「むぅ」
お日様キラキラ輝く青空の下公園の広いグラウンドにて、オレは大っきな背中を追っかけ駆けていた。
一等賞なんて飽きるほど獲ってきたオレだけど、人に先に行かれることなんて滅多に経験がない。
Tシャツ一枚の下にもりもりとした筋肉の隆起が見受けられ、中々に眼福だが悔しくもある。
そして、急に先を走る光彦が止まったことで、オレもゴールラインに着いてしまったのだということを知る。百メートルじゃなくてあとちょっと長い距離だったら、と考えてオレは歯噛みした。
「むむむ……」
「はは。どこまで力を制限されてるのか分かんないけど、本当に足が速いんだなぁ、かさねちゃんは。ちょっと僕も本気になっちゃったよ」
「オレがかけっこで光彦に負けるとは……」
どうしてかさねちゃんそんなに悔しがるかな、と苦笑する光彦にオレは更に、ぐぬぬである。
いや、目の前の精悍マッチョメンが下手な走りをしたらそれこそ詐欺だとは思う。でも、こいつが無駄に筋肉つけているだけのあの光彦であるからには、得意の運動で負けるのは嫌だった。
なにせ、小学生の頃の光彦は、隠し持っていたエロ本数冊より重いものを持ったことなんてないのではないかと思えてしまうくらいに運動音痴だったのだ。
オレが飲んでいたココア味のプロテインをこいつがためしに一口飲んだと思えば、不味いと言っておもむろにコーラで割り出したのを思い出す。当時の光彦にとって飲み物はピザと合わせるためのものだったらしい。
しかし、今や光彦に過去のちょっぴりぽっちゃりさん振りは跡形もない。オレが考えるの面倒であいつが運動いやだからと二人で筋肉と頭脳にパート分けしたあの日の誓いはどこにいってしまったのか。
まあ、オレがやればできる子と言われる天才であるのと同じように、光彦にも運動に才能があったのだろう。親友だし、そういう似てるところがあっても不思議じゃないか。
オレがそう納得し始めると、黙ったオレが拗ねたと勘違いしたのだろう光彦が言い訳するように言った。
「そりゃ、僕はイクス……お姫様の契約者だからね。まあそれだけじゃなくて、僕は一時バカみたいに鍛えてた時もあったんだ。見てなんとなく分かるかな?」
「ああ。両足にそんなグルテンパンパンのフランスパンみたいな筋肉付けてるんだもんな、そりゃ速い」
「……そんなに僕、ゴツいかな?」
「ああ。よくキレてるぞ。仕上がってる!」
「いや。それ、褒め言葉じゃなくてボディービルの時の掛け声だよね……」
ボディービル。それは人類が生み出した素晴らしい文化だ。巨大に作り上げられた筋肉も、研ぎ澄まされた筋も薄皮一枚下で美しく輝いて魅せてくれる。
なんだか微妙な表情をしているが、そこら辺、大きなのは勿論素晴らしいが小さなおっぱいには無限の希望が秘められているとかキモいこと語ってた光彦なら分かるのではないかと思うが。
でも、そういえば今のオレって無乳だからコイツが昔通りの趣味だったらヤバいな。狙われる。
まあ、光彦が欲情したところで怖くはないが。襲いかかられてもぶら下がってる弱点を蹴り上げれば一発で正気に戻るだろ。
オレはそんな下らないことを考えながら、何やら悩んでいる様子の光彦を見る。中身の残念さを知らないとホント格好いいよな、こいつ。
気を取り直して、光彦は話し始めた。
「それにしても、かさねちゃんはただのデイウォーカーじゃないよね。太陽、ひょっとして好きかい?」
「ん? そりゃもちろん大好きだぞ」
「姫級のイクスですら種族的嫌気から日傘を手放さないというのに、一体この子は何年ものなんだろう……」
「?」
首を傾げるオレ。今日は一本にまとめた髪の毛が揺れた。デイがなんだの姫級、何年ものとか、よく分かんないことを光彦はまた言ってるな。まだ何か勘違いしてるんだろうか、コイツは。
いや、もしかしたらこれは大学出たとか言ってた光彦だからこそ知っている専門用語なのかもしれない。或いはゲーム脳が作り上げた妄言の可能性もあるな。
まあ、オレに迷惑がかからなければ何でもいいかと、ズックで描いたゴールラインを靴底で消す作業をしていると光彦はまたまた変なことを言った。
