ルート1 熾火の恋人 火膳ふよう②

原作版・皆に攻略される百合さんのお話

既に壊れていて、もうすぐ亡くなってしまうことが決まっている、そんな生き物を存分に可愛がるのはどうすればいいのか、そんなこと頭でっかちなふようでなくても悩むことだろう。
透けて見えるほどに薄命。でも、少女はずっと笑顔のままで。
きっと、そんな相手を感情の赴くままなで回すのは違う。ひょっとしたら刺激を痛く思ってしまうかも知れない上、恋愛において相手をごしごし愛撫しているばかりというのは、どうにもはしたない。
でも、いつも通りになれないくらいに好きであり、そして相手も好きにして良いと言うのであるから、大いに気持ちを表したいところではあったのだ。
ならば、とふようは百合の袖を指先で引っ張り、催促をする。

「手?」
「うん。繋ごう」
「はい、ぎゅー! あはは、ふようさんったら温かいねー……ってあれ、この繋ぎ方って?」
「うん。恋人繋ぎ……嫌だった?」
「そういうことはないよ。そういえばこういうの、あたしやったことなかったなー」
「良かった」

頷き、無表情のままにしかしふようは心より良いことが出来たと思う。
百合の命はあと僅か。だとするならば、はじめての何かをする機会だってきっと少ないだろう。
そして、何よりあの葵ですらやったことのない行為を百合と行えたというのは特別な優越感をふようにもたらしていた。
その繋ぎ方の意味を深く考えもせず、妹とする何時ものようにぶらぶらと手を揺らす小さな少女。そんな少女の命の高鳴りを手の平で存分に受け取ることが出来るのは、とても愉快なことだった。

「百合ちゃんにふようちゃん、おはよう……あら、今日は随分と仲、良いのね」
「あ、椿さん、おはよう! えへへー、手をぎゅってして貰うのも楽しいね」
「おはよう、椿」
「むむ、百合ちゃんは勿論ふようちゃんも平常に見えてほっぺが紅い……何だか妬けちゃうわね」
「……存分に妬いて良いよ。何せ、私達の絆は昨日よりずっと深まってるからね」
「あはは、お手々ぶらぶらー」
「うーん……私の居ない間、勉強会の最中に何かあったのかしら? お勉強を面倒くさがらず同席していれば良かったわ」

朝の登校の最中、当然友達の一人である椿も近く寄ってくる。
けれどもどうしてこんなに二人が仲良くなっているのか首を傾げてそれ止まり。
まさか、臆病少女が無垢少女に接吻を行ったなんて想像も出来ない。
ただのおふざけで恋人繋ぎをしているのだと、二人の一番のお友達は勘違いする。
しかし、まあ百合が元気そうで良かったと、死にかけたところを先日見つけて殺しかけてしまった椿は心より思わなくもなかった。

「椿は頭が良いはずなのに、勉強は嫌いだよね」
「そういえばそうだよね! この年で経営? ってのまでやっている子、椿ちゃん以外に中々いないもんね。凄いなぁ」
「うーん……私としては、お家で文字を見てばかりだから外でもというのは、あんまりやる気が……成績なんて、今更気にならないし……」
「将来安泰社長以上が間違いなしの椿だからこそ、だね。普通の学生は成績の上下に一喜一憂するもの」
「私も折角学生でいるんだから、モラトリアム期間としてぼうっと過ごすだけじゃなく、積極的に学び取らなきゃって思うのだけれど……思うだけね。やっぱり面倒だわ」
「椿ちゃん正直だー! 確かに、あたしも勉強面倒くさいけど!」
「私としては、高校レベルだとそんなにマニアックじゃなくて楽しい部分もあるから、まだ何とかなるかな」
「へぇ……流石はふようちゃん。優等生っぽい言葉だわ」
「うぅ、あたしとしては既に結構ちんぷんかんぷんだから、頑張らないと」
「大丈夫。また私が今度一緒に教えてあげるから」
「わーい!」
「むむ……これは、私も一緒した方いいかしら?」

言い、椿は思わず嫉妬に視線を細める。
何時ものように語らって、しかし椿は遅まきながら恋人のように繋がれた二人の近さを感じていた。
さっきから手から肘までぴったりくっついているし、それに視線が交わされることが何時もより明らかに多い。
そして、何よりふようの表情がびっくりするくらいに柔らかだ。
これは何かあったというよりも、何かが変わってしまったと見るべきか。
ひょっとして、と思いさらりと周囲の人気のなさを確認してから椿は二人に問う。

