第三十二話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

永遠亭に侵入した魔梨沙は、沢山の妖精たちの歓迎を受け入れつつ、撃つ星弾のように真っ直ぐ先へと急いだ。
そして、魔梨沙が今日のために空間が改造されていたのか長く一直線な廊下を進んでくと、正面を襖扉が邪魔をしたために、そこを開けて先へと進もうとする。入るなりその先に見えるのは暗闇。しかし魔梨沙にはある程度の先まで見えていた。
赤き瞳に映る広大な廊下は長きことこの上なく、外観との違いをも紅魔館での経験からある程度想定していた魔梨沙であっても、最早驚きを通り越して呆れを覚えてしまうほどのものである。

「地球と月との距離って確か三十八万キロくらいだっだっけ? まあ、そこまで行かないだろうにしても遠いわねー……ん?」

光源が見当たらない中、暗闇へといざ赴こうと思ったところで、魔梨沙の首元に下げていた星形のペンデュラムが、まるで持ち主のように力を求めて勝手に動き出した。
それは、今まで通る中で無視してきた沢山の襖扉の内の一つに向けて反応を見せている。導きに従い最高速でその傍に向かった魔梨沙は、まじまじとその襖障子を見つめ、そこにさり気なくも力強い封印があったことを認めた。

「よく見たらこの扉には封印の跡があるわねー。更には内側から、破ったようなそんな様子が……輝夜がここに隠されてでもいたのかしら」

封印された扉の先にお宝があるのは当たり前よね、と物欲の薄い魔梨沙はフランドールの宝石のような羽根を思い、半ばおどけながら水墨画のような技法で竹が描かれた襖を開け放つ。
恐らくはその先に存在するであろう輝夜との対決を楽しみにして微笑み、透けるほど薄い襖から遠くに望める何だか古めかしい月を見上げながら、魔梨沙は異界であろうその空間に入り込んだ。

「なっ! ……くぅっ」

途端、魔梨沙は自身が砂粒ほどの大きさに縮んでしまったことを幻視する。そして、余りの圧に、地べたに墜ちようとする身体を再浮上させることに必死になった。
如何に創られた異なるセカイであろうともこうまで気圧に変化があるものか、ひょっとすると罠だったのかと考え、地面に衝突しようとするその寸前に全身に力を廻して、丸まり地に転がろうとする自身を克己する。
地に足をつけ、もう一度浮かび上がるに必要とされた力はほぼ全開のもの。燃えるように熱を持って総身を流れる魔力を感じながら、視点を上げる事で魔梨沙はようやく自身を圧倒したその力の根源を察した。
そう、見つけたのは、広い空間に充満する力。それは、一点に源を持つようにして広がって、周囲に圧力をかけている。

「……うふふ。とてつもない、この存在が輝夜の言う難題なのかしら。素敵ね」

魔梨沙の光彩は大きく広がってから狭まり、集中していく。判じたその力は輝夜と似て非なるもの。天辺としていた魅魔ですら軽々と上回り、魔界の神である神綺が隠していた本気すら超えているその純な力の規模は、まるで巨星がそこにあるかのよう。
果てしない年月によって純化されたのだろうそれは、空気のように自然と広がっているが、また経年を表すかのように他を圧するくらいに重くもある。
広い空間を埋め尽くす、そんな多大な力。そんなものを確認した魔梨沙の笑みは止まらない。ニヤリニヤリと綻んだ口の端は持ち上がり、大きく弧を描いてから固まった。

「ああ、全力で挑まないと、きっとこの力は一端すら掴めないでしょう。楽しみねー」

そして、魔梨沙は胸元で高鳴る喜色に合わせるかのように、テンポよくポンポンポンと、今日一日で大分汚れた紫の帽子の中から丸い四色のビットを取り出して周囲に浮かばす。
左の手元には魔梨沙の力に耐えられる程度には上等な星の杖。右手には、強い力を指し示し続ける振り子を乗せて、準備は万端。
後は、時代遅れのお月様に向かっていけばいいだろうと、魔梨沙は進んでいく。勿論、こんな場所に居られる妖精なんてなく、何に邪魔されることなく彼女は久しぶりの快適な飛行を楽しんだ。

