第十一話 だから、私は嘘をつく

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

そこは、空間を覆わんばかりに大体が竹に竹に竹に竹で出来ていた。
まだ青いものや朽ちかけのもの、そして目印に難儀する程の似たような太い竹。
そんなものばかりが植わって入れ替わり立ち替わり伸びているそこは、当然縦横無尽に地下茎が張り巡っていて、足下は凸凹極まりない。
そんな地に立ちこめる霧はまた深いものであり、目印なんてろくにないこの地を踏破するのは大変な危険が伴うとされた。
迷いの竹林と名付けられたその未開の場所は、太古から現在もそれこそ幻想郷の多くの存在から見て見ぬ振りをされてきている。

「相も変わらず、この地は迷うな……いや、ここに通うのも何度目かも数え忘れたが、それでも私には無理だ。やはり彼女の手を借りざるをえないか」

しかし、今日も手の平でひさしを作ったところで遠くは望めないその地に足を気軽に踏み入れている女性が一人。
銀に青で形作られた煌めく髪を棚引かせながら彼女、上白沢慧音はそこそこ竹林を歩んだ後に、諦めに足を止める。
土地勘を延々続く竹背景という視覚情報に邪魔をされ、うろつくばかりでは流石に飽きざるを得ない。
ここでは土地由来の妖精すら迷いかねない、そんな変化に乏しい場所。
とはいえ、月の影響強いここを住み家とする妖怪だって存在しており、そもそも永遠亭というとびっきりを隠しているからには何もない筈がない。
そして、迷いの竹林の内にある竹以外の数少ないものの一つ。小さな獣が慧音の足下にやってきて、鼻をひくつかせた。

「きゅ」
「ふむ。兎か……丁度いい。私は博……いや、上白沢慧音。てゐのところへの道案内を頼んでも構わないか?」
「きゅっ!」
「いい、みたいだな……ああ、可愛いな」

まるで綿毛の鞠。それは慧音も思わず笑みに顔綻ばせてしまうような愛らしい生き物。
そう、幻想郷にて竹藪を駆ける獣と言えば、まず兎が挙げられる。
住み家たる穴を作るにも不便するだろう竹林に、彼らが居着いた時期は、それこそ迷いの竹林を縄張りにしている妖怪に聞いたところで判然としない。
ただ、兎はぴょんと竹林を跳ぶばかりである。

「きゅ、きゅ」
「ああ、私が遅いのか? どうにもこう野っ原とも条件が違う竹藪を進むのは速度が出ないが……やるだけやってみよう」
「きゅ!」

だが、実のところ彼らは一匹の妖怪兎――因幡てゐという――を仰いで、結果知恵を得ているそこそこ話が分かる相手。
そこら一般の人里の人間には畜生なぞと侮られてばかりではあるが、実際兎たちはこの迷いの竹林を迷わぬ数少ない賢いもののひとつである。
人里の賢者とすら謳われることのある慧音ですら敵わない、その風景に違いを見て取る認識力を駆使し、彼はぴょんこぴょんこと先を行く。
慌てて駆けるように付いていく運動不足な元巫女が息を荒げはじめてからようやく。

「ん?」

音に振り向いた彼女は、ひらりとする桃色の時代がかった衣に、ふわふわた髪を頂く頭頂に兎の耳を付けていた。
小柄な身に張り付く笑顔は欺瞞であれども愛らしいものであり、まさか彼女が神々の時代を生きた存在とは思えない。
そんな少女、因幡てゐの元へと小さな兎はたったとたどり着き、裸足の彼女の元で獣は短く鳴いた。

「きゅ!」
「なんだよおチビ。私に客って、そんな人間大体ろくな奴じゃないんだけどさあ……はぁ、ただ案内にあんたを使う程度の頭があるヤツってのは気になるか」
「久しぶりですね、てゐ」
「って、慧音。あんたか……噂に聞く限りだと巫女は廃業したらしいが、元気だったかい?」
「はい。てゐこそ、壮健なままで何よりです」
「ふん」

眼前で微笑む元少女にシワ一つないのは、良いのか悪いのか。絶頂で妖怪化したらしい巫女崩れ。だが彼女とて幸せな一児の母でもある。
それを憐れむことこそ嘘だろうと思い、てゐは鼻を鳴らす。何せ、他と波長が合わずとも長生きできるのは良いことだと結論づけて、幻想郷最長老の類ですらある兎はそっぽを向いた。