「なら血も相当に好きだよね?」
ええ、とオレは思う。血を見るのがが好きとか、オレはそんな凶暴性の高い生き物に見えてたんだろうか。だとしたらがーんだな。
むしろ、とオレは下を向いてつぶやく。
「オレはそんなの嫌いだな……」
「え? それはどうして?」
どうしてもこうしたも、あるか。だってあのぬくもりが消えていく感覚なんて、好きになれるはずがないんだ。そう。
「もう、見たくない」
オレは一度死んでる。そして生まれ変わった。でも、最期に見た血だらけの光景だけは、どうしても忘れられない。
そりゃ、今世だと慣れるまで自分の血見て卒倒してたくらいのトラウマだもんな。普通に、血なんて嫌だ。ぶっちゃけ赤色もあんまり好きじゃないくらいだ。
三咲はパンツ紅いのよくしてるらしいが、理解できない。それにしても、あいつ最近下着の色をよく報告してくるんだけど、どうしてだろうな。
「そうか……かさねちゃんは、優しいんだな」
「うん?」
今の親友の謎なところについて考えていると、前の親友がまた妙なことを言う。いや、優しいじゃなくてふつうのコトだと思うが。
血とかスプラッタじゃん。そんなのオレには無理。
ホラーが怖くて嫌なのなんて当たり前だと思うぞ。光彦はゾンビゲームに毒され過ぎだっての。そういえば、あれ裸でもいけたよ、とか教室の真ん中ででかい声でゲームの縛りプレイでのクリアの報告してきてオレが頭を抱えたこともあったっけな。
「よく分かんないけど、じゃあ光彦は血が好きなのか?」
「それは……どうなんだろうね。もう、わからないな」
「分からない?」
「まあ僕の場合は、飽きたっていうのが正しいのかもしれないね」
血に飽きるも何もあるのだろうか。ひょっとしたら、聞いていないけれど光彦は仕事で看護師とか生死に関わることにでも携わっていたりするのだろうか。
オレがまた一本尾っぽを疑問に捻っていると、光彦は前から気になってる首に巻いている包帯をぽりぽり掻きながら、そうなりたくはなかったけれどね、とこぼすのだった。
その後、友達らしくオレと光彦は公園で遊んだ。あいつは童心に帰った気分だ、とか言ってたけど何だかんだ楽しんでいたのは分かるぞ。
大車輪を見せてやったら真似した光彦が失敗してすっ飛んでって植木に突き刺さって、前衛的なマッチョのオブジェみたいになったこともあったけど、それでも笑ってたしな。
ただ、オレが作ったおにぎりを二人して食べてる時にポリスメンが来て、オレたちの関係性について聞いてきたときはあいつ焦ってたな。オレがただならぬ関係です、って小粋なジョークをかましたら顔青くしてたし。
まあ、流石に光彦に美味しいおにぎりの後に臭い飯を食わせる訳にはいかなかったから、適当に嘘ついてお巡りさんには帰ってもらったけど。
ただ、オレたちが兄妹っていうのをそのまま信じるのはどうかなと思うけどな。ムキムキとぷにぷにじゃあ、あまり似てないんじゃないだろうか。
「……それに何より、一番の友達は三咲だな! 美人で頭も性格もいいしオレの次ぐらいに運動が出来る凄いやつだ!」
まあ、そんな過去の話はどうでもいい。クマさんピクニックシートの上で久しぶりに旧交を温めて興が乗ったオレは、交友関係について話す。
そしてそれが、大切な親友の自慢であればなおさらに口は軽い。オレは、三咲のひと目で分かる特徴であるところのでっかいおっぱいばかりはスケベな光彦がそこにばかりつられないようにカットして、語った。
「へぇ。かさねちゃんがそこまで褒めるなんてきっと本当に凄い子なんだね。一度会ってみたいくらいだ」
「うーん……止めたほうがいいかもしんないな。マッチョが嫌いなのか、一度光彦のこと話したらオレにそいつと関わるなって言い始めて、今日逃げて来るのも大変だったんだ」
「……僕、本当に体型で嫌われたのかな……何か、かさねちゃんの説明が悪かったのではないかな、って気もするけど……」
なにやら光彦がぶつくさ言っているけれど、いや本当に今日は中々来るのが大変だったんだ。