「ねえ、二人とも……ひょっとして、付き合っちゃっていたりする?」
「えっと、それは……」

違うよとは言えずに、指の間まで繋がったふように視線を向ける百合。
正直な彼女のこの反応にもうこの時点で椿は察してしまう。悲しげな表情になった彼女を横目に恋人の視線を受け、あえて何でもないかのように、ふようは言い切る。

「うん。私達は恋人同士」
「ふようさん!? 正直に言っちゃうの?」

隠せるかはともかく、隠そうとはしていた百合は相方の気軽な暴露にびっくり。
ぱちぱちとルビーの瞳を瞬かせながら、少女は困る。
確かに、自分は彼女の好きを受け容れた。けれども、淡いこの想いが恋に至れるかどうかなんて分からないし、そもそもあっという間に自分は死んで終わる。
同性同士ということもあり、だから喧伝するようなことではないと百合は思うのだった。

「そう、良かった……」
「えっ?」

けれども、椿にとって悔しくもそれは吉報。先が短い少女が、恋によって残り全ての時間幸せに満たされるとしたら、それはどんなに良いことか。
勿論、隣にあるのが自分ではないことは、とても悔しくてたまらないことだけれども。

「ふようちゃんが相手なら、百合ちゃんもきっと幸せになれるから」
「椿……」

そう。相手がこの友であれば、良いのだ。
最初は暗いばかりの女の子が百合の反対隣を奪ってしまうのが嫌だった。
でも、よくよく話してみれば、ふようという少女はとても賢くて、だからこそ臆病者で、愛らしかった。
それこそ、このか弱い少女を自分のように傷つけることはきっとないだろう、優しさがある。
故に、残念だけれども認めざるを得ない。
椿も大好きな友の二人の幸せを望みたいから。

「二人ともお幸せにね」

だから、笑顔で紡いだその言葉は正しく本音で、悲鳴のような願いでもあったのだろう。

 

時計はぐるぐる回り続ける。止まるまで、終わるまで、多少歪もうとも間違えようともそのリズムはおおよそ等しい。寿命が長かろうが短かろうが、それはきっかり一分一秒を数え続けていた。

「嫌、だなぁ……」

だから、火膳ふようは、時計が嫌いだ。平等過ぎるそれはあまりに無情で救いが足りない。もっともっとと心は叫ぶのに、もう殆ど時間はない。
不眠不休となりたくとも、しかし人間でしかないふようにそれは無理。だから、またねと手を振って分かれた百合の生存を信じて、彼女の死を恐れながら、震えて夜を過ごすのだった。

「ああ、百合が死んで欲しくなんてない」

花の願いがたとえ永遠だとしても、彼女らに許されるのは恋ぐらいのもの。刹那を重ね、生きて死ねと命は告げる。そして、その間に大輪を咲かすことさえあれば素晴らしいだろうと、きっと誰もが言うに違いなかった。

「でも、その中に私はいない」

良かったねと叫ぶ聴衆から離れて、ふようの心は孤独。そう、一人ぼっちの少女は在り来りの幸せに終わりを認められない。糖蜜のような少女を抱いて、強欲乙女は運命の苦味を嫌った。
ああ、胸が痛い。快感と同時に苦しみすら与えて急かす、これが恋なのだとしたらきっとそれによって繁栄した人類なんて皆呪われている。熱病に焦がされ交わり、愛を育むそんな人生、これまで考えたこともなかったのに。
しかし、ふようとて、思わなくはないのだ。幸せになりたいと、当たり前のように。

でも、死にかけ少女とぼっちの少女の間に普通の幸せなんて望める筈もなく、このままだときっと、砂金の如き一分一秒を遠慮ばかりで終えてしまうことだろう。

「ああ、ならもう、いいや」

そうしてやっと、ふようは答えを出した。それを行うのは彼女にとってとても勇気の要ることではあるが、それでも可愛い我が身よりも今や百合の方が大事であるからには、否応などない。
時計はこれまでと変わらずカチカチと進んで、そうして少女は一歩を踏み出した。

「百合」

カーテン閉ざし忘れた部屋の中。雲なき空から届く月光眩しいばかり。無情なはずの世界はしかし、どこまでも仄かな輝きに肉づいていて。

「みんな、綺麗」

ああ、恋を前にして、世界はきっと怖くない。

 