因幡てゐは、ただの兎だった頃に数奇な縁から再び拾えた健康を大切に気をつけるようになった結果、妖怪と変じてもその中で群を抜いて長命な生を送っている変わり者の兎である。
あの月に住まう神々にだって、終わりは必ずある。ここまで生きたなら、私があの偉そうだった奴らを追い抜いて生き続けるなんてのを目標にしたって悪くはない、と月を見上げながらこの頃彼女は考えてすらいた。

でも、そんなに多くのものを見送って来てばかりの、でも気性に波がある彼女だからこそ捻くれた形で人恋しくなったりもする。
多くを嘘として発散するてゐなのであったが、しかしこの眼の前の変わり者の頭でっかち――満月には本当にでっかい角を付けるようになったことまでは知らないが――に対しては思いの外素直である。
それは、幼子だった慧音に優しい優しい兎さんと嘘をついて近寄ったまま、その面を今更外せなくなってしまったからだった。
元気に足元にぴょんぴょん跳ね回る眷属達を他所にちょっとつまらなそうにしながら、因幡の白兎は、言う。

「はぁ。あんたって、巫女だからかと思ったけど、辞めても相変わらず畏まってくるんだねえ、堅苦しい。こんな可愛らしい兎ちゃんに大の大人が頭を下げ続けるなんて、滑稽なもんだよ?」
「いえ、実のところてゐの本質を見抜けぬ方が阿呆でしょう。それに、妹紅と知己になるずっと前から貴女の情に頼り世話になりっぱなしの私には、頭が上がらないものです」
「私の事情をあんたがどうして知ってるかは忘れたが……そりゃ迷って泣いてる子供が居たら、一度だって親に成ったことのあるもんだったら抱き上げるものさ。その後もよちよち歩きっぷりに私が黙ってられないって手を出してただけなんだから、気にしなくていいのにねぇ……」
「ふふ、貴女は私の前だと普段の嘘つきぶりこそが嘘のようですね。あ、ちなみに私がてゐの神格やらを事情知ってるのは幼少に貴女の昔語りをよく聞いたのを忘れていないから、ですね」
「ちょっと前の私の口の軽さ、嫌になるねぇ……でもまあ、話しといたおかげであんたが降ろしたダイコク様に一度お礼を言えたのは良かったよ」

やっぱ幸せになりました、ちゃんちゃんってのは分かってても私の幸運の及ばないところでどうしてたとか気にはなってたからね、と続けるてゐ。
人間を幸運にする程度の能力を持ち合わせている彼女も、もう手の届くはずのない恩人への多幸の願いは、人並みに持ち合わせていたようである。
そんな会えないと思っていた恩人と再会させて貰えた少し前ことを思い出し、彼女は照れくさそうに笑んでいた。

慧音はその昔、博麗の巫女として研鑽を積む中最初の神降ろしに大国主を選び、特訓の末にそれをはじめて恩人の前で成功した当時のことを思い出す。
嘘つきなてゐの本心は半分隠れていたが、慧音に察せはした。だからこそのサプライズの成功は、未だに良い記憶となって大人になって半分獣――同じ――となった彼女の心を温める。
近寄り擦り付いてきた子兎の頭を撫でてから、子供のように柔和に微笑んで慧音は冗談を口にする。

「ええ。あの時は涙目になって、てゐも可愛らしかったです」
「全く、私のこの幻想郷いち可愛い兎さん振りに今更気づくなんて、あんたも大概賢くないね」
「ええ……そうですね。私は賢くない、のでしょう」
「んん?」

瞼を落とす慧音に、てゐは思わず首を傾げる。浮かんだ太陽が疾く沈んだ。
そのように、折角笑顔に成ってくれた可愛い子が、自分の余計な一言のせいで消沈するのは、面白くない。
そして、そもそも冗談で口にしたが、この慧音という人物が賢くない筈がないのだった。

学びは多色を容れること。ただ長じるばかりではなく、柵を知り、限界を覚え、余計を受けるものでもある。
その中で、純粋を維持できている存在が賢くないなんて、それはなんて嘘だろう。

