第十三話 分からないってなんですかい?

勘違い吸血鬼ばかさねちゃん

「ふぁ。結局、よく分かんなかったな……」

あくびとともに、ひと言。天才のばかさねちゃんらしからぬ言葉を、誰にも聞かれなかったのは幸いだっただろうか。
まあでも仕方ない。ラブコメにシリアスにファンタジーはオレの専門外だからな。そんな感想を鈍い頭で考えながら、オレは一人何時もより遅めの登校を続ける。
朝日の眩しさにごしごし目をこするオレの周りに人はそんなにない。これは、何時もの教室一番乗り確定の早々な登校と比べたら半端な時間に歩いているからだろう。

「何時も、オレに生徒会の人が一番だよって教えてくれるけど、今日は無理そうだな」

そう、オレは寝坊した。まあ、遅刻とは程遠くはあるのが救いだが、それでも誰もいない教室で足ブラブラさせながら鼻歌歌って皆を待つ楽しい時間を味わえないってのは残念だ。
それもこれも、モモ先輩が貸してくれたエロ挿絵しかない、あの面白い部分が偏りすぎててちょっと退屈な本が悪い。
オレは昨日、あのまま蘭と仲良くしてから家に帰って、ライトノベルを読むこと数時間。ぺらぺら本を捲ることになれた頃にようやく読了したオレは、なんとも理解不足に悩んでしまった。

それも仕方ないだろう。あの本だと吸血鬼の定義がよくウェブサイトとかにある資料に基づくものとだいぶ違う。
まあ人の血は情報で命であり、それを接種している吸血鬼が不老不死。そこらへんはまあ、すんなり理解できた。
ただ、作中で女のケツに何度顔を敷かれたか分かんなくなったくらいのエロハプニングを体験したヴァンパイア主人公曰く、吸血鬼とはそもそもテキストなのだとか。
まあ、確かに本の中のお前はテキストだよなとも思ったが、読むにそれだけではないようだ。
吸血鬼。彼らは最初は文字だった本当は存在しない、けれども人に混じるもの。だからこそ、人の血で存在補完をし続ける必要があり、そしてそれを続けた極みの能力として。

「世界に独自ルールを敷ける、か……」

そこらが、まあよく分からない。世界は繋がっていて、それは皆のためだ。それを個人で変えられるなんて、考えにくいと思う。
だが作中では能力で炎を操ったり(脱がすのに使ってた)、肉体強化をしたり(これも脱がすのに使ってた)、摩擦を増減させたり(これはエッチなことに使ってた)してたな。
オレは何度手を変え品を変えて具体的になることを避けた、とはいえ女の裸の描写を読まなければいけないのだ、これ普通にエロ本だろと思いながら、うんうん悩んだ。

どうも続きが出る予定だったのか内容も尻切れトンボに終わっていて、設定の全容はよく分かんないが、血という世界への蓋然性を情報として収集することで個として重要度を高めた結果のルール改変だとか書いてはあった。
ガイゼンとかよく分かんなかったが、多分文字的に割れ鍋に綴じ蓋的な意味だろ。
つまり、多分血を吸いまくってあり得ないはずの吸血鬼は世界に染みるんだな。その結果、どうしてだかルールすら曲げちまう。

「んなこと、あんのかな……」

まあ、確かにジョンとかイクスとかは結構おかしなことをやってた。ジョンの飼ってる闇とかイクスの翼の斬れ味とか普通じゃないのは、まあその通りだろう。
ただ、それはあの本に書かれてたズルってほどじゃない気がするんだよな。なんかこう、そんな意思で世界を変えるって《《主人公補正》》みたいな何かとは違うような気がしてならないんだ。
あれはもっと、業が深いような、そんな。

「あ、ばかさねちゃんじゃないか、おはよう。うーん……今日は少しだけ遅いし、どうも何時もの元気もないね。アタシとしては、心配だな」
「お、かいちょー。おはよう」

オレは首かしげさせながらも、けれどなんとか真っ直ぐに進めていたようだ。
見慣れてきた校門。その隣に仲良しの生徒会長さんが立っていた。
かいちょーはアホみたいに長く、しかしすらりと纏まった黒い長髪が目立つ、明らかに出来る子な感じの上級生。
でもちょっと素朴な感じの容貌の彼女の顔が、オレへの気遣いのために少し歪んでしまっているのが申し訳ない。
この人はオレと仲良しさんのモモ先輩とは犬猿の仲だそうだけれど、ちゃんとそれとこれとは分けてオレに確り優しくしてくれるいい人だ。オレは、素直に彼女に口を開いた。