「さーて、鬼が出るか蛇が出るか。鬼はもう結構見たから、次は蛇とか見てみたいわね」

そう、魔梨沙は何一つ臆していない。驚くべき胆力を、笑顔で見せびらかせる彼女。弓術にも心得があり視力も卓越したものを持つ八意思兼神は、そんな姿を遠くから見ていた。

「きっとこの地上で誰よりも威圧されている、そんな状況を楽しんでいるなんて、輝夜の言葉よりずっと大物が来たみたいね」

赤と青のツートンカラーで構成されたナース服のような衣装を纏い、月光を束ねたかのように美しい銀髪を持つ八意永琳は、紫の魔女姿と己が計算違いの元凶を認める。
そして、永琳は何を思ったのか、片手に持った何も番えられていない弓を持ち上げ、その相手に向かってその弦を引く。
すると途端に、周囲に充満した力が眩い形となって鏃のごとくに変化してから、次第に集う力はそれすら超過して永琳の手元で昏い赤色と青色の螺旋と変化し大いに力を輝かせる。

「何……アポ、ロ……っ!」

急激に集いだしたあまりの力を見つけた魔梨沙の目の前に、何時投じられたのか一枚のスペルカードがひらり。その内容を見つめられたと思った時間は僅か。
次の瞬間、遠くから放たれてあっという間に魔梨沙の周囲を囲んだのは、永琳の手元で溢れていた赤黒く青黒い、米粒弾。
それらは、魔梨沙を囲む形で静止し、そうして淡く色を変じさせながら収縮を始める。

「天呪「アポロ13」」

そんな涼やかな声が、魔梨沙の耳元に届いたような気がした。三百六十度、全てを赤青に覆われた光の檻の中で、その声は耳朶によく響く。

「これじゃあ、反撃も出来ないわね……」

ようやく相手らしき姿が遠目に見えた、その時にもう弾幕は魔梨沙の周りを埋め尽くしている。つまり、魔梨沙は弾幕を敵へ届かせる暇も与えられなかったのだ。
スペルカードで提示する弾幕、つまるところ必殺技は、本来そう遠くに発することが出来るはずがないために片方の弾幕が届かない範囲で展開されることなど想定されることはない。
しかし、圧倒的な力によってそれは覆される。一方的で、これでは避けるばかりになるなと、そう思ったところ、しかし魔梨沙は自身に迫ってくる弾幕にパターンを見つけ、そして慌てる必要を感じなくなった。

「きゃはは! なーんだ。反撃する意味も避ける意味もない。試しているのね。これ、基準があたしじゃない」

全てが等しく収縮して眩さと力が身体をジリジリと掠める中で、魔梨沙は空中にピタリと静止したまま、動かない。そう、魔梨沙は完全に球形へと広がった弾幕の収縮が、今自身の身体がある部分一点以外全てを通ることを解していた。
つまり、魔梨沙が全く動じることさえなければ、安全である。しかし、唯一といっていいその間隙の狭きこと。グレイズの音楽は、ひっきりなしに魔梨沙の周囲で奏でられている。
だが、一度間違えて触れてしまえば大怪我を負うだろうその力を身体に掠めて、頬に傷を作りながらも、死から遠い弾などその美しさを楽しむ他に価値はないと、魔梨沙は笑う。
魔梨沙の周りを通り過ぎ、大いに開くは赤青の過分に美麗な力の花火。そのシンメトリックな流れを見つめながら、魔梨沙は、一挙に先へと進む。
永琳まで届く間に二度、アポロの弓矢は放たれたが、一度見たものはそう効かないと早々に安全地帯を見つけ、魔梨沙はチリチリとその身が奏でる力の鬩ぎ合いの音を楽しむ余裕すら見せつけた。

そして、更に近づくにつれて、スペルカードでなく牽制用の通常弾幕に切り替わったのか、弾幕の様相は変わっていったが、その厳しさはむしろ増しに増してきたようだ。
カプセル状の見た目をした、淡い色の中型弾、その桜と藍の交差が魔梨沙の行く手を阻む。或いはこれは不可能弾幕でないかと思えてならない程に、その弾幕は濃く早く、周囲を埋め尽くしている。
単純も極めればこれほど難易度は高くなるものなのだろうかと、そう実感させてくれるような密に過ぎる弾幕から幽かな道程を見つけて、先へ先へと魔梨沙は進む。

「ふぅ。やっと、届いた」
「こんばんは」

月光を受けて輝く銀の束が揺れて、少しの高みから青い目が魔梨沙へ向く。二色により構成された複雑な美を抜けた先に、八意永琳は在った。
それを見る人間誰もかもを狂わす、貴すぎる珠を背にして、この異界全てを圧するほどの力を溢れさせながら、永琳は油断なく真っ直ぐ魔梨沙を見つめる。魔梨沙は、その様を恋しく【見つめ】返した。青と赤、二つの瞳は視線で繋がる。

