私はこの世界の大本たるお話をテキスト方式で知っています。
右も左も分かっていれば、横断歩道の確認も楽ちんであるのと同じように、私はだからこそ結構危ないこの「錆色の~」シリーズ世界を渡って来れたのでしょう。
まあ、実のところは悪のトップをやってるという理由も大きいのでしょうけれどね。
我が組織の怪人さん達には一般人初見殺し的なギミックが仕掛けられていることの多いこと多いこと。
話しかけたら人の皮を破ってハリセンボンになって襲ってくるとか、可愛いマスコット体で実は最強クラスの凶悪とか、誰が知らずに回避できるのでしょう。
善人発案の前者の怪人さんは一昨日壊されたようですし、首刈りうさぎのミリーちゃんは多分私の家でニンジン囓ってる最中ですから、私とわらびに関しては大丈夫なのですけれど。
「こういう時、知識に生かされていることを実感しますね……せめて私が無能でなければ良かったのですが」
ヒーローさん達なら不意打ちされても見てから回避余裕でした、ってなるのかもしれませんが、勿論無能の私だと何度命があっても足りません。
まあ、異物たる転生者の命なんて安いものでしょうし、ひょっとしたら私には転生チケットがまだ五万と残っているのかもしれませんが試す気にはなれません。
大体毎日私をアジトに呼び出してくる――送迎の車を出してはくれますが――テュポエウスの四天王達の残酷な報告に後で隠れて涙することはあっても、私なんかの死で人を泣かせたくはないのですね。
「妹は勿論これでもそこそこお友達居ますし、私が手綱持って――ちゃんと握れているとは思っていません――ないと組織の皆どこまで悪いことしちゃうか分からないのがアレですよ……」
テュポエウスで私の掲げたスローガンはただ一つ。悪は最小限に、です。
なんでかメンバーには要所を狙って悪事を行なえとという意味に取られがちですが私の真意としては、もしやってもちょっとで良いでしょ、というところですね。
実際止めろと言っても聞かない子達には、下手に縛るよりもちょっとはやらせておく方が被害が少なくなったりします。
やってお腹いっぱいになったら眠りなさい。そんなことくらいは守れるけだもの達なのは、ありがたいものでした。
「何だかんだ四天王達は世界を滅ぼす魔王とかではなく、足るを知ってる悪い子達で助かりますね」
読者だった頃はあいつが全部悪いんじゃね、みたいに思っていた善人だって、実際最悪ですが流石に世界を我が物にとかまで欲をこじらせていたりはしません。
そう、テュポエウスには本気出せば人類滅ぼせちゃうのが数人いますが、今のところあの子達はそうしたくなるまで欲とか恨みとかを増長させてないのですね。
彼らが堕ちきる前になんとかその手を掴めた。ならばそれを離さないことこそが悪のトップの役目でしょうね。
そして、無能であっても何時か私以外にも彼らの必要を知らせたい。何時か無知な全てに悪の意味を教えるのも、全知を標榜する私の夢であるのです。
「そう……この子達には、まだ救いがあるのではと、私だけは信じなければなりませんよ」
「ヨシミン! ヨシミンもワタシをぶってくれるのでス?」
「いえ、アリス。私は貴女がそれ以上やり過ぎる前に、止めに来たのです」
「えー、つまんないでス!」
今はお隣の山越市にて髪の毛を整えてもらいに行ったその帰り。
何やらどかんと音がした方、人が蜘蛛の子を散らすように逃げ出すその中心点にもしやと、とろとろ歩んでいけば、やはり会ったは知った顔。
妹のためにとホールサイズのチーズケーキを両手に持ちながらえっちらおっちら帰路を行く途中に、こうしてエッチでちらちらな格好のアリスと出会うことになりました。
黒白マーブルな肌模様を芸術的なものと化しているアリスに、私は宣言するように言います。
「いえ、たとえつまんなくても構わないのです。何せ、貴女の服がそれ以上ビリビリになってしまって凸部分を放り出してしまったら、私は貴女の親代わりとしてそれを見た者全てを根絶やしにしなければなりませんから」
「わ、ネダヤシは確かダメでした……ちぇー、でス!」
