第十一話 希少価値ってなんですかい?

勘違い吸血鬼ばかさねちゃん

暑いにはまだ足りていないけれども、日差しが眩しい今日このごろ。
最近雨天が続いていたので、これはお出かけ日和だと三咲も女友達と買い物に出かけている。オレもそれにならいたいところだったが、ちょっと用事があると学内に留まった。
なんか、クラスの男子は拾ったのだろう雨に湿ったへにゃへにゃエロ本を中心に湧いていたが、それすら無視して図書室へ。
そうしてオレは読書に挑まんとするのだった。

「むむむ……」

だが、机に鎮座した、慣れない文字だらけの本を前に、オレは悩む。別に、これでも学生やってるんだし、教科書的な文章に目を通すのが嫌なわけじゃない。
いやでも、この小説を覚悟なしに読み解くのはちょっと難しいなあとは思うのだ。
だって、アレだろ。この、モモ先輩が貸してくれた本って。

「『貴族に転生したと思ったらヴァンパイアだったので引きこもります』……ライトノベルだよなあ、コレ」

多分、そうだと思う。名前が嫌に説明的なのは、ソーセージマルメターノみたいに名は体を表す的にしたかったんだろうと考えれば、まあありだ。
だがこれ、あの人が専門書だよって言って渡してくれたんだけどなあ。
もしや中身が違うのではと思って捲ったカバーの下には同じ題名の水着バージョンの表紙しかなかったし、どういうことなのだろうか。

「……本当にこれを読めば吸血鬼について、分かるのか?」

オレは、再び首を傾げる他になかった。

 

ことの発端は、オレの悩みからだった。親友と手ひどい喧嘩別れになったことは、だいぶ荒れたがまあ人生そういうこともあるだろうと落ち着いた。
だが、それなのだと勘違いされていたのだが、そもそも吸血鬼についてよく知らないことに気づいたオレ。
その無知が光彦との絶交に無関係とは、オレにはとても思えなかった。ならば、遅かろうとも、彼らが言っていたことの意味を知りたいと考えたのは、まあおかしくないだろう。

でも、ちょっとネットサーフィンしたところで、今ひとつ分かんなかった。
なにせ、吸血鬼って日に弱いだの水にも弱いだの、十字架にも弱いだの、生っ白いざこざこだ。
きっとイクスもジョンも、それとは違う。そもそもそんな弱々と、この最強で健康優良児のばかさねちゃんが重ねられたのはどうにも不思議だった。

『どうかしたかい、ばかさね君?』

首を傾げて、ツインな髪の毛ぶらんぶらん。学校でもそれを繰り返していたら、モモ先輩に見つかった。
そういえば、このデカい人、なんか英語ペラペラで頭いいんだったと思い出したオレ。
慮ってくれる彼女に吸血鬼について知りたいと返したところ、ふうむと悩んで鞄の中をごそごそ。やがて、彼女は一冊を取り出して、オレに渡した。

『ふふ。それでは、この本をキミに授けようじゃないか』

分厚い専門書でないというのは、まあありがたい。
それになるほど、モモ先輩は知らないだろうが主人公のようにオレも転生しているので物語には入りやすいかもしれない。
しかし、女になってからこの方長いオレには、嫌に肌の露出の多い女が絡み合った表紙が眩し過ぎた。

アレだよな、ここまでスカスカな制服だと動きゃ脱げるだろうになあ。角度変えれば普通に見えそうだし、それに何よりこれ、どう考えたって下着はいてないだろ。普通に不衛生だ。
それでも制服としてエロエロ服を一枚しか羽織れないなんて、この異世界ってセックスアピール競争がどれだけ激しいんだろうか。
そりゃ、転生した主人公も怖くて引きこもるわ。これじゃあ男もブーメランパンツ程度の露出じゃ足りないだろうし。
また、このヒロインらしき巨乳の女とオレが同じ制服を着たら、スカスカで全部ちまんと丸出しになってしまうだろう。流石にオレでもそんなの普通に嫌だ。

「異世界って怖いな……オレは元の世界に転生したから、良かったぞ……ん?」

総評し、そうスケベ表紙一枚におののいていると、何やら影が。
後ろから覗き込まれたのだろうことに、悲しいかなちっちゃいから慣れているオレはとくに無作法を気にせず慌てず振り向く。

「ふうん……」

すると、そこにあったのは端正な整いに丸い眼鏡を付けた、どっかで見たような顔だった。彼女は目を丸くし、ぽかんと口を開けている。
何やらオレの前に置かれたライトノベルに気を取られている様子のシングルテールな彼女に、オレは声をかける。

