教え子の手を引くようなことだってあるのだろう。

 

実際の永遠亭の板張り廊下はそう、長くもない。
新品同然のまま永遠と成っている故に音は大して鳴らずとも、しかし近くを通れば響きが耳に入りもする。
偶々台所にて隠れて甘味代わりに蜂蜜をいただいていたところ、顔を出した美人は思わぬ来客に瞳を丸くし、こう言った。

「あら。また慧音がやって来たと思ったら……今度は随分と変わった子達を連れてきたのね」
「姫様」
「ああ、輝夜。この子らはルーミアと……まあ、小悪魔としておこうか。彼女らはちょっと軒を借りたいらしくてな」
「ここには沢山兎がいるけれど、鍋にするには多すぎないかなー?」
「ふふ。少し失礼しますね」
「全く。穢れだらけの夜の形に、穢れそのものを持ち込むなんて……ま、今更どうでもいいわね。永琳、纏めて面倒見てあげなさいな」
「ええ、姫様。分かりました」

面倒。それをまるきり美しき顔に出して、蓬莱山輝夜は手の甲で特にルーミアと小悪魔に対してしっしとした。
永遠の魔法は殆ど解いて、穢れにも多少は慣れたとはいえ、決してかぐや姫はわざわざ泥を好くことはないのだ。
永琳が大事にしている慧音はまだしも、それのひっついてきた汚れになんてどうでも良い。
そう思いながらまた台所を漁りに顔を引っ込めようとしたら、ずいとルーミアがその身を寄せてくる。
何だろうと思って首を傾げる傾国傾城の乙女に、妖怪は質す。

「かぐやは食べても良い人類?」
「んー……食べても無くならない人類ではあるわね」
「わあ!」

よく分からない人間らしい存在。純心はそれは食べてもいいのか気になっただけだったが、意外にもこの美人は食料としても抜群。
思わず喜色と共に振り返ったルーミアは慧音にこう提案をするのだった。

「ねえ、けーね! かぐやを鍋にしようよ!」
「はぁ……ルーミア。人間は食べてはダメなのだろう?」
「あ、そーだった……」
「ふうん……中々面白い子みたいね」
「そうでしょう? 興が湧いたついでに一緒に価格破壊に乗り出しませんか? 永遠に減らない肉である貴女が私と組んで本気を出せば、ここ幻想郷の肉の流通どころか地獄の鬼どもの舌を賄うのも可能でしょう。貴女には誉れ、マージンとして私が頂く儲けはこれくらいで……」
「貴女はつまらないわね」
「がーん、です……」

輝夜はルーミアの突飛にはにこりとしたが、小悪魔の長めの冗談にはクスリともせず価値がないと断ずる。
そこら辺は、価値基準のはっきりとしたかぐや姫様らしいところではあった。
だが、まあ結構なプラスとちょっとしたマイナスで、なら少しプラスと判断した彼女は少し珍妙な一行が気になるようになる。

「まあ、気が向いたらまた、顔を出すわ」

ただ、それでも大山のように気まぐれな輝夜を動かすには足りない。取り敢えずはと、ルーミアの髪を軽くなで上げてから、こう言って今度こそ顔を引っ込めるのだった。
パタンと扉が閉じる音。体重が増えない永遠は、きっとこれから最近趣味にしている間食を行うのだろう。

「全く、輝夜ったら……あら?」

だがそれを知っていながら止める気もない永琳はため息だけ吐こうとして、足音に気づく。
ぱたりぱたりと軽快なそれは、真っ直ぐにこちらへと急ぎ、誰かさんの前にて停止した。
現れた彼女、因幡てゐは一度頬を叩いてだらしなく緩む頬を虐めてから、挨拶をはじめる。

「やあこんばんは、だねえ。あいつら――兎達――ったらサプライズなんて生意気に……久しぶり慧音」
「ええ。お久しぶりですね、てゐ」
「あんたは変わっても、変わんないねえ……」

親愛なるトップに黙って驚かそう。稚気溢れる兎達の遅報にものの見事に驚かされた着の身着のまま。
髪もろくに梳かしていないことを今更に気にしながら、大切な自分を信じる騙したくない唯一の相手のまえで照れにてゐは品を作る。
大好きな硬い敬語を聞かされて喜んだ彼女は今更ながらお師匠様の姿を認め、そして次に金と赤を認めた。まじまじと彼女らを見つめながら、てゐは呟く。