「かいちょー、オレ実は昨日遅くまで本を読んでたんだよ。それでちょっと遅れた」
「むむ。ばかさねちゃんが実はそこそこ賢いことは知ってるけど寝坊したなんて、らしくないね。それはどういった本だったのかな?」
「つまんない本。意味分かんなかった」
「なるほど、それはそれは面白くなかったのだね。……察するに、ヤバ崎のバカがばかさねちゃんに貸したものかな? あの女は、迂遠な正しさを好む人間だからねえ……ったく、困りもんだよ」
「かいちょー、確かにモモ先輩の本だったけど、あんまりあの人のこと悪く言うのはダメだぞ?」
「ああ。分かっている。あいつもアタシと同じでそう悪くはないんだ。ただ、意見が大きく違うだけでね。まあ、しかし」
「ん?」

悪口が飛び出たかと思えば、かいちょーなりに、モモ先輩のことを理解しているとの言葉で安心したオレ。この人も、先輩のこと嫌いではないんだとニコリと出来た。
すると、かいちょーはちらほら登校をはじめた他の生徒に笑みと右手だけで挨拶をしながら、空いた左手でオレを撫でる。
別に、撫でられるのは慣れてるけど、かいちょーがやるのは初めてで唐突なのもあってびっくりだ。
そのぎこちなく撫でる手がツインのはしりのシュシュ近くまで行った時、少しかいちょーは悲しげに表情を変えてから言う。

「アタシとしてはね、ばかさねちゃんにはもう少し微睡んでいて欲しいと思うよ。なんせ、起きたってこの世は楽しいばかりじゃないんだから」
「そっか?」

それはきっとオレより早起きさんなかいちょーの言葉にしてはどうも後ろ向きなもの。
寝て、起きる。明日が幸せなんて当たり前だとオレは信じたい。でも、かいちょーにとって、明日はつまらないものでもあるのだろうか。
それは、あの本よりもずっと面白くないことだなと思ったオレは。

「オレは、かいちょーに会えるこの時間が好きだ! 寝て起きて、良かったと思うぞ!」
「ああ……だから」
「わわっ!」

本心を口にし、その途端にかいちょーにぎゅっとされてしまう。
流石に、オレは慌てる。昨日に哀れんだ蘭のものとは違い、かいちょーはたわわだ。そして、オレはちっこい。
つまり。

「むぐぐ……」

おっぱいに包まれ窒息の危機だ。なんてこったい、朝から寝ぼけ眼にあの本の主人公と体験を同じくするとは。
慌てるオレに、かいちょーは。

「アタシは、ばかなキミが好きだよ」

天才なオレに対して、そんな間違いを口にし、ぎゅっと抱きしめる力を上げるのだった。

 

「しぬかとおもった」
「危なかったね……ボクがたまたま早起きしなければ、会長の胸でかさねちゃんが召されるところだったよ……それはちょっと羨ましい死に方だろうとは思うけど」
「オレは、せめてムキムキボディに挟まれて死にたいぞ……」
「かさねちゃん、ホント筋肉好きだねぇ……」

お昼の時間。オレと向かいに机をくっつけながら弁当箱を開き、あははと軽く笑う蘭。彼女の言に、筋肉を愛するのは人の常であると主張したく成ったが、朝の一幕での疲れがあって止めた。
そう、オレはなんとかかいちょーのおっぱいアタックから辛くも生還できている。
物理的に女体に溺れる、という悲しい死に方をしなくて良かったと、未だ男な自分を引きずっている蘭と違って本心からオレは思う。
だから、本当にあの時予想外のパワーでオレを包んできたかいちょーからその細腕で引き離してくれた蘭には感謝している。
改めてあの時はありがとう、とオレは頭を下げ、どうしましてと笑顔で返されるのだった。