火膳ふようは、親愛の薄い家庭に生まれた。
彼女は共に、親を欠かした者たちの子。それでも両親が愛し方を確りと伝授されていれば良かっただろう。
しかし、母も父も愛を興味とほとんど同じものとしていて、故に一度嫌えばそれをなかったことにさえした。
乳房からはじまる母子の触れ合いをすら嫌った母により、ほ乳瓶を咥えて育ったふようはだからこそ思い続けていたのだ。この世の自分以外はどこまでも他であり、愛は勘違いの産物であり長続きしないものだと。
母には本命の男性と腹違いの女の子がいて、血が繋がっていないからこそ愛せたという彼らと時間を共にするためどこかへ消えていった。
そして、愛しあっていたつもりがそれは嘘だと知った父は、母の残滓であるふようをすら憎んでなかったものにする。
そして、それだけ。どうしようもない家族しか周囲に存在しなかったふようは、彼らを反面教師にしながらも、絶望してばかりだった。

「……愛って、なんなの?」

信じていた親愛は全て裏切られてしまい、ならばどこに本当の愛があるというのだろう。両親は自分から背を向けて、教えてくれやしない。
そうなれば、自ら探すしかないだろう。温もりを期待できない不信の中、それでも愛して貰うために必死でふようは学び、手を伸ばして周囲を観察し続けた。
怖じと震えを隠すことばかり上手になり、ただ悩み続ける頭から出る言の葉の音は小さいまま、彼女は無愛想な少女へと成長する。

「分からないな」

やがて美しく、その名の由来の花と並べても遜色ない程の綺麗になったところで、しかし頭でっかちは常に頭を垂れて諦めに下を向いていた。
友情だって信じられず、好きより嫌いばかりに納得して、次第に友達だったものから離れられることばかり続けていてはさもありなん。
ふようが他人に興味を向けられる理由はある。顔の整いに、利発とされる学びの得意。気にされることはこれまで多々あったのに。
しかし、それらを台無しにしてしまうのが、彼女のつまらなさだった。
嫌われたくなくて、優しくすることすら上手くない。そんな愛撫すら出来ない半端な無口は飽きられるのがオチ。
そんな風にして、また独りになってつまらない空白を思考で埋めていたふようは。

「わ、火膳さん、そこどいてー!」
「えっ、と……わ」

ある日何やら小さな薄い何かにぶつかったのだった。
それは遅い。だから本来ならばその少女の駆け寄りなんて軽く避けられて然り。
けれども、考え事ばかりで一人を堪能していたふようには、それだって難しいこと。
だから、火膳ふようは、日田百合とごっつんこ。ただ、相手が遅くて軽くて、だから楽に受け止められたのは幸いだったかもしれない。
ふわふわ髪のその下、愛らしい顔を困らせて、百合は心配そうに問う。

「きゃあ、ごめんね、ぶつかっちゃって! 痛くない?」
「それは……うん。大丈夫」
「良かったー!」

ぶつかった相手が怪我もしていない大丈夫だということ。それに百合は過剰に喜ぶ。
痛いの嫌いな少女は、自分が相手に痛い思いをさせるなんてもっての外だと思っている。
だから、それがなくって、良かったと彼女はほっとしていたのだ。

「ええと……」

しかし、またあまりに軽いものをぶつけられたふようは、困惑していた。
これが全体で、止まれないほどの全速で、ならこれはあまりに矮小すぎる。
なんならそれこそ、生きていられているのが不思議なくらい、大きな鬆がこの子には存在していることだろう。きっと、中身が足りていないのだ、この少女には。
だからこそ、あまり人を思いやってこなかったふようですら、つい心配をしてしまうのだった。

「日田さんこそ、大丈夫?」
「えっと……何が?」
「それは……全部」

会話下手なふようは、素直に吐露する。
目の前の健康には殆ど足りていないだろう希薄は、どうして生きていられているのだろう。
よく分からない。だから、それが少し怖かった。
でも、そもそも綿の少女を恐れることほど愚かしいことなどない。百合は、あえて元気を出して言い張るのだった。

「うーん……多分あたしの全体はダメかもしれないね。でも大丈夫だよ!」
「……どうして?」

大丈夫。それはおかしい。きっと、体重などから計れるだけでも、この子は飢えているに違いないのに。足りないと身体が常に激痛でもって叫んでいるはずだ。それでも、見目が満杯そうであるからには、不足は永遠に埋まることなく少女は辛い。
考察屋は丈夫なんてこの子にはあり得ないだろうと思うが、しかし哀しいほどちっぽけな己の全てにも動じず、百合は光の中笑顔で続けた。

