合わないものは、虐められる。往々にして間違っている者は、正しさに痛めつけられるのだった。
「汚え」
学校に行くことで、初めて七恵は自分が汚いことを知る。だが、それからの脱却方法など分からない。親に聞いても、そんな格好で学校に行ったの、馬鹿じゃないと叩かれた。
嫌々ながら、風呂の入りかたを教えてくれたのは、小学校の教員。物知らずを磨いて、しかしその女性はこれで随分可愛くなったとは、思えども決して言わなかった。
「馬鹿じゃねえの」
そして、綺麗を心がけ続けていたところ、また今度は他の悪点が目立つようになる。
教えてもらえなかったがための無学。文字も喋りも不安定であれば、幼きコミュニティーに不通と排斥されるのも当然。だが、此度は咲くかも判らない花に時間を裂いてくれる物好きなど現れず。
だから、ただただ七恵は周囲の一語一句を心に留めるようになる。そして、彼女は全ての一貫性のなさに誰より先に気付いてしまうのだった。
「ずっと笑ってんの、気持ち悪い」
そして、何時しか信じていた防御方法すら否定される。どうすればいいか判らず、ただ七恵は表情を凍らせた。そのまま、徐々に彼女の顔は美しく整っていく。
「偉そうにしてるんじゃねえよ」
やがて、誰にも認められないまま能力ばかりが開花して、そうして自分を虐めていた者達の口から美辞麗句が聞こえ始めた頃に、そんな文句も貰うようになった。
最下層にずっと押し込められていた人間がどうして偉ぶれるのか。自分は一度も誰かの上に立とうと思ったことはないのにと、七恵は疑問に思う。全てが低すぎただけではないのかと、少女は惑った。
「ずっと、好きでした」
そんな嘘を、全てを忘れていない七恵が受け止められる筈がない。少年のその変心にいやいやをしてから彼女は逃げ出した。
そうしてから、また虐めが始まってくれたことに、傷だらけの少女は安堵を覚える。ああ、これが当たり前なのだから、と。
「将来、七恵ちゃんはどんな人になって、どんな職に就きたい?」
貴女なら何にでもなれるよね、と何故か誇らしげにしている、一番に昔の七恵を軽蔑の眼差しで見つめていた教員が、そう問う。答えなんて、一つしかないだろう。
「私は、誰の邪魔にならない人になりたいです。どうでもいい人になりたい」
だから人の役に立つ仕事に就くことを望みます、と語る七恵の元に、久しぶりに彼からの蔑視が飛んだ。
改めて、自分が存在する前提だから、ハナコや赤マントの怪談のように恐ろしい話が世の中には沢山転がっている、ということは分かって貰えると信じていると言おう。だが、悲しい話、彼女の気持ちが判って貰えると信じることは出来ない。
何せ、上から全てを見つめた【私】にも、それは良く分からないのだから。そんな私が幾ら頑張ろうとも、足りない不通の気持ちを理解出来るものなどきっと居ない。
もっとも、言葉を尽くして不幸が語れるのであれば、この世はもう少し良くなっているに違いないのだ。まあ人でなしの私には、世界が悪くなる方が楽しいが。
さて、不通に感じ入るのはこれくらいでいい。私はまた神の視点のフリをして、新たな悪点を少しばかり語ろう。
七恵はそれから大分、幸せになった。中学生活の間、少女は人に紛れることに成功する。
虐められない、詰られない。優等を知り大分険の取れた両親から背を向けながら、それがどれだけ有り難いことか、初めて知った。
だが不通な七恵は、周囲の気持ちを知らず袖にし続けたのである。自分の価値などゼロなのに、求める他人が怖いから、と。
確かに情を持って接してくれていた美袋と俊のことも、結局信じることは出来なかったのだ。高校進学を機に彼女は疎遠と孤独を選ぶ。
そして最悪なことに、七恵は次第に環境、能力の変化で周囲に溶け込んでいくことに掻痒感を覚えてしまうのだ。違うのに、同じ場所に居るのは苦痛だった。だからこそ、彼女は普通、平凡とは何かと悩み続ける。
「うふふ。そんなの、答えは決まっているのにね」
そんな破綻を抱えた少女の結末。それは、こんなにも真っ赤な嘘のように、あり得ないものだった。
怪談ですらない下らない身の上話の上にて七恵は赫赫と、燃え盛るように笑顔で身じろぎ感情を表した。彼女は最下層からこうして語っている、果ての私すら見上げて口を動かす。
「みんな、みーんな! 普通なものは、私に犯される側!」
赤はひらひら翻る。果たしてそれは真の気持ちから来たものか。言の葉は陽炎。形を変えて人を惑わす。正しさなど蜃気楼。全ては無常に消えていく。
物語り、物語られるものになってしまった七恵の存在は不定。条理の不足は変貌しても同じこと。最早自由な彼女は赤マントよりも神出鬼没である。
だから、当然のように気づけば私の目の先にはもう誰の姿もなかった。そうして、何もなかったかのように、通じ合っていたかもしれないという幻は消えていくのだ。
こうして七恵の悲話は、最悪の実をつけてしまう。だがこれこそ彼女にとって最も望ましい結末でもあったのかもしれない。
何しろ七恵が兼ねてから望んでいた、他人なんてどうでもいい人になれたのだから。
それでも人離れ出来ない彼女のことは、哂うべきなのだろうか。
七はその昔ザインとも呼ばれていて、終わりのゼットと通じている。だから、同類ということだけでなしに、私が彼女の話で終わせることを選んだのは、その名前の呪いでもあったのだろうか。これを最後に再び語るべき時が来るまでは口を閉じよう。
物語は終わって、それでいい。この世の全ては終わるための助走に過ぎないのだ。どう取り繕うとも、最期に不幸にも失くなってしまうもの。それを否定するのは、人でなしだろう。
「……ごちそうさま、だったね」
「うふふ。命なんて、ないよ」
そして、そんな人でなしと纏わりつく人間失格達は、ゴミ捨て場から這い出て、生き汚くも再び走り続ける。言葉を象ったばかりのそれは命といえるのだろうか。生きとし生けるものの邪魔でしかしないモノの価値など何処にあるのか。
「だから、助けよウ」
「ぽぽぽ……本当に、これでいいの?」
だが、無意味と背中合わせであろうとも彼らはここにある。だから終わりの先は、口が裂けてもいえなかろうとも続いていく。
「ハナコっ!」
それでも、これでお終い。また会う日まで。
後に置くは、赤でもなく青でも黄色でもない、空の白。もう呪言は記されることもない。これこそ彼らのメリーバッドエンド。
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