今宵のワインレッドの空はまるで塗りたくられた血のようだと空を刺す鏃のようなレミリア・スカーレットは思う。
悪たる本心である彼女にとって、大凡人は内側まで暴露された姿こそ本質。
上等にも衣服どころか皮膚まで含めたその大袈裟なラッピングに、あまりに妖怪らしいスカーレットは惹かれない。
大事なのはやはりその血みどろの内側。美味しきその紅い泥濘こそが吸血鬼にとっての人の価値である。
満月の夜に改めて赤をばらまきながら、彼女は花の唇を踊りに合わせるかのように艶やかにも動かすのだった。
「人は死に近づけばそれだけ芳醇になるもの。まずは頃合いを教えてくれる苦しみの悲鳴を聞かせて欲しいところね」
「言ってろっ!」
だが、そんな人でなしの弱肉強食の押し付けに喜ぶ人間などいない。
摂理をもとにしかし全てから浮いてしまう博麗霊夢には特に響かず、近くでうるさい雑音として力を飛ばす。
輝きは目出度い五色となって悪のレミリアを追尾するが、彼女の動きは悪辣にも同士討ちばかりを誘うもの。
一寸の自力を披露することもなく避けきったレミリアは、迫った紅き炎をその衣服に掠めさせながらグレイズの音色ばかりを楽しんだ。
彼女は、もう一人のレミリア・スカーレットにこう告げる。
「ふぅ。上澄みたる表層でしかないスカーレット。光を梳いてばかりの貴女に用はないのだけれど……まあ、別に自分殺しというのも偶には楽しいことでしょう」
「この私、性根腐ってるんじゃない? わっ」
とても考えられない悪役的な言葉を自らの口から聞いてどうなってるのかと驚く善きレミリアは、故にこそ半身のその転調極まりないリズムに合わせることが出来ずに右往左往。
現状の訳も分からず、霊夢の背中を追い掛けてばかりの彼女は本日運命の外の壊れた事態にて驚いてばかりである。
数多の力の鏃を避けられるのは、自分の厭なところなんて理解できてしまう彼女だからこそ。
普通なら墜ちて行く中、故に霊夢と共にずっとずっと夜を背負うレミリア・スカーレットを悔しく見上げ続けた。
やがて、ヴァンパイアの手のひらは解かれて広がる。紅霧は最早極まり世界をキャンバスに十全に芸術を成してしまう。
「そろそろね」
つと見下げる少女の瞳に心の色は欠片もない。どうでもいい全てをただ瞳に映すだけの彼女は故にスカーレット。
そして、赤は紅を纏わせ黒をすら覆って、コールタールのような夜に存分に塗布された挙げ句、月すらを染め上げきった。
最早、今宵が大きな異変として後々にまで語り継がれるのは必定だろう。
それくらいにこの辺り一帯全てが紅魔に濡れた。
大きくその小さな手を広げながら、彼女はラストスペルとしてこの遊びを言葉にする。
冗談みたいな量の赤の魔法がそれに合わせて夥しくも披露された。
「さしずめこれぞ「紅色の幻想郷」!あはは! スカーレットのもとに、何もかも沈みなさい!」
「っ」
「うぅ……」
反駁したくとも辺りは吸血鬼がばら撒く紅が、烟って煙ってどうしようもない。
濃度を増した紅霧は、そんなのどうでもいいとする霊夢どころか殆ど同様のレミリアにすら障る中、スカーレットの瞳ばかりが赫赫と輝いていた。
なるほどここ幻想郷にて力のバランスの一角を担えるレベルの力量を持ったレミリア・スカーレット程の大妖が夜に羽ばたけばこれくらいは出来るのだろう。
或いは、今宵は最早彼女の独壇場となってしまっているくらいに、異変はとうとうどうしようもない域にまで届いているのかもしれなかった。
もうこれでは弾幕を視認するのも難しく、何もかもが彼女の力に蹂躙されるばかりだ。
希望そのものであった博麗霊夢ですら紅にびしょびしょに逃げ惑っているだけ。ましてや力の半分以下しかないのだろう善きレミリアは削られすぎて最早ボロボロの欠片でしかなかった。
夜に勝つのは、なるほどこのどうしようもないレミリア・スカーレットなのかもしれない。
「違う、でしょう……」
だがこうではないのだと、力ではなく闇の王たる心ばかりを引き受けてしまっているレミリアは首を振る。
力は振り撒くものではなく目的のために効率的に用いるのが適当。そんなのすら分からないこの悪のレミリアは、どうあがいたところで支配者には器足らず。
こんなのは悪ではなく害。そんなもの、認められず永遠に認められないまま摂理に消されてしまうのが当然。
「あぁっ!」
とはいえレミリアとて己が内に元来バケモノを飼っていたことなんて分かりきっていた。
