第十五話 私はずっと貴女の

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

「暇ね」

艶と薔薇色で出来た唇から、吐息の代わりにそんな文句が漏れる。
一時の住み家と定めた太陽の畑。夏には背高の見事な向日葵が立ち上がって風に揺れそよぐその地は、しかし春を前にした今では草花の殆どが雪の底。
辺りには動物のひしめきも聞きとれはするが、静けさこそが中心。全体こんなに面白くなければ自然に倣って声の主、風見幽香も冬に寝入りたいところではある。
だが、幾ら花を操る能力を持っていようとも、幽香本人はあくまで妖怪であって冬眠なんてのは難しい。
むしろそんなの優雅ではないと欠伸を呑み込みながら、彼女は呟く。

「花ですらないこの身が少し、うらめしいわね」

そう、たとえ彼女がありとあらゆる境界を無にする殆ど最強の力を持ち合わせていたとして、それでも幽香は今暇を飽かせた一妖に過ぎなかった。
チェック柄に統一され几帳面に整えられたログハウスの中は、遊びの余地が殆どないくらいに清潔。
ならば、外に出てそこらの人妖をいじめて楽しもうとしても、この冬の時期に幽香のテリトリーにて安堵するような自殺志願者なんて殆どなく、また居たとしても大概が妖精のように弱っちいものばかり。
加虐的な趣味を持つ幽香にも妖精――どこにでも発生するどうでもいい――を潰して遊ぶほど逸した趣味はない。

「偶には遠出も仕方ない、かしら?」

立つ花がどれもこれも美しいのは自然。そして風見幽香は極まった華でもある。
所作一つ一つが可憐の相似。真っ直ぐな背筋に、広がるスカート。彼女が行えばそんなありきたりだって毒より強烈な綺麗。
音もなく椅子から起き上がり、何より美麗に幽香は伸びをした。

「ふぁ」

花の具現は、綺麗の具体でもある。欠伸の弛緩にすら法悦の如き艶めかしさを想起させる程であるからには、あまりにこの一輪は並大抵ではない。

「さて」

そして、ようやく起きた少女はその手に曇りの今日には要なく思える日傘を顕現させ、用意とする。
桃のような若葉のような淡い色したそれを閉ざしたまま、右に左に持ち替えながらこれからのことを楽しみに。幽香は妖しいほどの良き香りを傘の円かから広げてその香りに満足一つせず。

「今日は、慧音でもいじめて遊びましょうか」

友を使って我が無聊を慰めよう。幽香はいたずらに、そんな想いを言葉にした。

「ふふ」

そうして笑みが一つ、花と化す。最早このようなものがないなら天国ですら地獄ではないか思えるほどに、少女の笑みは尊く美しく、妖しい。
そして、そんなだからこそ風見幽香は何もかもに優しくないのだった。

「今行くわ」

戸を開けふんわりと空を征く幽香の姿には柔らかみばかり。
だがその心根に何もかもを貫きかねない棘が一つあった。不可逆的に加虐的な壊れた心は時に世界をも痛めつける。

凍える程に冷たい空に、高く。
花を操る程度の妖怪。そんなものがこの幻想の極天にあるということこそ、何よりそれらしく、残酷なのかもしれなかった。

 

「けーね、遊ぼうよー。本はもう良いでしょー! それに、そんなにいっぱい触ってたら嫌われちゃうかもしれないよー」

隙間風に肌を越して骨ごと軋むようなそんな冬のおり、相変わらず本に埋もれる生活を続ける上白沢慧音は妖怪ルーミアに構われていた。
ぷくぷくとお餅のようにほっぺたを膨らませながら、妖怪少女は親みたいな人の横でぷんぷんと不機嫌を表す。
足をどったんばったんはしたなく戸板にぶつけながらも、しかし着ぶくれした衣装であっても本の山を崩すことがないのは、教育のたまものか。
だが、同じく美意識よりも温さを採っている慧音は、そろそろ煩くなってきた子供の駄々にやれやれとそっぽを向くのを止めるのだった。柳眉を優しく降ろし、慧音はルーミアに言う。

「うーん……私が本に飽きることはないだろうが……確かに、本に嫌われることはあるかもしれないな。分かったよ、ルーミア」
「やったー! けーね、けーね。外に行こうよ。弾幕ごっこしよう!」

今泣いた烏がもう笑うように、慧音の同調によってルーミアは機嫌を取り戻し似合う笑顔を輝かせる。
そして宵闇の少女は、半獣の女性のどてら地味たもこもこ服の袖を引っ張るのに一生懸命になった。
子供に乞われ、でも響く風音にやる気が出ない大人はつい抵抗するように呟いてしまう。

「外かぁ……曇りで、どうにも風が冷たいようだが……」
「でも、この強い風に乗ったらどこまでも飛べそうな気がしない? 楽しそうだよ!」
「あはは……確かに、そういうのも偶には悪くないかもしれないな」