オレは休みの予定なんて何も言いもしなかったのに、出かける前に現れた三咲は私も一緒に行くね、とついてこようとした。けれども、流石に親友二人の相手とか、お腹いっぱいなところがある。
とりあえず、あの手この手で逃げ回り、最終的に約束の時間ギリギリになったので慌てたオレが、こんなことしてると嫌いになるぞって言ったら停止したのでその隙を突いて逃げてきたんだ。
そこで、ふとオレは思った。これまでオレ自分の話してばかりだな、と。
こりゃ会話としてまずいなと考えたオレは、光彦に水を向ける。
「そういや光彦。お前は友達とかいないのか? 明日暇か、ってメッセージ送ったら直ぐに大丈夫って返ってきたからあんまり居ないんじゃないかって思ってるけど」
「かさねちゃんはずばりと言うね……まあ、たしかに少ないけれど……」
「そっか。でも、一人や二人大好きな奴はいるよな?」
「まあ、それは……うん。いたな」
いたな、とはどういうことかとオレが内心不思議がっていると、とつとつと光彦は続ける。
「そいつは凄く運動が得意でさ、サッカーをやらせたら、誰もあいつが持ったボールを奪えなかったくらいだよ。走ったらもう誰も追いつけないんだ。中学に上がってもそれは一緒っていう、冗談みたいな奴だったよ」
過去形。そして光彦がこれほど熱を入れて語るくらいに運動が得意な人間。なるほどこれは前世のオレのことだな。
そりゃそうか。どうしたってコイツとオレは親友だからな。言いそびれたせいでオレが前のオレを引き継いでいるとは知らないから、こうして真っ直ぐ語ってくれてるんだな。
なんだか面映いな。照れる。
「またあいつは明るくって素直でさ。それこそ太陽みたいに誰からも好かれて、それで……」
うんうん。ここまで褒められると恥ずいが、認められてたってことで嬉しくもあるな。それで、続きは何なんだろう。オレは内心ウキウキしながら大人しく聞く。
「何より。馬鹿だったんだ」
言い、光彦はとてもうれしそうに微笑んだ。
ん? ああなんだ、オレのこと話してたんじゃなかったのか。オレって前っから天才だもんなあ。決して、馬鹿じゃあない。
それくらい、オレの隣でよくゲームしてた光彦なら分かってたはずだ。じゃあ、前のオレのそっくりさんが友達で別に居たってことか。これは騙された。
でも、過去形、か。気になったオレは聞いた。
「ひょっとしてそいつ、どっか行っちゃったのか?」
「ああ。もう会えない」
会えない。それは大変だ。でも会えないだけなら大丈夫だろう。死に別れてさえなければ信じて手を伸ばし続けていれば、いつか繋がるもんだ。
光彦がそんなオレや両親以外にも死別した相手がいるなんて、考えたくもないことだし、きっとただ会えなくなっただけだろうと、オレは願う。
だからこそ、オレは悲しむでもなく光彦の希望を訊いた。
「光彦。もし、その友達とまた会えたらどうする?」
「それは、ありえないな。ありえないけれど、もし会えたなら……」
もし会えたなら。きっと嬉しいだろう。オレだって光彦に会えて嬉しかったんだ。
当然、光彦も微笑んで……いや、これは笑みを超えちゃってるな。なんだろこれ、ちょっと歪だな。
ただ、それは破顔というものに間違いなく、そのまま彼は宣言するのだった。
「――――。一度ハグしてから、もう一生離してやらないよ」
なるほど。それほど想っているのか。瞳がだいぶ昏いのが気になるところだけれど、そこまで言い切る友情は素直に素敵だとオレは思う。
だから、オレはほにゃりと笑って決意を喜ぶのだった。
「そっかー。本当に、そいつに会えるといいな!」
「ああ……そうだね」
そうだよ。本当に、会えると良いな。まあ、コイツは死に別れたはずのオレとも会えたんだ。ならきっと大丈夫。
幸せに、なってくれるはずだ。
この時、そんなことを呑気に考えていたオレは、きっと間違っていたのだろう。
「まさか、ね……」
そしてオレは、光彦のそんな呟きを見事に聞き逃すのだった。
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