妖怪の中の、妖怪。他を容れる余地のないレベルの狂気。それを抱えて個々まで生きてこれたというのに。
根底にある誰にも理解できないだろう孤独な性根。それは、血に生きるバケモノとしての本能そのもの。
それをこんな風に披露されてしまったのはあまりに恥ずかしい。だから、善のレミリアは顔を紅くしたまま。
「――運命「ミゼラブルフェイト」――」
自らに繋がる運命の鎖をじゃらりとそのか細い手首から伸ばすのだった。
愛というのは多く伝染するものだ。
突然発生する場合も勿論あるだろうが、大概において親から子へと伝わっていくものが人間の愛である。
だが果たして人間の恐怖から生まれた形、妖怪というものに伝わる愛などあるのか。
「あるに、決まってるじゃない」
しかし逸話のみを頼りに己をヴァンパイアの末裔と自認するレミリア・スカーレットは、友からの疑問にいっそ頑なにまでそう呟いていた。
スカーレットは、一族として存在する妖怪の形態である。人に紛れた恐怖のいち。だが悪しきその血を誇る彼らはその実貴さを自称していた。まるで孤独な人の真似事のように特別な故もなく。
「吸血鬼は、人間と背中合わせの存在……つまり殆ど人間なのよ」
在りし日のレミリアは、パチュリー・ノーレッジの前でだけこんな本音を呟いていた。
人間の恐怖はだからこそ人間の側を離れられずに多く似通う。ある種人の影のような存在である妖怪ども。
またその中でも吸血鬼ほど人間に混じった存在は中々いないのではないだろうか。
そんな風に、もと人間の魔法使いと吸血鬼の血を半分ずついただいて生きるレミリアは、至極冷静に己等を分析していた。
「パチェ。妖怪たる我々は人の栄華を許し難い。だが……片割れたる夜ばかりを支配し、私はそれを許すんだ」
「愛するがこそ?」
「その通り……不味いわね、これ」
最近パチュリーにする小悪魔の仕打ちを真似て作るようになった咲夜のお手製水仙紅茶をいただいて、渋い顔。
だが、それでも苦みを楽しんで仕方ないわねえとしてしまうところ等、あまりにこの吸血鬼はバケモノらしくない。
そう思い考察を深めながら、だから面白くて友誼を深められたのよねと、つと想起しつつ魔法使いはこう歌うように実のところを諳んじる。
「吸血鬼には根底に人に対する同族嫌悪があり、故に貴女の大事にする愛こそ狂気である」
「そうなのでしょうね」
「この館で真っ当なのは、フランドール・スカーレットだけ。故に、彼女の正気は狂気と排斥された」
「……親殺しが正しいと?」
「むしろ、気安く触れる人を見て害さない妖怪などあまりにらしくない」
「そうだったの、かもね」
紅魔館は狂気の館。発生したように本の山から現れたパチュリー・ノーレッジという少女は初対面からそう持論を述べていた。
そしてそんな意識はずっとそのままであったようで、そんな意固地なところを含めてレミリアは彼女が愛おしい。
鋭い舌鋒にて切りつけられながらもそう思えるのだから、確かにおかしいのは私の方なのだろうと彼女は理解する。
でも、こんなおかしさだって楽しいのだから、何時か教えてあげたいと運命を手繰り続ける自らはそれ以上にフランドール・スカーレットの姉なのだろうとも自認しているが。
苦いばかりのものを空になるまで呑み込んでから、変りものの吸血鬼はこう続けた。
「でも間違って、私たちは家族になれた。だから私だけでもそれを大切にしたいの」
「それが、怯える妹を500年近く地下に沈めることになっても?」
「ええ……幸せは一面だけではなく、積み重なったレイヤによって作られる。全ては運命に連なって……そして」
レミリアが語るそんな持論は、目の前の本の虫だからこそよく理解できるもの。
物語を1ページで認めるなんて、あまりにナンセンス。そして、善悪のみで全てを捉えるなんてなんと近視的なことか。
善くなくても、悪くても。どちらでも命だ。そんなことに小利口さで首を振ってしまうのは勿体ない。
だからお姉さんは頑張って、何時か彼女のための救いを与えるためにもとそのために何もかもが数奇に染まっていくのを仕方ないと認めながら。
「ふふ」
日の底の花のように淡く、微笑む。日傘を手にするデイウォーカーなんて吸血鬼としては大きな外れ値だと知っているから、自らがあんな真っ当な吸血鬼に寄り添うのは難しいとは分かっていても。
願う手のひらはあの日の母のように、強く握り込まれる。正しさが或いは命を脅かしかねないものであるならば、そんなの要らないと微笑みながら、お姉さんは呟く。