手を広げ、それこそまるでこの世に怖いものないとでも言わんばかりのルーミアに、慧音はそんな稚気を悪くはないと内心評する。
他人に危害を加えることばかり考えていたように思える、封印前の彼女と違いただ宵闇の面ばかりになった少女は多面的に世界を見ているようだった。

「よしよし」
「わ。撫でられるのは、ちょっと恥ずかしいなー」

慧音はそれは良いことだと手を伸ばし、ルーミア隠した牙を欠片も恐れず優しくその頭の天辺を撫でさする。すると突然の心地よさに、ルーミアはついつい照れるのだった。
だが、言ほど拒絶の動きなんてなく、それを見た可愛いもの好きのお母さんは優しく言い添える。

「はは。こんな人里の端の私達を気にするものなんて居ないさ」
「うーん……そうなのかー」

大凡が是。どちらかといえば足りなくて他の言葉の大体に頷くようになった妖怪少女ルーミア。
とはいえ、そこに愛があるのかないのか、把握くらいは心の闇だって識っている彼女には把握出来なくもない。
そして慧音の心は温かくて、だからこそルーミアは安堵しこうして懐くのだった。
人里の端、それこそ外との境界と曖昧なそんな家にて二人はしばらく心の暖を取る。

「それじゃ、行こうか」
「うん!」

やがて存分に戯れてから、二人はもっと大っぴらに楽しもうと建付けの悪くなった引き戸をつっかからせながらも開けた。
すると、彼女らが真っ先に急に感じたのは冬。家屋の守りと火鉢の熱にて忘れていたものが、一気に肌に突き刺さって痛いほど。
少々後悔しながらも、でも遊ぶために慧音は真っ先に空へと浮く。そして彼女はまだ飛ばない少女に手を伸ばし。

「よし、ルーミアも……っ!」

瞬く光。そして、笑顔が凍る。

いつの間にか向けられていたのは閃光一陣。
弾幕化したその極彩色の力の流れに飲み込まれて、眼下に向けようとした手のひらごと、慧音の姿はかき消えた。

「けーねっ!」

轟音が収束を終え、力づくで何もかもを流し、空には跡形もなく。
悲鳴のごとくルーミアが上げた求める声を聞き取るべきものはどこにも見当たらなかった。だが一瞬通ったあまりの熱量の証左か、雲は欠けて光が隙間から降り注ぐ。

そんな中をゆらりゆらり。突然の攻撃の下手人たる風見幽香が現れ、意地悪にもこう呟くのだった。

「あら。的が浮かんでいたから、つい撃ってしまったわ。ごめんなさいね」
「お前っ!」

そして、人妖消し飛ばして有り余るくらいの光線を発した妖怪に激昂し、ルーミアは負けずにスペクトルを束ねて力の輝きとする。
それは闇だからこそ表せる光の美しき七色。少女の全力に近いレーザーは先の幽香のものに引けを取らない程強く煌めいて目標へと真っ直ぐ向かった。

「うん? はぁ……ままごとなんて、下らないわね。出来るなら、私の目の外でやってくれないかしら?」
「っ」

だが、子供の怒りの表現なんて、欠伸一つで忘れるくらいに愚かしいもの。幽香にとっては笑顔どころか気もそそられない程度のものでしかなかった。
そもそも存在にあまりの格差があれば、全霊の熱量ですら感じるに足らない。

そう、少女の妖怪は、もっと恐るべき最強の妖怪には敵わなかった。
そして目を向けられた、それだけで慧音と似て非なる赫色の無情に呑まれる。

恐ろしい。遠すぎて、理解できなくて、それだけでもうどれだけ美しかろうと震えてしまう。
目を閉じて逃げたくなるルーミア。だが、その時ふと、思い浮かぶ名前があった。震える唇は、小さくその名を呼ぶ。

「風見、ゆーか……」
「あら貴女、私の名前を知っていたの? 私には貴女なんて覚えがないけれど」
「とっても意地悪な妖怪だから気をつけてねって、けーねが言ってた!」
「そう」

なら、コレについてはどうでもいいかと妖怪は断じる。だが、アレはやはり気になってしまう。
語られるのは、当然。だが、意地悪程度で噂されるのはなんとも言えない心地である。
そこには幽香について回るべき、最悪に最強が抜けている。これは、どうにもやりにくいなと内心考えながら、幽香は先程元巫女が降り立っただろうところに傘の先端を向け、言う。

「さて、博麗……いや、今はただの慧音でいいかしらね? 何時まで墜ちたふりなんてしているの? 私は隙なんて何時でも用意しているけれど、人のいい貴女につけるとは思えないけれど」
「いや……流石は幻想郷最強の妖怪、風見幽香。出来れば私の敗北に満足して諦めて貰おうと思ったが、無理だったか」
「それはもう、貴女の実力なんて隅から隅まで知っているものだから。ねえ、私のたった一人のお友達さん?」
「はは……幽香も大概寂しいやつだよ」
「けーね!」