「皆が元気でいてくれたら、それだけであたしは元気になれるから!」

自分はダメでも他が良かったら、佳し。それは、己の他者への委託。情感も、喜びも他があるから幸せだという、錯誤。
あまりに愚かしい文言を聞いて、ついついふようは呟いてしまう。

「嘘、だよね」
「? 本当だよ?」
「そう……」

けれども、目の前の全てを愛するだけのテキスト由来の生き物は、信仰すら超越して他を望んでいた。
皆が幸せで、それでいいのだと信じて見上げ続けるそんな痛みに包まれた最低の少女。
そんなものに絡まれてしまった己しか信じられない生き物は、気持ち悪いなと心より思うのだった。

「日田さんって、壊れてる」
「うう、ストレート。……まあ、それも仕方ないよね。あたしってきっと正しくないのだろうけど」

壊れているねと言われて、是だと返す、そんな百合は端から自分が正解ではないと知っている。傷んだ、不揃い。不良もいいところだ。
でも、彼女は己を愛した親を知っていて、そして一人ではない今を幸せに思っている普通でもある。
だから、今誰より独りぼっちの近くで百合は愛を言葉にした。

「それでも、誰かを思えるなら、いいんだ」

壊れていても、機能を果たせるなら、それで良し。生きているだけで、活きるのはとても難しい乙女は、短距離走に玉の汗になりながら、断言する。
皆が居てあたしが居る。そんな幸せないよと、孤独の前でさえずった。

それに感じたふようは、表情をあえて変えずに、願う。

「ねえ、日田さん、私を名前で呼んでみて」
「えっと……ふよう、さん?」
「ワンモア」
「ふようさん」
「もっともっと」
「ふようさん、ふようさん!」
「愛を篭めて」
「ふようさん♡」
「なるほど……」
「どういうこと?」

首を傾げる百合を前に、ふようは頷きばかりを返す。
そう、なんとはなしに、分かった。しかしそれを口にするのは恥ずかしい。だからこその、無言。
単に、火膳ふようには日田百合という少女の素直が快いのだ。壊れた全体が可愛いと思ってしまったのである。
ならば、と恐怖を堪えて他人に向けて返して欲しい言葉を投げた。

「あえて私も名前で呼ぶ……百合。私は貴女というものの行く末が気になった。だから……」
「だから?」

それを口にするに、どれだけの力が必要だったのだろう。
数拍は万の時間よりも長く思え、でも言ってしまえばこれほど簡単な言葉もそうそうないものだ。

「……友達になろう」

そう、それは独りぼっちを辞めたい少女の真の願い。
怖くて仕方ない全てに対して、これくらいの単純で温かな相手ならどうかと伸ばしたその手は。

「いいよ!」

笑顔で百合の両手に包まれる。
小さなお手々は、愛する者を掴むことが得意なばかりで、そこに過分な力など搭載されていやしない。
故に、捕まることさえないのだけれども。

「……ありがとう」

ふようの心はがっしりと百合に捉まってしまったのだった。

さて、これで終われば綺麗であるのだろうが、そもそもどうして百合が駆けていたのかという種明かしも必要であるからには、蛇足は続く。

自分だけ見てくれないことに拗ねて怒って逃げてしまった少女。彼女は百合の鈍足振りを思い出して、駆けた道を引き返す。そして、彼女、月野椿が見つけたのは。

「百合」
「ふようさん!」

手を繋いでよく知らない子と呑気に歩く、大好きな人の姿。可憐の隣で知らずに咲いた花の眩しさなんて、知らない。
怒りを忘れて嫉妬で狂った椿はぽつりと、言った。

「百合ちゃん……その子、何?」
「あ、椿ちゃん! 追っかけるの忘れてたー! ふようさんは、新しいお友達だよ!」
「ふふ……怒った私を追い掛けもせず、新しい子にいちゃいちゃしてたのね……百合ちゃんはいけない子ね……」
「わ、ごめんねー」
「……いけないのは、月野さんの方じゃない? 百合を放ってどこまで逃げたか知らないけれど、そんなの自分勝手に過ぎるよ」
「なんですってぇ?」
「わ、二人とも喧嘩しないでー」

嫉妬して、庇って、驚いて。きっかけなんてそんなもの。
そんなこんなが仲良し三人組みの始まりであったらしい。


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