「間違っても、みすぼらしくていいから、笑って生きてってあの子に伝えたいの」
あの子は間違ってなさすぎて、お利口すぎるのよと、フランドール・スカーレットに対してレミリアの届かぬ声が響いた。
そのことを特に哀れとも思わず友達は項を捲り続けるその手を止めてから、こうとだけ返す。
「その結実が人任せであるのは構わないの?」
そう、パチュリーにとってそれはとても不思議なことだった。
こんなに家族であることに拘泥して、驚くほどお姉さんをやっているレミリアが、しかし手ずからする愛という熱の伝達を諦めているなんて。
それはどうにも面白いことではないなと魔女は思う。情緒というものを長じさせるにこの子以上に適当な相手なんて居るのかしらと我が例を参考に疑問を溢れさせながら。
しかし、既に苦みなんて全て呑み込んだ彼女の杯の底は真っ平らで真白く輝いてばかりいた。
レミリア・スカーレットは、幸せだったあの日にした決心のままに、父と同じく妹のことだってこれっぽっちも諦めていない。
「ええ。私の愛はあの子は見知っているから……それに一度くらい、思い知ればいいの」
父親譲りの紅の瞳に、母譲りの輝きを乗せて。その上で彼女の結論は何時だって子供のまま。
「母の愛に勝るものはない」
そう、断言するのだった。
さて。どうして針の筵の世界を生き続けているのか、不思議に思う時が上白沢慧音にもある。
生存を求めるだけで削れる身体。瑞々しい設計図は老いによって毀損され、次第に四苦八苦を強く思い知る。
そして何より、自分という命がそもそもなければその分他の幸甚は豊かになった筈だ。
生じて、それを続けて何を成したところでそれは悪の立脚による犠牲の果て。善く生きるなど、六道輪廻の最中ではそもそも無理だ。
「それでも君は、そうあろうとしたのだな」
「あ……」
しかし、バカ正直にもフランドール・スカーレットは地に籠もった。
怜悧でありながらだからこそ愚かしくも生きること、即ち《《全てを壊してしまうこと》》から逃げて、死ぬように生きたのだ。
それこそ、幸せになることすら忌避し親の愛も拒絶して、見捨てられて疾く死ぬためにと狂笑を続けていたのに。
それでも愛なんてくすぐったいものを向け続けてくる姉をやっつけたと思えば、もっと大変な熱量がやって来てしまった。
どんな破壊的で半端な駄々も、ものともしない本物の強者。けれどもそれはどうしたってこちらを傷付けようとはしてこない。
「全く、困った子だ」
「あう」
半分人間で、半分妖怪。そんな中途半端な存在は接近の果てにフランドールの額に額を重ねた。
いっそ冷たく感じるほどの温度。でもそれが恥ずかしくなるくらいに熱くって、嫌だ。
背けた瞳を覗く深い赤。こんなのをそういえば以前覚えたことがあるような、と思った彼女に彼女は。
「良いとか悪いとかそんなの気にしないで、子供は好きに生きるべきだ」
そう、蘊蓄とか何もかもを抜きにしてそんな本音を零す。
攻撃を塞ぐためが最初だったが今はゆるりとフランドールと慧音の手のひらは結ばれあっていた。
だが心はまだまだ遠く、フランドールはこう反発する。
「そんなの……格好悪い」
「ふふ。たとえば無様に生きて、悲惨に死ぬとして、そのどこが格好悪い?」
「そんなの全部よ! スクロールの先に救いがないなら、そもそも動き出すのが間違いだった!」
「そうか。だが私には何もかもが輝いて見える……私以外は全て」
「っ」
フランドールが嫌だと首を振るもの。つまり生きていた殆ど全てを一度慧音は忘れている。
だが、それでも性は変わりなければ、自分なんかより他を大事にするその生き方は変わらない。
ままらないな、と思いながら彼女はよく似た誰かに話しかける。
「なあ、フランドール。私と同じく自分より世界を大事にしようとした君」
上白沢慧音は馬鹿ではない。だから、自分が過って何か大切なものを棄ててしまったのだということは分かっていた。
本来なら顔を上げることすら憚れるほどの醜態があったに違いない。だがそれでも、彼女が愛するのは止められなかった。
幸せになって欲しくて手を伸ばす。それが生きることなら悪いとしても止められない。
上空が戦いの音色に激しく揺れるのを感じながら、慧音は確と問う。
「それで、満足になれるかい?」
「……満足な死なんてきっとないわ」
「だが、足るを知らなければ満ちることすら望めない」