だが金剛石は果たして己の輝きを知らないのか、しばらく黙りこくる。
そんなことになってしまえば、柄にもなくてゐも悩んでしまう。
嘘でもついて他人との絆を都度確かめるのも臆病兎には必要だが、そもそも楽天的にストレスを溜めないことこそ健康には大切。
だが、太古に皮剥がされた痛みには及ばなくとも、このすっかり愛してしまっている人の子が沈痛にしているのは、苦しい。
だから、掛ける声を探し、しかし幾つも思いつくそれらがいかにも軽いものでしかないことを情けなくも思う。
てゐが、ついこうなったら近くの落とし穴にでも誘導して落とし、無理に空気でも変えようかと血迷ったそんな時。

「……失礼します」
「おや?」

慧音はてゐの隣の、石塊の上に座した。
良くわからない、行動。だがそれが二人の距離が一歩だけ寄ったことでもある。
相変わらずどこか悲しそうでも、それでも悲しむ彼女に対して私は余計ではないのだ。なら。
そう考えるてゐだが、臆病な彼女はぺろりと乾いた唇をなめてから、余計なことを口にしてしまう。

「あんた、またお師匠様のところに向かう気だったんじゃないの?」
「ええ。でも……辞めました。今は正解でなくとも、貴女に少し甘えたい」
「そっか」

それは確かに賢くはない、選択。
変事には心を休ませるよりも、根本的な解決こそが求められるものだろう。
だが、それはあまりに健全過ぎる意見で、弱さが考慮の外。一歩踏み出すことの怖さへの想像が、抜けている。

今日この日は、満月の翌の日に当たる。つまり、上白沢慧音が半獣の状態で存分に我が子を可愛がったその次の日。
最愛の娘を感じた後に、また翌月までそれを感じられない嘆きを覚え続ける、そんな温もり欠けた一日だった。

愛は、どこに。そんな言葉はなかった。
だが声にならなくても、見失ったならここにもあるよと、撫でて教えてあげるのが年長者の役目。
柔らかに、赤子のような手のひらが、銀の髪を探るように擦った。

「あんたはね、十分頑張ってるよ」
「ありがとう、ございます……」

私は果たして、どうしたらいい。その答えを真に聞きたければ、奥の永遠亭にまでこのまま足をのばせばいい。
だが、その答えが優しいばかりでない可能性だってあった。正しさが人の心を傷つけることなんて、幾らでも記されていて。
もし、先生に教えられた正しい選択のために、あの一夜の間違った温もりの時間が失われてしまうのだったら嫌だと、頭でっかちはこうして怯えてしまうのだった。

柔らかに、撫でるのは続く。だがそろそろ青色をしたところを探り出したてゐは、あっけらかんとこう言い出した。

「だから、私は嘘をつくよ」
「え?」

因幡の素兎。それは幸運をもたらしたもの。そして、そのまま尊ばれながらもここ迷いの竹林――高草郡――に隠れて求められるのを恐れ続けた結果妖怪になって、そして死を嫌い続けてこれまで。
第一、兎の耳は敵を察するために発達し、兎の脚は敵から逃げるために発達していた。それは嘘を精々の冒険として少女が臆病に暮らしても、仕方がないことだった。
だが、そんな起伏を生命の初期に使い果たしてしまっているようなてゐだからこそ、今必死に思うことがある。
それは簡単な願い。幸せを与えるばかりの獣はだが今を満足として、言葉を紡ぐ。

「――――大丈夫。この私が付いてるんだ。あんたの物語だってきっと、めでたしめでたし、さ」

今に賢しいばかりで遠く未来を見通すことさえ出来ない獣は、だからこそそう神に乞い願うことを断言として伝えた。
勿論それは当たるか分からない不明。現時点では嘘っぱちに他ならないもの。
でも、慧音の前ではあまり嘘をつかない彼女があえて発したのだからこそ、大切である。

「ありがとう、ございます」

撫でる指先は未だ止まず、小さな半獣は、更に自分よりも小さな妖獣に慰められて。

「迷って、ここに来て良かった」
「そりゃ、良かったね」

迷いの竹林に迷妄に救いを見つけ、自分の選んだ三角形の選択をひとまずは良しとした。
無為な時間に、慰労だけではない親愛の紡ぎが交わされる。

はらりと、銀の髪が小さな指に梳かれるのは、そのまましばらく続いた。


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