「後はよく分かんないのと……ああ、ルーミアだっけか。少し前にあんたには世話になったね」
「おっきな兎は、私のこと知っているの?」
「ああ。縄張りをやられた小さな兎達からどやされて一度あんたの退治に出かけたことがあるよ……あの時と比べたらあんた、随分ちっこくなったねえ」
「そーなのかー!」

てゐは気が合いそうな性悪女を無視しつつ、半ば本気でも追い出すのが精一杯だったあの大妖怪が今や小ささで私とどっこいどっこいか、と口に出さずに思う。
びっくりに両手を広げるルーミアの前で彼女が《《光》》を操る程度のあの能力は健在なのかとまで考えていると、その肩につんつん。

「……なんだい?」
「はい。私ですよ」
「あんただったか……」

嫌々てゐがそっちを向くと、細まった赤い瞳とご対面。鏡のような相手を認めた小悪魔はここぞとばかりに揶揄をはじめる。

「畜生共には時に大物が混じると聞きますが……なるほどこれはこれは。ひん剥いたらとても高く売れそうな上等な皮をお持ちのようで」
「ふん。どこで読んだかは知らないけれど、あんたは随分と小賢しいね。小さな器ってのはそんなに動きやすいものかい?」
「ええ、ええ。針小棒大、張り子の虎が嫌であれば、悪意だって精製した方が特別でしょう。それこそ、貴女のように善意に縛られるよりよほどマシというものです」
「ちっちゃいねえ……」
「大雑把ですねえ……」

ああ言えばこう言う。彼女と彼女は互いに悲しそうにそう言って、頭を振った。
大人と子供の丈違いが、全く同じに。それがあまりにユーモラスであるのは、二人にとってこの上ない悲劇であったのかもしれない。
心の底から認められない対面者達を、しかし慧音はこう纏めるのだった。

「良かった。似たもの同士仲良くなれそうで」

彼女が二方からの怒涛の反論に遭うのは、もう直ぐのこと。

 

「先生」
「なにかしら?」

妖怪たちは夜に静まらない。だが、離れればそれらだって居ないと変わりがないもの。
不安だって、忘れていれば大丈夫だったのに、しかし一度思い返してしまえばもう駄目だった。
真夜中の縁側にて、上白沢慧音は八意永琳に向けて想いを綴る。

「私は……やはり妖怪が悪とは思えません」
「そう……」

妖怪は悪し。それは人里の風潮ではなく、律であり考え方にも及んでいる。
それが考え続ける人間である半分妖怪な慧音には耐えられるものではなかった。

銀の弓のような張り詰めた彼女は、緩まずに空をただ見上げ続ける。

迷いながらも慧音は再び口を開いた。

「悪があるなら、それは私自らにしかあり得ない……私はそう考えてしまいます」
「変わらない結論ね」
「つまらない……でしょうか?」
「それは……」

悪は付すものではない。己から来するものであればそこで律するべき。
手は武器を持つべきではなく相手の手を握るためにある。
そんな理想を一言に秘めて、慧音は元月の賢者の隣で悩み続けた。

怖いから見ないなんて、何もかもが恐ろしい私にはあり得ず、それは妖怪相手だろうと関係はない。
なら、やはり妖怪を恐れさせようとする幻想郷自体が間違っているのでは。

「あら」

そこまで至る思考までもを読んだかのようにして、響き渡るのは玲瓏な声。

「――――それはあまりに現実離れした考え、幻想にもあり得てはいけない代物ですわね」

彼女は、境を操りそれを踏みしだきながら、空に現れる。
そんな知識が禍々しき現実によって更新されたことに、慧音は身震い。
だが直ぐに克己して彼女は悪意の瞳に問いただそうとする。

「貴女は……」

考えが合わないことは、分かっていた。そして現実この妖怪はあまりに自分を嫌っていて、混じり合わずに敵対している。

――――ああそれが、とても悲しいのはどうしてか。

眦から零れ落ちそうな涙をぎゅっと堪えながら見つめる慧音に、境界の妖怪は。

「八雲紫。私はそんな名を持つ貴女を否定する者ですわ」

そう紡ぎ、頬裂けんばかりの冷笑をするのだった。


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