「屁理屈。慣れに不感を更新する生き物の限りない欲の果てに、幸せなんて一瞬だけ。そんなの、死に勝る価値はないわ」
「聞くにひょっとすると、だから君はいちばん大切なものを壊したことがあるのかな?」
「ええ……」
目の前の親身になってくれすぎる他人は、まだ大事ではない。
だから少女は、あの日の本当のところをこうして語れたのだろう。
優しき本当は大好きだった母のことを思い出しながら、フランドール・スカーレットは続ける。
「あの人は、私に笑って生きてほしいと言ったわ。そんなとても嫌なことを望んだのっ」
「君はその半分を今も叶えているな」
「それこそ呪いみたいなものよ! あの人が可哀想だからって壊した私なんて本当に死んだほうがよくて……っ」
「はぁ……そんなことだけは、ないさ」
「あいたっ!」
今度は強く額をごちん。それだけでフランドールは火花が散るような感覚を覚える。
頭突きなんてされるのははじめてと涙目になる彼女に、母親だった彼女は。
「私は親は、親であるために子を泣かすべきではないと思う……でも、親のためにこんなに涙してくれる子は、なんとありがたいものだと思うよ」
「私は泣いてなんかないっ!」
褒められ檄する生真面目なへそ曲がり。だが実際フランドールにはこれまで母のために泣いてきた憶えなどなかった。
一人でずっと膝を抱えながら空隙を生きるばかりのこれまで。生まれてしまった後悔にだって我慢し続け涙したことなんてないというのに。
「嘘だろう?」
「それは……」
だが、間近の大人は仕方ないなと微笑むのだ。
それに、どうしてだかフランドールはぐうの音も出なくなる。
今更ながら、495年分のメランコリーが母への後悔のためでなかったとは思えないから。
次第に多く、赤が降り出す。それが真っ二つにしたはずの姉が暴れているためだということに、なんだかホッとするフランドール。
変わらず、変わりたくない。そんな思いを前に、しかし慧音は繋がっていた手のひらをそっと解いてく。
「さて」
「あ……」
そして、一歩だけ離れた。
それを惜しく思うのはどうしてか。自らが活きる理由など欠片もないというのに、何故私はこうも命を求める。
何も分からなくなってしまった賢かったはずの少女は、こちらを見つめながら構えもしない彼女の声を諾々と聞く。
「フランドール。君は私を哀れと思ってここで壊してしまってもいい」
「……うん」
「でも、私は出来るならこれから君と一緒に生きてみたいと思うよ」
「……どうして?」
真上で花火でも上がったかのような音。
それが自らの鼓動に重なり、胸が痛い。
幸せになりたくない彼女は、でも期待にはち切れんばかりの胸元を押さえるのに精一杯で、きゅっとしてドカーンなんてとても出来ずに。
「私は君の笑顔がもっと見たい。それだけだよ」
そんな、他人の本音を聞いて。
「あは」
弛緩し両手をだらり。思わず、幸せに笑ってしまうのだった。
そして、一度花火が上がれば、落っこちてくるものもある。
今回それは、真っ赤な流星。先のスペルカード対決の結果再び一体になったレミリア・スカーレットは、しかし善悪に別れていた筈の心を一つにしていて表も裏もなく。
「フラーン!」
「わ」
やっと本心の笑顔になってくれた大切な妹に勢いのまま抱きついて。
そうしてこれまでまだ届かないだろうからと隠してきた本音を叫ぶのだった。
「今まで言えなかったけれど――ありがとう! 私の妹として生まれてくれて、ありがとうっ!」
それは、お姉ちゃんとしての心よりの言葉。
愛は伝染り、そしてやがてこうして燃え上がることだってある。
それを確かに聞いて、ぼろぼろになった姉の優しき抱擁ばかりを感じる妹さんは。
「あは……は、うぁあああっ」
もう笑ってなんて、いられない。
それこそ産声以来の大声をあげながら、フランドールは泣いて、泣いて。
「ごめんなさい、ごめんなさい……生まれてきてごめんなさい……でも」
最中に幾度も悪たる自分への後悔の言葉を溢し続けながらも、だがしかし。
「ありがとう。こんなの、嬉しい、よお……」
今まで生かしてくれた全てに対して感謝するしかない。
泣いて、でも笑って。再びの産声を上げた彼女は幸せになる他にはない。
そう、たとえ完璧なめでたしめでたしなんて、残酷なまでに優しすぎる彼女の物語にはないとしても。
「良かった」
それでも。今日が良いから明日を生きられるというのは間違いないのだと、そう思わずにはいられないのだった。


コメント