第十話 本当ってなんですかい?

勘違い吸血鬼ばかさねちゃん

眼前に赤が、飛び散る。
オレは赤がキライだ。それは当然だろう、自分の死の際に嫌というほど目に入れてしまったものなのだから。
赤は停止、終わりの色。オレは思い出す、赤い血の海に沈んだ前世の《《自分の姿》》を。

『ふふふ』

そしてどうしてだか唐突に場面は変わり、記憶にしかないあの人の笑顔も映し出された。またこの人えらく綺麗に笑っているなあ。
まあ、そのままにしていたって綺麗なものがにこやかにしていたら、それはもう印象に強く残ったって仕方ないことか。
だから嫌な赤を見て、それを慰めるために好みの人を想起してしまった、これはきっとそれだけだろう。

けれどああ、あの女の人って、どうしてあんなに――――血のような赤が似合っていたのだろうか。

「っ」

そうしてオレが走馬灯だか妄想だかに浸かっていたのは、僅かな間。
その間に、《《オレとイクス》》の間に咲いた花は、萎れて地に落ちていた。
オレは、吸血鬼の羽により切り裂かれた胸元から出てきた、その正体を知っている。

「これ、モモ先輩の……クロスか?」

そう、血に見紛うように散って滴った、その花は絵の具だった。十字は裂かれて、中身を披露してしまったのだ。
つまり赤を辺りに散らしたのは、モモ先輩から貰った紅の十字。周囲に広げて無残に赤を失ったレジンはいまオレのクッション性の足りない胸元でぶらぶらしている。
なるほどオレの胸元に下げていたのだから、目測過ったのだろうおっちょこちょいなイクスが偶々斬っちゃったとしても仕方がないのかもしれない。
けれども、偶然にしてはちょっとおかしいところがある。なんかこれ、オレを護るみたいに勝手に動いたような。
気のせいだろうか。オレは首をかしげた。つられて、赤斑になって台無しになった白いブラウスに、髪束がそろりと流れる。

「はぁ」

すると、ため息一つ。背中に羽を広げたままのイクスがオレに向けて、苦々しげに言った。

「外した……いや外させたのかしら。全く、忌々しい道具を持っていたものね。……呪いそのもののワタクシの羽根から逃しちゃうなんて、よほど上等な巫でもコイツの身近に居たっていうこと?」
「うん?」
「ふふ……なに、やっぱりジャパニーズカルチャーはクールって再確認しただけよ」
「おおっ、途中まで分かんなかったけれど、それは分かるぞ! 日本文化って相撲とかそろばんとか、色々と格好いいからなー」
「はぁ、ホント、計算外」

ため息とともに紡がれた計算外という言葉。なるほど、それはそうだろうな。
日本人はよく想像の斜め上を行くと外の国の人に褒められているのをテレビで見たことがある。きっと文化だって、然りなのだろう。
どうしてか急に日本文化を語り始めたイクスはオレに羽の切っ先を向けたまま嫌そうにしているが、あれだ。
恐らくは、これを読むために私は生まれてきたのよ、と胸を張っていたマンガの上を、ゴキブリが這っていたあの日のことでも思い出しただけだろう。
大概の女性はアレを嫌うからな。悲鳴を上げたイクスとサオリさんを他所に、光彦は冷静にスリッパの一撃を食らわしていたな。
別に殺すこともないのになあ。オレ的には、あの油虫の機敏さには見習うところがあると思うのだが。

そんな、空想。オレはちょっと現実逃避をしていたのだろう。

唐突に咲いた赤を血と勘違いしてしまったのか、気絶したジェーンを抱えながら苦虫を噛み潰したような顔をしたジョンが口を開いた。

「なるほどその子の方を狙っていたか……|同族食い《カニバル》」
「ふふ。あら。ワタクシとしては|蠱毒《dog eat dog》の方が異名としては好きなのだけれど」
「……お前ほど一人の人間のために狂った存在を、ぼくは知らないよ」
「そうでしょうね。正義の吸血鬼さん。ヴァンパイアハンターは楽しい?」
「闘争こそが楽しみさ」
「そんなにつまんなそうな顔してるのに?」
「むぅ?」

そして、オレそっちのけで二人はよく分からない言葉で盛り上がってしまう。
カーニバルとか、ドッグがどうのこうとか、そこら辺はなんだか楽しそうだったがそんなことを口にしておきながら、確かにジョンがつまらなそうな顔をしていることは気にかかる。
あれだ。そういえばついさっき闘争こそ楽しみ、とか言っていた時もこんなだったな。
ううん、よく分かんないが、これは。

「ジョン。本当は戦うの嫌なのか?」

オレはそうでもないけど、まあそういうの嫌いな人だって大勢だ。そして、その中にこのぱっと見大人しそうな老翁が入っていても不思議じゃなかった。
首を傾げてツインの髪束を遊ばせるオレに、ジョンは言う。

「……そう、思いたくはないな」
「でも、好きじゃないのは多分ホントだろ?」
「まあそうだが……しかしね」

胸にすっぽり収まったジェーンを、その小ささを覚えながらジョンは眉根を寄せている。
戦うのは傷つくことだ。それを嫌がるのだって、好きじゃなくたって普通だろう。ばかさねちゃんは天才だから、そうでもないけどさ。格ゲーとか結構好きだ。
けれど、このどうやら本気で吸血鬼っぽいお爺さんは、あくまで戦うことを辞めようとしない。
なんだかさっき《《バカにした》》はずの闇たちをまるで生き物のように影から溢れさせながら、こんなことを口にする。

