第十五話 弱っちい

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

蝶よ花よの言葉はあれども、誠に野花の生は辛いもの。
日に灼かれて虫にたかられ、水を蓄えることすら難儀する。そもそも、身を委ねた地に命を預けることすら生半可な生き物であっては出来ないこと。
だが、それでも花は咲く。歪であっても汚れていようが、愛のために。選ばれ手折られることを誉れと押しつけられても構わず咲き誇る、それはあまりに一途。

「好きだから、よ」

ああ、愛されるはずである。彼女は正しく花だった。

博麗霊夢は孤独ではない。それは、間違いない事実である。
最近こと一人にさせてくれないような、そんな妖怪と知り合ってこの方愉快の方に親しんでいるが、そうでなくても別段ずっと彼女は哀しいばかりではなかった。
霊夢は誰かを頼りにするのを苦にする性格ではないし、そもそも優れた能力から年齢以上に頼られがちだ。
先日の八百屋の婆さんの腰を痛めたからありがたい祈祷で治してくれという依頼などには顔をしかめた覚えがあるが、そんな些事でも力になってくれると思われるくらいには、霊夢と人里の人間との心は離れていなかった。
あいさつもすれば、利発な応答だって簡単。同じくらいの子供の相手は苦手なようだが、大人と対等以上に立ち回れる。
そんな巫女様である子供は、しかし一人の子供として大事に想われていないこともなかった。そんなの、霊夢はよくよく知っていたお利口さんだ。
故に、彼女が覚えていた寂しい思いはちょっとだけ。でも、それだって慰めてもらったからこそ、少女は今も活きていられる。

「はぁ。ここらの奴ら、なんだか、つまんないわね……」

しばらく続いた戦闘の間隙に肩で息をしながら、霊夢はそんな感想を抱く。
霊夢は境界を越えた後、博麗神社の裏山にある謎の魔法陣から優れたその勘を頼りに異世界へと出張していた。
するとそこは正しく夢幻の世界。見目楽しませる、ファンタジックな装いをした全てに古風な巫女さんは度肝を抜かれた。だがしかし、その場を探索してみると、あまりに現場に生の香りがしないということにも気付く。

「うーん……」
「強いけど、それだけ」

折角誰彼が開闢した世界であるからには、自然そこを埋めるための魑魅魍魎だってたっぷり存在した。
だが他との関わりは最低限で、己の力に頼って存在している。そんな、幻想の妖怪の平均よりも力強いバケモノ達は、どこか綺麗すぎた。
光り輝く己の出力を楽しむばかりで、泥臭い工夫などそこにはない。侵入者なんて珍しい、私を見てと、暴れるばかりの子供がそこら中から襲い来る。
確かに得意にしていた彼女らの図案は美しかった。とはいえ、それは天才のみを頼りにした寂しいもの。孤独の形象は幾ら尖っても、花弁にならない。
己の鼓動以外に愛を知らない孤独共の切っ先は、余りに鋭くも真っ直ぐすぎて搦め手ひとつで手玉に取れる。
もっとも、それは天賦を持ちそれを妖怪退治で磨いた生粋の博麗の巫女である霊夢であるから出来たこと。
ただの体力のある子供である魔理沙は勿論、多少の異能を持った程度のサクヤにだって到底不可能ごとではある。
だが、しかし。この場の誰より胸元に燃えるものを持つ霊夢は、だからこそ使命感を持って周囲の化け化け達をすら気にも留めずに暴れる彼女らを一蹴する。

「この子強い~」

妖精のような、よく分からない過激な存在は、化け化けたちの消失をなぞるかのように消えていく。
そのまた生きる汚さのない去り際につまらなさを覚えた少女は、こう思う。

「はぁ。こんなの、脆いし、弱っちいわ」

無闇に愛に溢れたあの人のような、強さを持った存在は果たしてここには居ないのか。敵対者が弱いことは楽であることは分かるが、これではただ掃除をしているのと同じ。
きっと母のようなあの人と会う前はそう思わなかっただろうけれど、ああ、愛という強さを持つものが見当たらないこの世界を哀しく思えてしまうのは間違いでは、きっとない。

「……早く、帰りたいわね」

さて、霊夢がこのような感想を持ってしまうのも、まあ仕方のないことだろうか。
霊夢が先ほどから足を踏み入れているチェック模様が特徴的な屋敷は夢幻世界の端っこである夢幻館。
その門前で待ち構えていた可能性のある自称門番は、今日は非番と決め込んでそこらをふらり。そう、力ない侵入者を死なせないために夢幻館の門の番をしている優しき彼女、エリーを抜きにして、この伽藍の屋敷に心はない。
あるのは酔狂な悪魔たちと、力に引き寄せられた雑多を容れても最強な一輪の妖怪ばかり。

「ふぅん」

しかし、ならばこそここには間違いなく歪んだ悪意は存在する。
花天月地にこの世はあまりに美しく、故にこそ心はあまりに満たされない。
空に座す最強ですら消極的であるなら、地に降りた月は果たして何を求めればいいのか。

それはきっと、無様な他人。己を他で支えなければならないような、そんなどうでもいいもの。活きた、存在を少女は目に入れる。

「あ、か弱いもの、見つけた」
「っ!」

手頃そうな虐め甲斐のある弱いものを見つけた、幻月――夢幻世界と夢幻館の創造主の一翼――は、口と羽根を弧のように持ち上げる。
悪魔は身構える霊夢の無意味を嗤い、そうして。