「こんばんは、月が綺麗ね。あたしは霧雨魔梨沙。貴女は?」
「そうね……色々と異名は持っているけれど、今は八意永琳という名の、輝夜が用意した難題ね」
「そう、貴女は永琳というの。あたしが破る難題、次の天辺はそんな名前なのね」
「ただの人間の身で私を破る……果たして貴女は正気なのかしら」

永琳は首を動かし背後の月を見てから、再び魔梨沙を見直す。狂喜に満ちた魔梨沙の様子は、確かに正気から逸しているように見える。
しかし、その瞳には人を狂気に至らせる満月なんて欠片も映っていなく、その中心にあるのは三つ編みと弓を抱いた美人。魔梨沙は、確かに永琳を見定めて、その言葉を発している。
後は、自分の身の程を確かに弁えられているのかどうか、それが永琳には気になった。

「あたしにとって、狂気と正気に大差はないわ。どんな時だって、あたしは力に飢えているから」
「飢餓こそが力に変わるとでも? 残念ながら、貴女の力は上限を超えることなく微動だにしていないわ」
「そこは限度ではないわー。ただ、今届いているのがそこまで、っていうだけ。幾らだって、あたしは手を伸ばすわ。どれだけ遠くても、天辺の先に天はある」
「そう、現在の自身は把握しているのね。……なら尚更解せないわ。どう足掻いたところで貴女は人間。それこそ永遠の存在にでもなっていなければ、その指先を私に掠らせることも出来ないというのに」

人間にしては、過分な程の力。永い過去の経験を遡っても、魔梨沙は英雄と呼ばれた幾多の者の中でも希少なほどの力を持っていると、永琳は思う。また、その力が古代によく見た、変じ様が幾らでもある無秩序な力であるというのも面白いとは感じていた。
だが、魔梨沙が陶酔したようにいくら強がりを言ったところで、圧倒的な力の差の前では吹き飛ばないように凝るのが精々であるというのが、永琳の所見。
これから行う制約の厳しい弾幕ごっこではどうだか分からないが、軽く問診したところでは永琳は魔梨沙という地上人は敵になるほどの存在ではないと見ている。

「うふふ。永遠? その程度の到達点にはこの身のまま通ってあげるわ」
「……人間が、永遠の存在になれると?」

そんな上から目線が、魔梨沙にはたまらなく、不快だった。けれども、怪訝に眉を寄せた永琳の表情を見ながら彼女は笑う。
今、魔梨沙は自分の中で温めてきた思いの発表会に恵まれた。それが、妄想の類であろうとも、夢を口にする悦びを、魔梨沙は感じずにいられない。

「力を得続ければ、永劫不滅の域に至る。永遠だって、力の形態の一。今あたしは足りていない、だけれど求めて歩き続ければ何時かはそこに届くでしょう」

魔梨沙は何度も自分に言い聞かせた言葉を、淀むことなく言い切る。
空いたお腹に詰めるもの。もしそこに、底がなければ無限に容れられる。鳴り響くぐうぐうという幻聴に捉えられながら、魔梨沙は力に飢えて無限に連なる先を求めていた。

「星を超えても世界を超えても、無限でも、永遠でも足りはしない。でも、大丈夫。あたしは何時か全てを超える」
「……そんなことは、無理よ」
「うふふ。不可能なんて、もう何度も超えてきたわ」

赤い瞳は、果てのその先すら映す。人にして蓬莱の人の形を超えたモノになろうとしている魔梨沙は、完全に力に狂っていた。しかし、まだ壊れてはいない。

それは、大言壮語。或いは、見果てぬ夢。幼子の妄想。もし、本気でそれに近づきたいのであれば、外道を持ってして人外の力を得るのが当たり前のことである。
けれども、魔梨沙はそれを認めない。あくまで人間であろうと、一本の鎖で己を縛り付ける。力が欲しいと飢えながら、それでも糧にするものを選ぶ余裕があった。

魔梨沙が力に狂いながらも人であることが出来るその理由。それは、簡単な言葉で片付けられた。

「不安はない。だって、あたしは、無力な自分を信じているから」

そう、足りないのだ、ならまだ足せる。足掻いた手は空を掻く。それはまだ掴めていないということ。
魔力は鬼のようだと言われることがままある。そういう風に既存と比較されることは鬱陶しいが、遠く届かないまでに力を伸ばせば誰も自分しか認めなくなるだろう。
脆弱なこの人間という身。しかし、弱き部分にはまだまだ詰め込める余裕があった。限界には、まだまだ遠い。

「こんなにすぐ近くにある力の天井なんて、簡単に超えてみせる。何しろ、あたしが求めているのは果てなる星々なのだから」

弱く小さなあの頃何度、檻のような家から出て、星を見たいと思ったことか。しかし、首に付けられた枷に、天井を覆う石膏ボードが邪魔をした。
それが今はない。なんと自由なのだろう。何に縛られることなく空を飛び、魔梨沙は高らかに、笑った。