「ん? 一ケ谷さん、どうしたー?」
「えっと、あ。……双葉さん、コレ君の本?」
「んーん、こりゃ、借り物だな。これから読んでみるとこ」
「そっか……あはは。どっかで見た本だなって思って、勝手に見ちゃってごめんね」
「謝ることないぞ。そもそもミニサイズのオレじゃあ、なにか机に置いても隠せないもんな。それに、別にコレを隠す気もなかったし」
「そっか……」

話し相手が出来てちょっと嬉しくて足をぶらぶらさせてるオレを尻目に、顎に手を当ててちょっと考え込んでる様子の一ケ谷蘭さん。
あんまり人の居ない図書室の中、吹奏楽部の途切れ途切れのBGMを遠くに、オレはそっと彼女のことを思い出す。

実はこの、オレほどじゃないけど結構な美人さんである一ケ谷さんとは、そこそこ前に知り合っている。
最初は、リトルリーグで敵サッカーチームのディフェンスしてる少女としてすれ違って――彼女にばかさねのドリブルを止めることは出来なかった――顔を覚えたんだ。
そして中学時代には一ケ谷さんはよくオレの実家、店に部活帰りにチャーハンを食べに来るようになったな。オレはよく彼女に差し出すためにコップに水を注いだもんだった。
レンゲを夢中に動かしもしゃもしゃ間食していたあの日の彼女を思い出し、オレは含み笑いしながらおどける。

「お客さん、お水は大丈夫ですかい?」
「あはは、今は平気だよ。……そういえば、双葉さんのお店最近行ってないな……」
「チャーハンならオレ、作れるぞ? おごろうか?」
「あはっ、遠慮するよ。双葉さん、おっちょこちょいな感じがするから、砂糖と塩間違ったものでも出されたら、大変」
「なにおーっ」

ふざけたオレに、尚ふざけた言葉で返してくる、一ケ谷さん。料理の腕を疑われたオレは、ぷんぷんだ。
前世にカレー粉と胡椒を間違えてくしゃみが出るカレーを作ったことはあったが、それくらいだってのに、まったく。
まあ、彼女の言葉が冗談であることは分かる。何だかんだ、客としてもてなす際に一ケ谷さんと会話をしたことはそれなりにある。
結構茶目っ気のある、スポーティなボクっ娘。最近メガネが要素として追加されたみたいだが、オレにとって彼女はそんな感じだった。
口を尖らせるオレに、笑いながら一ケ谷さんは言った。

「あはは。ウソウソ。三咲が自慢してたし、双葉さんが料理上手って分かってるよ」
「分かってるなら、いいぞ。うーん……でも、三咲は何時の間にオレのことを喧伝してたんだ? 学内だとだいたい何時もオレに引っ付いてるのに」
「中学時代、テニス部の練習試合で知り合った時に三咲が双葉さんに料理を教わってるって言ってたんだよ。それを覚えてたんだ」
「ふうん」

少し考え込んだが、なるほどそういえば、学区は違ったけど二人共同じテニス部だったなあと思い出す。
しかも、双方かなり強かったんじゃなかったっけか。三咲はダブルスで全国出たとは知ってるけど、確か一ケ谷さんも店にトロフィーみたいなのを持ってきて自慢してたことがあった。
オレは身体能力的に運動部で無双するのは簡単だったけど、簡単すぎて他人の夢を挫く作業になっちまうのが嫌だったから部活動やんなかったんだよな。
でも、だからこそ頑張ってる人間は好きだったりする。なんとなく、頑張りきって道を変えたのだろう一ケ谷さんを好ましく見上げていると、彼女は微笑みながら、言った。

「でも、何だかんだボクたち知り合ってから長いよね。折角だし、もっと仲良くしようよ。ボクのことは蘭って、下の名前で呼んでもいいよ?」
「おー。いち……蘭、オレのことも苗字呼びしなくていいぞ? ばかさねちゃんと、愛を持って呼んでくれたら嬉しいな」
「あはは……流石にそれは失礼だから、ボクはかさねちゃん、って呼ぶね」
「ん? まあ、いいか」

個人的に蘭とは結構友情ポイント稼いでたんじゃないかと思ったが、愛称まではまだ早かったか。
ちょっと残念だが、仕方ない。これからめろめろにしてしまえばいい、切り替えよう。

切り替えついでに、光彦の代わりとするのは失礼だろうが、でも同じくらいにこれから仲良くなれたら嬉しいな。
二人共自称が僕とボクでちょっと似てる気がするし。光彦と比べたら体型はだいぶ蘭のほうがすらっとぷにぷにしてるけど、まあそれは仕方がない。まだ若いし筋肉的にもこれからだろ。

「……なんか、かさねちゃん変なこと考えてない?」
「ん? 蘭の筋肉を豊かにする方法を考えてただけだぞ? なんも変じゃない」
「やだこの子、勝手にボクの筋肉を育成しようとしてる……」

