第六話 芸術ってなんですかい?

勘違い吸血鬼ばかさねちゃん

オレは、これでも絵が得意だ。

何しろ、目の前にあるものを描くなら、オレの頭の中の景色をそのまま写せば良い。そういえば、前世だとその能力を買われて、光彦に格闘キャラのパンチラドットを描かされたこともあったな。今思い出してもドン引きだ。
まあ、そんなだから、大体美術の成績は良い。ただ独創的な、それこそ芸術ってのは難しいな。
オレには緑と青の絵の具をぐちゃぐちゃにしただけにも見える絵ひとつで、オレん家がダースで買えると知ったときには、ショックだった。
なので、中学だったかの夏休みに展覧会用に黄色と黒の絵の具二、三本使ってマネて似たようなのを描いてみたこともある。だがその時はこんないたずら描き宿題で提出しちゃダメだよ、って美術教師に三咲に諭されるばかりで一向に評価されなかった。
多分、こうぐるぐるぴょんなバランス――ばかさねなりの黄金比の表現――とかそっくりに出来たと思うんだがな。まあ、筆のタイミングとか分かんなかったから、魂までマネできちゃいないからどうせ駄作だろうけどさ。

「ふむ……少し違うか」

まあそんな風に苦言ばかりを呈された一品も、だが決して箸にも棒にもかからなかった、というわけではない。
オレが展覧会行きの切符をはじめて逃してしまったその絵を持ってどうしようと思っていたところ、声がかかったのだ。いや、無駄に高いところからの声だったからびっくりしたけどさ彼女、山崎モモ先輩はオレの駄作を見て言ったんだ。

これは傑作だ、って。

オレはその時、この人目が悪いんだろうな、って思った。

「なー、モモ先輩。オレそろそろ動いていいか? かったるい!」
「……いや、身じろぎぐらいは構わないが、ポーズを変えることばかりはしないでほしいな。もう少しで素描が終わるから」

そんなちょっと美的感覚がおかしいノッポのおねーちゃんなモモ先輩とオレは未だ仲良くしていて、時にこうして頼まれごとを聞いてあげるような仲ではある。
それにしても、どうしたんだろうな。急にオレを絵に残したいとか言って。最近キミの魅力が増してきた、なんて言ってたけどクールなばかさねちゃんは年中無休で皆を魅了してるってのにな。
またオレを絵にしたいのはいいけど、それにしてもこの人スマホのカメラ機能なんて忘れたかのように熱心に椅子に座らせたオレを何分もかけてデッサンしてるのは何故だろう。
オレ、止まれって言ってずっと止まれるようないい子ちゃんじゃないんだが。赤信号とか普通に嫌いだし。色的にヤダ。

「オレに動くなっていうのは酷だぞ……なんだか逆立ちしたくなってきたっ」
「ふふっ、それでも動かないでいてくれるのだから、キミは律儀な子だよ」
「だって、こっちの面をずらすとモモ先輩の観察が台無しになっちゃうってのはオレだって分かるぞ! うう、ほっぺがつりそうだ……」
「ふふ……流石はばかさね君だね……天才というのはキミのような子のことを言うのだろう」

そんな風にオレが微笑み続けながら自分の芸術点を見せつけ続ける大変さを感じながら零していると、モモ先輩は至極当たり前のことを言ってきた。
当たり前すぎるのか最近あまり言われなくなったけど、そうオレは天才だ。かさねちゃんあたまいい、ってよく幼稚園ごろはひっきりなしに言われてたもんな。
ただ、そんなスーパーな賢さを持ったオレでもやはり芸術というのは不明だ。特に、それはモモ先輩の描いたものを覧る度に強く思う。

「そんなこんなを言っている間に出来たよ。ほらばかさね君、もう動いていいよ?」
「やっと動ける! んー、モモ先輩、出来栄えを見せてもらっていいか?」
「……まあそうだね。構わないよ」