原作でも被虐趣味が強いアリス・ブーンはエロ要員でありましたが、前世でもこういうの要らないなと思っていた以上に、親代わりをしている今の私に娘の裸はありえてはいけないものでした。
実際私が誰かを傷つけるのは無理なので、もしピンクな事態の目撃者を消そうとしても根絶やしにされるのは私の方なのですが、それはそれ。
取り敢えず私の意気に彼女も鉾を収めてくれた様子ではあります。
「まだぶたれ足りないでス……」
「はいはい。後で一緒にケーキを食べて忘れましょうね」
「ケーキ! くんくん……確かにチーズなケーキのニオイがしまス! ワタシもう、何もかも忘れましタ!」
「ふふ……全部なかったことにするなんて、今日もアリスは悪い子ですね」
「でス!」
とどめの私の撫で撫でによってようやくアリスは鎮静したようですね。なんとも、瓦礫だらけの目抜き通りの有様を無視しながらというのは悪にも程がありますが。
まあこのように、何時しかただ殴られるのを待つのではなく、自分から殴りかかった方が殴ってもらえる可能性が高いと知った――勿論教えたのは善人です――アリスはフラストレーションが溜まりすぎた際に、暴れることはありました。
ワタシをぶってください、と人に殴りかかる少女は大分狂気的ですが、まあそれがこの子の通常なのだから仕方ありません。
しかしアリスったらどう戦えばこう、胸と下腹部以外の衣類がビリビリに剥げてしまうのでしょうね。私に似て貧相で、でもちょっとはあるものが披露されかけているのが余計にエッチな気がします。
私は思わず非紳士的どころか野獣的なまでに戦闘相手にエロエロを要求したのかもしれない相手に身震いをし、こう呟きました。
「それにしても、アリスの衣類にばかりこんなにダメージを与えるとはどんなエロスな相手なのか……」
「はぁ。君、判ってて言ってるよね。僕だよ、僕」
「ああ、なるほど。アリスをこんなになるまでひん剥いたのは我が学園の生徒会長様でしたか。鬼というのは、偉そうにしていてもやっぱり、えんがちょなのですね」
「全く……全知の癖して君は本当に分からない人だね……そんなに僕らに敵意を持って貰っても困る」
私の言を聞き捨てならないとわざわざ瓦礫の下からこんにちはとしてくれたのは、楠川学園にて人間のフリしてる二体の《《楠の鬼》》の内の一つである楠木海ですね。
珍しく人間っぽさの出来の良い鬼であり、鬼の中ではちょっぴり弱いのですがだからこそ生徒会長なんてやれてるのでしょう。
今の人生にて大分苦汁をなめさせられている鬼共なんて私はどれもこれも嫌いですが、しかし確かにコレはマシな方ではあります。あまり私にああだこうだ言いませんしね。
「なっ!」
「……ん?」
しかし、ひょっとしたらそんな認識も本日かもしれないと、彼の全容を見て思いました。
目に入ったのは引き締まった肌色に、何故かそれだけ残った黒いタイ。ズボンは丈夫なものだったのでしょう少し破けているだけですがそれ以外はどうにも目に優しい姿ではありません。
「海……あんたもあんたで、随分とエッチな姿ですね……」
「いや、これでも抵抗したんだ! どうしてか、彼女は僕の衣類を執拗に狙ってきて……」
「アリス。そこのところ、どうしてですか?」
「アリスばかり脱げてたら、ふこーへーでス!」
「そういうことみたいですね」
「いや、そりゃ思わずカウンターして一発で君の肌を大分顕にしちゃったのは申し訳なかったけど……吉見君はそんな目で僕を見ないでくれ!」
「やれ、ですね……」
マジックオブジェクトの理想体、《《世界最上段》》であるアリスの攻撃にカウンターを返せたあたりやはり鬼は人間やめすぎてますが、しかしどうも海の中身ばかりはそうでもないですね。
私が少し険を出して睨んだだけで、良識のために慌てふためく有様です。
いえ、元々表情がない私が睨むとかなり怖いというのは知っていますが、それにしたってこいつの心は弱いものでした。
そんなだから、原作でも途中退場するんだよと内心毒づいていると、海は今更ながらこんな疑問を呈します。