オレの視線を受けて自らを抱きしめるように身体を隠す、蘭。その細腕を纏った紺色ブレザーは、胸筋どころか脂肪の欠片もないスレンダーな彼女のボディを酷く真っ平らに隠していた。
いや、オレが言えることじゃないけど、蘭ってホント胸ないな。なんか太ももとかはぷにぷにしてそうでしっかりと性別は分かるんだけどさ。

「て……何その視線。ひどく残念なものを見つけたって顔だけど……」
「蘭って、おっぱいないな……かわいそうに」
「同レベルに憐れまれた!? いや、確かに夢も希望もちょっとだけかさねちゃんの方がありそうだけどさ……クソッ! 断崖絶壁結構じゃないか! ボクにはキロ単位の脂肪を胸元に毎日ぶら下げ続ける生活なんて、考えられないね!」
「そういや、三咲はよく肩が凝るって言うなぁ」
「自虐風自慢か! そんなに辛いなら、いっそもいじゃえばいいんだ!」

どうしてか、怒り狂う蘭。どうやら、オレは彼女の逆鱗に触れて指紋を付けてしまったようだ。
そうして蘭は、そうだ、もいで付ければボクが一番じゃないか、とか謎の独り言。

「足りないなら、他所から持ってくれば良い……なるほどこれは至言だね! ひゃっほう!」
「……光彦曰く、小さなおっぱいには無限の希望が秘められている、か……」

普段静かな蘭を混乱させるその嫉妬の熱量に、思わずそう呟かざるをえない。
眼前でポニーテールが荒ぶる中、それでも揺れない彼女にオレは逆に希少価値をすら覚えるのだった。

 

上がれば下がる。そんなのが当たり前だとしたら、怒りも次第に落ち着くものだ。それが見当外れならばなおのこと。
狩りに出るぞと暴れていた蘭も、次第に何時もの調子に戻ってオレの隣で今は安堵している。

ふと眺めれば、柔らかなラインに鋭さをすら感じる整いが表立つ。こうしてみると、蘭はかなり危うい美人をやってるなと思う。
でもまあ、それでもオレの友達の一人。むしろもっと仲良くなりたいと、オレは切り込むのだった。

「……それで、結局どうして蘭はこの本を気にしてたんだ?」
「ん。まあ、一度読んだことがあってさ。だから」

蘭は、柔らかくそう返す。
なるほど、一度目を通したのならば、それと同じ本を持っている相手に仲間意識を持ってしまうのも自然だ。
そして、ネタバレさえなければ先に触れた人間に感想を聞きたくなるのも、よくあること。オレは、迷わず聞いてみた。

「ふうん。この本面白いのか?」
「いや、正直なところあんまり。ただ、設定だけやたら凝ってるな、って印象があったかな」
「……ふうん」

設定に凝っている。それはつまり、この題名にもなっているヴァンパイアのことがよく載っているということだろうか。
それを知ると、オレにこの本を渡してきたモモ先輩の考えも少し理解できる気がした。
事実に近く、それでいて軽い読み物ならばオレも飲み込みやすいのでは、きっとあの人はそう考えて選んでくれたのだろう。
さすがだとオレは、頷き感心する。

「あと、これギリギリ過ぎだろってくらい無駄にエロかった」
「そっか……」

だがしかし、次の蘭の感想の付け足しによってなんだか感動も台無しになった。これ選んだの、ただのモモ先輩の趣味とかじゃないよな。
表紙から想像できたがやっぱり、そういう感じの本なのかコレ。ぶっちゃけ、オレ的にはテンポが悪くなる気がしてエロ描写って邪魔に思えちゃうんだよな。
思わず再びうむむとなるオレ。そこに、ぼそりと蘭は言った。

「まあ、ボクは転生ものが好きだからね。だから目を通した感じだよ」
「転生かー……」

転生好き。いや、蘭が物語のジャンルとして好きと言っているのは分かってる。
でも、実際転生したのだろうオレには、その世知辛さも理解できて、一概に良いとは言えないのだ。

だって、転生している間に友達は変わってしまい、自分もなんか違うものになってしまっている。
そんなのって、一体全体つまんなくないだろうか。

オレも、思わずと言ったように零す。

「してもあんまり良いもんじゃなかったけどな」
「そうだよねー……って」

そこに予想もしない云が返ったと思うと、あれと呟く間もなくぎらりと彼女のメガネが光を反射する。
それが、蘭がオレを認めるためにさっと動いたからだと理解した途端、オレの両肩には力強く手が置かれていたのだった。

レンズの後ろで目を剥き、蘭――からかわれようと一生涯ボクだと言い続ける彼女――は努めて笑顔で語りかける。

「ねえ、かさねちゃん……ボクにそこのところ、詳しく話してくれない?」

決して逃すまい。
瞳から彼女のその真剣ぶりを受けたオレは、やっぱり蘭はレア物だったんだな、と確信するのだった。


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