了承を得たオレは、彼女と二人きりの室内を横断して、その手の中のスケッチブックを覗き込む。
そう、この美術室はがらんどう。誰も彼もより付けない聖域に近いものになっている。それは何故か。
すべてが、モモ先輩の描く絵に原因があったのだった。オレは、思わず感想すら忘れてその絵を見てツバを飲み込む。

「おぉ……これは、スゴいな……」
「だろう? 美しいものを描くとはいえ今更キュビズムを頼るのもどうかと思ってね、全面ではなく内面も共に一面に描き出してみたんだ」
「流石の前衛っぷりだぞ……」

この絵をなんと言っていいかは分からない。線が豊かさばかりを重ねて華美を凝らしたそれは、正しく意味不明となっている。
ぶっちゃけ、黒い。しかも気持ちの悪い黒さだ。悪意すら覚えるそれが、実は愛を持って描かれているのは最早信じられない。

「まあ、これでは白すぎる気もするね。ばかさね君、キミはもっと黒くて美しい」
「こんなに嬉しくない称賛は初めてだな……」

前に、スケッチってエッチと似てるなとか言ってたな。それは光彦じゃなくてそこらの男子が、だが。あいつはもっと業が深い。
そんな風につい現実逃避してしまいたくなるくらいに、目の前のスケッチブックを汚す黒鉛の輝きは冒涜的だ。
モモ先輩は戦慄するオレを観察しきったのか野暮ったい眼鏡の奥を細めて、ぱたんとスケッチを閉じてから、ぽつりと言う。

「とはいえ、これでもそこそこ値は張るんだろうね」
「……ホント、不思議だ」

確かにこの絵の芸術点は高い。とはいえ、芸術点を集めすぎてほぼ全体見えなくなっているこれが高値をとるのは不思議なことだ。
そう、何とこの暗黒物質、実は今高く評価されていたりする。なんか、よく観ると複数の絵が浮かんでくるとかなんとか。どっかの評論家の受け売りだが。
ボストンだかの美術館で個展を開けるくらいには、モモ先輩の絵は凄いのだ。美術部の生徒たちが裸足で逃げ出して退部してしまうくらいに凄い、はずなのだが。

「オレとしては、ネットで目にする意見の方が馴染み深いな……」

曰く、絵なのこれ。

そんな素人の意見に、オレは同調してしまう。
だがしかし、それも少数派。線と点の集まりに興奮するのは光彦くらいでいいと思うのだが、世の中はモモ先輩の芸術センスに熱狂しているようだった。

「はぁ」

口の悪い奴らがモモ先輩のことをヤバ崎と呼ぶのも何となく分かる。
何となく負けた気がしてツインテールをしおらせるオレ。そんなオレを上から見下ろして、モモ先輩は胸ポケットから一つの物体を取り出して差し出すのだった。

「ああ、そうだった。一つ傑作があってね」
「え? これは……」

オレの目の前でおっきな手のひらの上に鎮座しているのは、紅く細い何かがレジンで纏められたそんな物体。じゃらりと、繋がれた銀のチェーンが蠢く。
やはり色のセンスは悪い。ただあんまりモモ先輩の作品を良いと感じることはないけど、これは綺麗だと、何となく思う。

「是非今のキミに、プレゼントしてあげたかったんだ」
「あ……」

優しい指先がオレの髪を撫で浚っていく。

そして、そのうん百万は下らないだろう山崎モモ画伯の作品、朱の十字はオレの首に下げられたのだった。

 

「それで、そのカンカン帽のお爺さんは確かに、イクスの名を発していた、と……」
「ああ。確かに、次はキミだとか言ってたな。でも伝えてくれと言ってもイクスの家分かんなかったから、それっぽい光彦に言ったんだ」
「なるほどなぁ……あ、そこ間違ってるよ、かさねちゃん。……というか、年号に先の数学の問題のエックスの答えをそのまま入れちゃうのはどうかな……」
「お、間違ってたか。答えの欄の大きさが似てたからなあ、ちょっと間違っちゃったな!」
「かさねちゃんは……ある意味天才だね」
「ふふー、天才と言われたのは今日二回目だ! やっぱり、光彦もそう思うか?」
「そりゃあ、まあね……」