「それにしても、その子はどうして僕を見るなり襲いかかったんだ?」
「おや、お利口でしたね。実はアリスには、殴って良いのは鬼と鬼と善人だけと伝えてあったのです」
「結局君のせいか!」
私の前でぷんぷんする上半身裸ネクタイ姿の鬼(弱)。
裸に近い姿のアリスが私の後ろに隠れていることを思うと、例えば今私が然るべきところに通報したら彼はどうなってしまうのでしょうね。
好奇心が疼きますが、たかが知れている青年を虐めるのはこれくらいにしてあげるべきです。
取り敢えず、今は。
「それでは、全てが私のせいということで、私の後見も行っている楠の皆様。後片付けの程、どうかよろしくお願いします」
「はぁ……」
そう告げて、カーテシーを行いながら、にこり。
私の下手な笑みを見た海は、溜息一つ。無駄に賢しくも私の言の外までを理解したようで、彼はゴツゴツした背を向けこう呟くのでした。
「……君は悪いな」
「それはもう一番に知っています」
黙る彼女の手を握って、短く答えた私は踵を返します。
あまり話したくもない相手には、それだけで、十分。
何しろ、鬼どもは私が悪のトップでそれらが必要以上に暴れないように私が手綱を持っていることを知っているのですから。
「ヨシミン……」
優しくされることでどこか不安げに揺れるアリスの瞳。それに握りあう手に精一杯の力を込めることで私は返答としました。
そう、たとえ無能であっても私は鬼も裸足で逃げ出す、悪でなければならないのです。
「ケーキおいしーでス!」
「ホントだ! 美味しいね、アリスちゃん!」
「やれ……これはリピーターになるしかなさそうですね」
一人ぼっちが棲むべきだった人柱の家に、元気な声が三つ。
少女に少女に少女のようなモノ。それらはまるで姉妹のように輪を成して甘味を味わう。
食んでいるのはチーズケーキ。発酵という腐敗に至りそこねた前段の崩れた様子を、むしろ綺麗なものと少女達は受け取っていた。
うんうんと次の購買予定を組んでいる頭でっかちな姉を他所に、裸ん坊同然の姿でやって来て今は姉のお古を着こなす妹分を見ながら川島わらびはこう話しかける。
「アリスちゃんって、そういえばケーキ好きだよねー。なんか、お家で姉ちゃんとケーキ食べてるとき、何時も居るかも!」
「それはそうでス! ケーキがあるのは凄いことでスからネ!」
「そっかー……ふふ」
どうやらケーキがあるというのは幸せなことだと信じ、むしろケーキが幸せを運んでくるものとすら思い込んでいるアリスに、わらびは苦笑。
誕生日ケーキとクリスマスケーキがある時以外に幸せを知らなかったこの研究所育ちの悲惨の一部を感じるのだった。
「ケーキを食べて……後は、ヨシミンがワタシを踏んでくれればサイコーなのでスが……」
「ダメだよ、そういうプレイ? みたいのはもっと大人になってからじゃないと」
「ヨシミン、大人になったら踏んでくれまス?」
「うん? 多分私が貴女を踏みつけるようなことはありませんね」
「がーん、でス!」
人が人の形をしたものを踏む。それをアブノーマルな行為と取るのは女の子の自然。
だが、不自然極まりない全知無能はアリスが求めるその意味を知っていて、断るのだった。
主人がリアクションできない分だけ大げさに表情を作ったアリスは、こう溢す。
「ワタシはヨシミンを天国に行かせたいのですガ……」
少女の被虐趣味。その正体は物と扱われない物の足掻きの一つ。
マジックオブジェクト。天に至るための魔法の物質の成功例は、故に見初めた一人である川島吉見を天に昇らせることを目標としていた。
「ふふ。私は天国に行く資格なんてありませんよ」
だが天国の意味すら知っている悪のトップはそれを拒否して、微笑むばかり。
そんなだからこそ、天国のための階段の最上段は役目を果たせずずっとイライラしてしまい。
「そんなことだけは、ありませン……」
大好きな人を幸せに出来ない少女の形は、今日も悲しみに歪むのだった。
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