「……ふーん。重ちゃん、会長さんとそんなことがあったんだ……気をつけるべき人が一人増えたよ。そしてまた、目の前に一人リスト入りが増えたみたいだけど……なに、一ケ谷さん、他のクラスからわざわざどうしたの?」
「おっと、三咲ったら辛辣だね。ただ、お昼を彼女と一緒したく成っただけだよ。それに名字呼びに友達ランク落ちか……まあ、仕方ないよね、今や友達というよりライバルなんだから」
「へぇ……一ケ谷さんったら、私に挑むつもりなんだ……」
「キミを敵にするというより、かさねちゃんと仲良くしたいだけさ」
「ん? 途中までよく分かんないこと話してたけど、オレ蘭と仲良くするのは良いぞー」
「むむむ……重ちゃんったら、浮気性なんだから……変な男と別れたと思ったら、今度はボクっ娘なんて……」
「うん?」

オレの隣でむむむとしている三咲に、どこか誇らしそうにしている蘭。よく分からないことを喋ってるが、どかーんとすとーんがオレの側で表情をころころしているのは面白いかもしれない。
いや、こうして二人を見てみると、だいぶ胸部装甲の差が著しいな。人間の可能性って凄いと思う。まあ、オレなんて高校生だって言うとびっくりされるくらいに全体ちまんとしてるし、どっこいどっこいか。
なんか、ちょっと赤めのゴハンをがっついている蘭に、オレは思ったことを口にした。

「それにしても、蘭は結構食うなー。それも、油ものがやんちゃな量だ」
「ふふ。お母さんが何時も入れすぎちゃってね。今まで食べられなかった分、いっぱい食べて欲しいみたいなんだ。参っちゃうよね、このままじゃボクは丸々とした体型にされちゃうよ」
「そっか」

昨日、オレはお母のレシピによって蘭の食事は改善されたのだと聞いた。けれども、やっぱりちょっと辛い過去を聞いたからには心配が残っていたのは確かだ。
けれど、この笑顔で弁当をむしゃむしゃしている姿を見れば、そんなの杞憂だと理解できる。とても良いことだ。やっぱり蘭には笑い顔のほうが似合う。

でも。
ふと、オレは右の三咲を見る。やはり彼女は遠く、辛いものを見てしまったかのように視線を落としている。
オレは、努めて何時ものようにして、三咲に声をかけた。

「三咲のランチはまた、美味そうだな! ちっちゃな中に色とりどりだ! 凝ってるなー」
「……そう? ふふ、重ちゃん先生に褒めてもらって、嬉しいなあ」
「満点だ!」
「やったぁ」

オレの本心からの褒め言葉に、落ち込んでいた三咲もすぐに笑ってくれた。泣いたカラスがもう笑う、って奴だな。
そう、蘭がランチ友達になってくれた喜びに忘れてたけど、三咲には母親が居ないんだ。その辛さ、オレは分かっていたはずなのにな。
まったく、気が利かなった。万能天才ばかさねちゃんにも間違いはあるもんだ。
うんうんと頷くオレ。それに何を思ったのか、三咲がそろりとそろりと声をかけてきた。

「あの……ね。せっかくだから、重ちゃん味見してくれる?」
「ん、大丈夫だ!」
「はい、あーん」
「ん。はむはむ」

味見の要請だったそれに頷いたオレは、スプーンの上に乗っかった卵焼きの欠片をうまうまいただいた。
なるほど、ちょっと甘めだけれど、これは中々だ。ずっと前と違って、殻の欠片もなければ、焦げてもいない。
しっかり美味い。飲み込んで空になった口で素直にオレは感想を伝えた。すると、三咲ははにかんで。

「ありがとう……って、これだと間接……きゃ」

ありがとうと、そう言った。
ただ、三咲は、そのままオレが口に含んだスプーンで自分のを食べて顔を紅くしたりしてやっぱり面白い。
まあ、だが次はとオレは蘭の方を向く。

「あ」

すると、複雑な表情をした彼女がこちらを見ていた。羨ましそうな、届かない何かを見るような、そんな面にオレはこう言う。

「蘭のも、食べていいか?」
「えっと……正直、普通の人にはボクのゴハンは美味しくないと思うけど?」
「なあに、同じ釜の飯を食うってだけで嬉しいもんだろ? それに、意外といけるかもしんない。一口くれると助かる」
「あは、かさねちゃんは本当にもう、格好いいんだから……はい、どうぞ」
「ん。はむはむ」