家帰ってからチャリでごーした友の家。オレは光彦の素直な褒め言葉に、にこにこする。
やっぱりモモ先輩よりも光彦が言ってくれた方が嬉しいな。コイツには思い入れが違うし、つまり引っ付いた発達した筋肉たちも同意しているってことだから。
ふふんと、ない胸を逸らすオレ。それにどうしてだか気を取られずに、光彦は言うのだった。

「うーん……それにしても、そのお爺さんに対する心当たりは僕にはないなぁ。契約者とはいえ、吸血鬼世界との関わりは十年に満たないし……」
「ん? あのお爺さんも吸血鬼だったのか?」
「多分、ね。イクスは結構いい家の子だからよく同族に狙われるんだ」
「それは危ないな! ……でもあのお爺さん、そんな悪いやつには見えなかったぞ?」

イクスが狙われてると聞いて、オレは少し焦った。だけれど、あのお爺さんは何か変な感じがしたけど間違いなく優しそうだったと思う。
客商売の手伝いをやってるオレは人を見る目があるという自負がある。だからこそ、どうなんだろうと首を傾げるオレに、光彦は話す。

「いや、まあ。別に世の中悪いやつばかりが悪いことをやるわけでもないからね……気をつけるに越したことはないさ」
「そっか……でもそれって寂しいな」
「だね」

オレは、少し気持ちを落とす。
光彦が言っているのは、悪いやつにだって良いところがあっていい人にだって悪いところがある、という当たり前だけれどそれは翻って守るならば誰のことも信用できないという言葉でもあった。
それを寂しく感じるオレを光彦はとても悲しそうに見つめる。そして、しばらくしてから頬をかいて、言った。

「でも、まあ。そうだね。……うん」
「どうした? はっきしりしないな、光彦。ウンコか?」
「違うよ! そうじゃなくてさ、僕はでも、かさねちゃんのことは信用したいと思うよ」
「そっか!」

オレは、二つのしっぽをぶんぶんさせながら喜ぶ。他人が信用出来ないのに、信用したいと思うこと。それがどれだけ尊い意思であるかオレには測りきれない。
これだから光彦の友達は辞められない、とオレがこそりと思っていると、光彦はぼそりと続けたのだった。

「だから、イクスのところに連れてくよ。本当は良くないんだけれどね」
「おお、イクスってどんなところに住んでるんだ? お嬢様っぽかったし、凄い豪邸だったり……」
「いや、そういうのとは違ってさ……あいつが居るのは」

少し、言いにくそうにして、しかし甲状舌骨筋を活躍させてから、光彦は。

「――――僕んちの屋根裏」

 

天に指先を向けてあっけらかんと、そんな暴露をするのだった。

経ったはツーテンポ。そして、ぱかり、と天井が外れて、そこから愉快な二人組みが顔を出す。

「もう……今バラさなくていいじゃない」
「まあ、ここで明かしてしまうのも、よいタイミングではないかと思いますよ」
「ワタクシが格好つけられなかったじゃない!」

その二人とはイクスと、サオリさん。上からの彼女らの突然の登場に、オレはもうびっくりだった。

「わわわ……」

なるほど、イクスがオレのことを知っているはずだ。そりゃずっと板一枚の物理的な近さだったもの、色々丸聞こえだったんだ。
それに、よく考えたら窓一つない屋根裏とか、日光嫌いが籠もるには丁度いいだろうし、自然といえばそのとおりで。

にしても、こんな。そんな。えー。

「光彦にはすでに落ちものヒロインが居たのか……」

オレはどうしてか、そんな見当外れな残念を覚えてがっくりするのだった。


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