「私が遊んであげますわ、お嬢ちゃん」

彼女が行ったのは歓迎の美しきカーテシ―。
最強直下の実力を持つ、最悪の魔の威容を目に入れて、そのなめ腐った態度を理解した霊夢は柳眉をこれでもかと逆立てて。

「上等っ!」

まるで怖じる自分を鼓舞させるかのように、格上に対して汚い啖呵を切るのだった。

 

その少女は、髪色と同じく正しく金のような値打ちの少女である。
彼女は何色にも変われる純真であり、もしくは普通、中央値。故に、これでもかと彼女は紅美鈴という愛の塊に触れて、それにかぶれた。
やがて、それこそ彼女はあまりに普通にもこの世に愛を振りまく千金と変貌する。
見知らぬ妖怪にだって親愛を覚える彼女はどう考えたっておかしく、また変で、そして稀少だ。
危なっかしくて本来ならあり得なくっていいのに、それがあり得てくれた。そんなもの、どう考えたって計り知れないほどに欲しいものには価値がある。

「……さて、それでは失礼しますわ」
「むにゃ」

また、そんなのどうでもいいと考えるものにとっては、それだって輝くだけのただの石ころ。そんなところだって、霧雨魔理沙は金と同じだった。
夢幻世界へ最強以外の何にも知られることなく潜入した愛を計りに入れない存在は、眠らしていた金をその場において隙間に消えていく。
やがて、かけられていた術が解けたのか、目を覚ましてぱちくりとその大粒を瞬かせてから、魔理沙はこう呟いた。

「うーん、ここ、どこ?」

少女の目に映るのは、どこもかしこもどうにも赤が悪目立ちする眩いチェック模様。センスが良いとは言いがたい、その一室には家具一つない。
そして入り口すら判然としない広大さも持っているとあれば、魔理沙が自分の居場所を定義するに困るのは当然と言えた。
また、更に彼女はいつの間にかここに連れ込まれているのでもあることだし、なんでだろと思わず不明でその頭をこてりと横に倒してしまう。

「そうね、ここは夢幻館というわ」
「わ」

しかし、そこにふうわりと、疑問を聞いた天辺の少女が現れる。
魔理沙をびっくりさせたのは草木の緑と血錆びの赤がはっきりとした最強。彼女こそ風見幽香、妖怪である。
幽香は実に眠そうにしながら、しかし絶世の美を保ちつつ、見過ごしてしまいそうになるくらいに小さいものを睥睨していた。

「お姉さん、飛んでる……妖怪?」
「ええ。私は妖怪ね。貴女は?」
「私? 人間だよ!」
「へぇ。それは珍しいわね」

初対面だって、嫌いに見えなければ殆どが愛すべき他人。そして、このお姉さんはとっても綺麗。ならば、出会いに嬉しくなっても仕方ない。
そんな、通常とは言えない心の動きを、幽香は本当に珍しいものと思って見つめ続ける。
まず、人間のような普通一般の生き物が、彼女の側に存在するのは滅多にないこと。そして、更にはそんなどうでもいいものが恐れ以外で顔を歪めているのはなんとも面白いものだったのだ。
ゴミ一つ落ちてきた。ならば、掃除でもしようかしらと横着せずにふらりと移動してきたのだが、そうしたらそれは何やらキラキラしている。
興が乗った幽香が考えるのは一つだ。さて、この愛以外に不感な珍妙な生き物をどういじめればいいのか、と。

「そうなんだ! あ、忘れてたけどはじめまして! 私は霧雨魔理沙っていうんだ!」
「そう。私は風見幽香と呼ばれているわ」
「幽香って言うんだ、お姉さん綺麗だけど可愛い名前!」
「そうかしら?」
「うん!」

しかし、ここまであんまりに脆すぎる生き物相手から、どうやって面白い反応を得ることが出来るのか。
幽香が人間の子供のような放っておくだけで亡くなるような存在と戯れていたのはそれこそ遙か太古まで遡らなければならない。
今や、強きものですら下手に触れば壊れてしまうくらいだから、うかつにこの少女を痛めつけるのはためらわれた。
だから、口を動かして、探り探り。どこを悪く言えば悲鳴を上げてくれるかを雑に考えて会話をする。

「ねえ、幽香ってこの……お家の人だよね。出口って分かる?」
「それは分かるけれど……私は貴女を返したくはないわね。もう少し、話しましょう?」
「いいよー!」

そんな優しさにも思いやりにも似た、手加減。愛はそこにないのに、思わずくすぐったくなった魔理沙はしばらく話してから、言う。

「ね、幽香。幽香って優しいね?」
「……その言葉ははじめて言われたわね。理由は?」

満面の笑顔。それに嘘は欠片も見当たらなく、ならばこの子供は本気で最強であり存在するだけで悪いとされる存在である妖怪、風見幽香を優しいものと見ている。
それは錯誤とは思う。思うが、しかしはじめての自分に対する形容に、何だか少女もくすぐったくなった。思わず、理由を問ってしまった幽香に、魔理沙は。

「おかーさんが時々するのと同じような笑顔をするから!」
「それは……」

つい、幽香は己の頬を撫でて確認する。
これは、小さきものに対しての困惑が色濃い、笑み。それを果たして母というものはするのだろうか。人の子の母はまた人のはずで、そして同等の筈だろうが、分からない。
眠気を忘れて幽香は身を乗り出し、魔理沙をはじめて真っ直ぐ見つめた。

「私は少し、そのお母さんというのが気になるわ」
「そう? どうして?」
「だって……」

天は端から欠けずに揃って丸い。ならば、そこに更に上など要らず。つまり。

「私には親というものがないから」

孤独な最強は、親というものを知らなかったのだった。


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