「やはり、悪を挫く喜びばかりは、捨てられないんだ」
「うん?」

悪を挫く。その言葉を理解するのにオレはちょっとかかった。
え、だってジョンはイクスを狙う良いやつだけど悪いことをしたがるやつで、それが悪を嫌うなんて、何だか意味不明だ。
そもそも、挫くような悪って、どこにいる? ここに居るのは基本いいヤツばかりで。

どうやらなにかがおかしいな。可笑しい。

「ふふ」

ああ、ほら。イクスだって|嘲笑《わら》ってる。

 

暗闇の中、案外明かりの違いは分からない。どっちも綺麗で、色がちょっと変わってるくらいだ。ならば、両方大事にしたっていいだろうと思わなくもない。
よく分かんな過ぎたオレが首を傾げすぎてすっ転びそうになったとき。闇を用いて遠くにジェーンを安堵させたジョンはオレに寄って、言う。

「カサネ。混乱しているようだが、その暇はない」
「ん?」
「単刀直入に言おう。君はイクス嬢らに騙されている」
「えー?」

闇をわちゃわちゃさせながら臨戦態勢のジョンは、同じく羽を尖らせたままのイクスから目を離さない。
いや、騙されているなんて、この天才ばかさねちゃんに向かって、なんてことを言うんだこの爺さん。
そりゃ、お母の誕生日サプライズには毎度騙されるオレだが、それは前世と今の人生の誕生日が違うせいだぞ。
カレーの隠し味を当てるのすら得意なオレだ。そう簡単に騙されやしない。

それに、イクスはあの真面目くんになっちまった光彦の大切な人だ。そうそう人に嘘つくような真似はしないだろう。

オレはそう、思いたい。

「騙すなんて、心外ね」
「そうだよなー」
「ただ、こんな老いぼれた悪なんかより、よっぽどワタクシ達の方が悪どいんだって、肝心なことを言わなかっただけなのに」
「え」

けれど、現実は嘘みたいだった。
オレが転生した事実みたいに、嘘っぱちっぽかった。
だって、私達って、それはつまり。

光彦だって悪いっていうことだ。

「なんだか忘れちゃったみたいだけど……牙折られたりそこの老いぼれるくらいに少食のモノだったりしなければ基本、吸血鬼は」

美しいはずの顔は、どこまでも鋭く上がった口角に、損ねられる。細められた目は、喜色ではなく悪意によるもの。
そして、覗いた牙はあくまで鋭く。イクスの笑みは、どこまでも禍々しかった。

「人を殺して、血を奪うのよ?」

嘲笑って、彼女は悪魔のようにそんな残酷を、転がす。

 

「はぁ」

じゃり。わざとらしく響いた足音にオレは目を向ける。
すると、暗闇に当たり前のように居たのは、光彦だった。
いや、これは本当にそうなのだろうか。何かおかしい、変だ。だって。
クラリとするオレを他所に、オレを虫けらかなにかのように見下ろしているあいつは、言った。

「……そこまでにしようか、イクス」
「あら、光彦、どうして?」
「どうしてもこうしても、こうなったらもう、その子の隙はつけない」
「あら。同族の血は甘露なのに、残念ね」

つまらなそうにしてイクスは、羽は刃物ではなく、はばたくためのものに戻す。
そんな彼女の隣に立って、次いで光彦は彼女に告げた。

「それにイクス。その翼、《《バカにされてる》》ぞ?」
「ん……ホントね」
「全く、本当にどうしようもない子だ――――死ねばいいのにね」

そして、《《否定した》》オレを、否定する。
鋭い視線。侮蔑の表情。それらは全てオレに向いている。
ああ、あの光彦が。優しい、あいつが。

なんで。オレは、《《よく分からなく》》なった。

「……君が噂の|アンダーテイカー《葬儀屋》か」
「そうだね。墓を作ることさえないけど、ここらのイモータルは大体死なせてあげたかな」
「どうして、カサネを狙った?」
「いや、最初はこの子よく分からなかったんだ。だから近づいた。でも何がなんだか、正体を考えれば考えるほどバカになる。でも、よく分からないならどうでもいいやって結論になったんだよね。殺しちゃったって良いや、って」
「……そうか」
「まあ、バカなふりして隙なんて殆どないから、面倒でさ。勝手に勘違いしてくれたし、君と戦っている時が狙い目かな、って思ったんだけど……」
「そうはいかなかった?」
「うん。何か、まだあるみたいだね、この子。もっと、殺し方をよく考えていた方が良かった」

目が、合わない。心、通わず、届かず消える。

分からない。彼の言葉が分からない。
何を言っている。

光彦が変だ、おかしい、可笑しいな。

「ふふふ」

だからオレは笑いながら。

「《《あたし》》を――――バカにするなよ」

怒った。

「え――」
「っ」
「な」

知らない知らない。そんなの、全部知っている。
バカとは馬鹿にならない、全知のようなもの。
すなわちそれは。

怒気に凍る、小さな全て。
もうどうでもよくなったそれらを置いて。

「はぁ……帰る」

つま先くるり。
ばかさねちゃんは、ため息を吐きながら帰路につくのだった。
もう、こんな面倒なの関係ないんだ。美咲拾って、ゆっくりしよ。

 

「ふむ」
「……さて、面倒なことになったな」

だから、そんな全てを覗いていたふたつの人影の存在なんて、オレは知らないったら、知らない。


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