そして、オレは異世界の普通という未知の味付けになっているだろうなんか色取り取りの唐揚げを蘭から一ついただいた。
ふむ。確かにこれは複雑な味だ。だが、肉はよく揚がっているし、サクサクの衣はお母と比べられるレベルだ。蘭の母はきっと料理上手なのだろう。
オレは、素直に言った。

「うん。ちゃんとしいたけより美味いぞ! 食える食える!」
「しいたけ?」
「……重ちゃん、椎茸が食べられないのよ……あれは食品ではないって言ってる」
「なるほど……」

あのくさくさなキノコと比べるのは失礼かもしれないが、実際食用とも感じられにくいような化学っぽい匂いがするんだよなこの肉。
まあ、食えなくもないが、身体が危ないと信号を鳴らしてもいる。総じて、面白い味付けだなとオレは思うのだった。

「ありがとう、かさねちゃん」
「こっちこそ、面白いの食わしてくれてありがとう、だな!」
「あはは。敵わないなあ、もう」
「わ」

すると、またオレは撫でられた。朝ぶりの他人の手のひらの感触。しかしかいちょーと比べると上手なその手付きにオレは気持ちよさを覚える。
しかし、このまま前の流れを辿ると次は。そう思い、オレは蘭の胸元をついつい見つめ。

「ああ、これなら大丈夫だ」

そのナイムネぶりに安堵をおぼえるのだった。

「……かさねちゃん、どうしてキミはボクの胸みて安心してるのかな?」
「これなら死なない」
「このっ、キミをこの洗濯板ですりおろしてあげようかあっ!」
「おぉ」

ぽろりとしてしまったオレの本音に蘭が怒ってしまったのは、それはまあ正直申し訳なかったとは思う。

「ああ……一ケ谷さんのこの包容力なら、大丈夫そうね」
「三咲はよっぽどボクの肋骨の硬さを味わいたいみたいだね」
「ごめんなさい」

あまりの怒気に三咲もひと睨みで、縮こまる。怒れる蘭を鎮めるのは、中々に大変だった。

 

「モモ先輩、この本つまんなかった!」
「そうか……ふむ、兄には言っておかなくてはね。貴方の本はやっぱり駄作です、って」
「え、このマウンテンクリオネアとかいうエロ作者、モモ先輩のお兄さんだったのか?」
「ああ、このエロの塊に設定が引っ付いているだけの本は、遺憾ながら我が兄の作だよ、ばかさね君」
「そうだったのか……後、お兄さんに聞いておいてくれないか? お兄さんはエロを描きたいのか文章を書きたいのかどっちなんですか、って」
「ふむ……深い疑問だね。私も気になるところだから、確かに聞いておくよ」

放課後。黒に黒を重ねて、キャンバスにイミフを作成しているモモ先輩の元へと訪れたオレ。
そこでオレは意外な事実を聞かされた。なんと、このでっかい先輩のお兄さんが、件のつまらない小説の作者であるというのだ。
なんとも、意外なことだ。妹は世界中からひっきりなしの売れっ子で、しかし兄はどう見たところでコアな作品しか書けていない。なんだかかわいそうにも思える。
まあ、会ったこともない人を慮りすぎるのも毒かな、と思いそれくらいにしておいて、オレは改めて筆を下ろすモモ先輩に問った。

「それでさ、モモ先輩。吸血鬼が世界を自由にしちゃうってあったけど、アレ本当なのか?」
「まあ、そうだね。ごく少数になるだろうが、それほどに重要度が高まった吸血鬼も存在はするよ」
「少数、かー。いや、なんか知り合いがヴァンパイアハンターだったとか言ってたけど、当たってないんだろうな。人じゃそんなの倒せないよなー」
「ん? 倒せるよ?」
「え?」

オレが、ルールを変えられちゃったら、ずるくてどうしようもないよなと思っていると、しかしモモ先輩は首を振る。
目を瞠るオレに、チェシャ猫のように笑んだ彼女は当たり前のように続けるのだった。

「やり方次第だけれど、それこそ私にも、キミにも出来ることだよ?」

そんな言葉に、オレは。

「無理、だと思うけどな……」

なんでか弱音を口にしてしまうのだった。

ああ、よく分からない。オレはどうして、出来るはずのことを出来ないと思いたいのだろう。


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