「きゃははは! 神の似姿は、全能の力にどこまで届くことが出来るのかしらね!」

魔梨沙の語った言葉の全ては下らない妄想と切って捨ててられてもおかしくないものだ。しかし、永琳にはそれが出来ない。
穢れを持つために、人には寿命が出来る。燃える太陽が永い間燃え続けられるのは、力となる燃料が充分であるだけでなく、穢れが少ないためでもあった。その定めを、力を増やすというだけで覆せるというのは考え難い。
しかし、永琳はその知恵により創った蓬莱の薬によって、穢れを持った状態での不老不死を完成させている。
知の極みによって、道理が曲がるのであれば、力の極みによってまた変化するものもあるのではないだろうか。全能も力に因するものであるのならば、或いは。
喜色にまみれた魔梨沙の言葉には、そう思わせるだけの迫力が備わっていた。

「あながち、無謀と言い切るには、可能性に満ちているのかもしれないわね……」

そもそも、月の民は世界が可能性で出来ていて、どんな物事でも起こり得ることを知っている。そして、強くそれを求めているものが可能性を引き寄せる場合があるのを永琳は多々眼にしていた。
驕りは未だに胸元に。だがしかし、ここで永琳は魔梨沙の狂気を認めた。そう、相手は際限なく力を求める恐るべき脅威。
そんなバケモノが自分より矮小である時点にて出会えた幸運に感謝しながら、永琳は対峙している敵と初めて向かい合う。
そして、眼と眼が通じあい、互いの内を探り合ったその途端、爆発的な力の流れが魔梨沙から巻き起こった。

「くっ」
「きゃは――――見つけた」

そう、一部でも思いが通じたから、見つけることが出来た。
近き月光を受けて、きらめく瞳が映しているのは、永琳の力の源、膨大なる歴史。人類史を軽々と上回る、その蓄積された恐るべき年月に、魔梨沙は遠慮なく触れている。
そして魔梨沙は見えた力に関係するものを片っ端から真似ることにて力を無理矢理に上げていた。
当然のことながら、そんなものが人間という小さな皿に入りきるものではなく、次々と溜められずに漏れていってしまうし、そもそも受け容れることすら出来ずに器は壊れていく。
高速に回転しても大量を処理しきれていない脳裏に映るのは激しい明滅。紅の目は充血して、端から血の涙が流れだし、苦痛に耐えるために噛み締めた奥歯にはひびが入って食い込んだ。
しかし、全身を這いまわる激しい痛苦の中であっても、魔梨沙が力を求めることを止めることはない。掴めるのなら全身爆ぜてしまっても構わないと、彼女は笑みをさらに歪ませる。痛み、引いては死を恐れて引き返すような時期などとうの昔に逸していた。
恨みという純粋な感情から生まれた魔力は偽物の歴史を帯びて希釈されますます無色透明になり、量を増して溢れていく。魔梨沙はそんな力の渦の中にて翻弄されながらも、満足そうに言葉を乗せる。

「まだまだ足りない、でも、天辺はちょっと晴れてきたかしら」
「力をどこまでも見つめる目に、無秩序な古代の力の両方を高精度に操っているとは……厄介ね」

弧を描いている魔梨沙の口から出た音色は風とともに永琳に届き、弾んだ彼女の髪の奥の、その表情を曇らせた。
ぶんぶんと腕を回してから、魔梨沙は定めて杖を向ける。少なからず彼女を戒めていた、永琳の力による圧は既に解け、宙で自由だ。なら力を真似るのはこれくらいで、後は何時もどおりにやればいいだろう。
美を見つめながら、それを避けて、当てて、それを続けて異変解決。苦痛によって指先が震えていて、また心臓は危険水域まで高鳴っているが【幸運にも】魔梨沙の内のダメージは致命に至っていない。
血涙を拭いながら、笑顔を作り直し。そうしてから魔梨沙は永琳が張ってきた弾幕に挑みかかる。
向かって来るは術者の元で花となって広がり散らばる桜色の米粒弾に、自機狙いの数珠つなぎの青い中玉弾。連携して隙間を失くしてくるそれらを避け、交差の隙間に身体をねじ込みながら魔梨沙は永琳を覗く。
季節外れの桜花に覆われた永琳は、魔梨沙と対照的に端正な顔を曇りに曇らせながらも、射抜くように赤い瞳を見つめ返している。

赤と青の視線は混じりあって紫にならず、対のまま。そして二人は遊戯のルールに真剣になり、やがて停まった時を忘れる。


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