再び、幽香の最強の力が光と成して襲いかかろうとした、その前に両手を挙げて余波を受けたばかりでボロボロの格好となった慧音は空へ浮かぶ。
そして彼女は幽香のその孤高になんとも言えない心地になりながら、ルーミアに笑みを向けるのだった。
御札や陰陽玉のような武器は今この手になくとも、培ってきた巫女としての能力に陰りはない。せめて最強の憂さ晴らし相手くらいにはなってあげないとと、思いながら慧音は問いただす。

「それで、幽香。お前が私と行いたいのはスペルカードルールによる弾幕ごっこっていうことで……」
「ううん……それでも良いのだけれど……」

花の少女は顎に指先を当て、つと悩むような表情を見せる。
思わずつれなさといじらしさを覚えてしまうような、魔性の面。それがふと自分の方を向いたと思えばウィンク一つ。
全てが欺瞞で嘘であったことに気づいた慧音は全身総毛立たせながら、防御のために咄嗟に動いた。

「私達みたいな旧き者には、なんでもありが一番楽しいと思うの」
「封魔陣!」

そして空にてゆるりと動く傘の先に力が集まりきる前に、魔を封じる陣を敷くことは出来たが、しかしそれだって蟷螂の斧。最強を防ぐには力不足。
とはいえ、手入れ要らずの己を持ちながらも、美意識にそれなり以上に拘りのある幽香である。単調に次もまた光線、という訳ではない。

「――――さて、巫女ですらない貴女はどこまで、耐えられる?」

幻想郷の花冠が友に送ったのは、花。それこそ花束として視界全て埋もれんばかりの花状の力の塊ばかりである。
一枚一枚が細心がなくてはあり得ない緻密な力の操作によって重ねられた、しかし籠もった威力は無限に近い理解できない数えきれないあり得ないもの。
そんなフラワーボムに一枚の壁越しに包まれた慧音は。

「そういえば、貴女もあのスキマ妖怪の真似事が出来たわね」
「くっ!」

亜空穴を用いた零時間移動――テレポート――にて脅威から逃れて幽香の上方に移動し、霊弾を発した。
だが、そんな全てが神よりも主人公よりも最も強いと自称する存在に通用する筈もない。
届いているのに、届かないというほどのスケールの差異によって避けずとも何一つ効かないだろう幽香は、しかし当然のように回避行動を取る。

「流石は、慧音ね」

普通ならば身体を捻れば無様で、頭を下げれば哀れっぽいかもしれない。
だが、そんなことを感じさせない優雅がこの力のバケモノには存在した。
たった一輪は、だからこそ風には殺せない。そんな理不尽の体現が、優しく玩具を褒め称えた。グレイズの音僅か。

「このっ……!」
「あら」

そして今度は避けられないタイミングで繰り出された昇脚を空いた手で幽香は受け止める。
すると、思っていたよりも力強かったその一撃に少女は柔和にも、微笑んだ。別段痛みこそしないが、だがこれは。

「驚いた。今の貴女ならきっと、神だって殺せちゃうわよ?」
「あ――」

明らかに、英雄を超えていた。それこそ彼女が踏んでいるのは自分と同じバケモノのライン。
この巫女は、最早巫女の枠を超えて幻想と成っている。多くが神獣の力の後押しだとしても、基となる博麗慧音という存在の積み上げたものがなければここまではいかないだろう。
最早運命に隷属する人にしてはあまりに勿体ない域にこの生き物はある。なら、とつい興が乗った幽香は友達として少し本気になってあげることにした。

そう、永劫に散らない唯一つの花は、巫女でなくなった――殺してもいい――友達のためにと最強――こうはならないで――を教える。

「蓬莱桜花」

宣言。そして、全ては花と散る。

 

「けーねっ!」

どさりと墜ちた、それが人の形を取れているのは奇跡である。
膨大な持ち前の霊力にそれを補強する形で重ねられた妖力、神力。そんなものですら幽香の最強の前では紙切れにしかならないものなのだから。
きっと、それを知っていた慧音はかっこ悪くも避けて、逃げれずそれでも生きるために必死に死だけは避けきったのだろう。
命ばかりは無事であり、しかしそれ以外は大概危機的だった。その証のように鮮血が地に流れ、ルーミアの足元まで伸びていく。

「ゆーかっ!」
「あら」

これに怒らぬは子供ではないし、そうでなくても大好きなこの人をここまで傷つけた相手は敵で、嫌いだ。
蠢くルーミアの周囲の影と陰。それら全てが矢じりとなって空に浮かんだ花一つを毀損しようと数多向かっていくが。

「次は、貴女かしら?」
「あ……」

しかし影法師なんかに日向の象徴は曇りもしない。
紛れもない正真正銘の最強は赫々とした瞳を細めて、敵にならない相手を冷たく見つめる。
そして音もなく、傘の先端が少女に向けられるその前に。

「――――いい加減、頭にきた」
「へぇ?」

言い、ただ一人の、ルーミアの親代わりは射線上に立ち上がった。
強いのも、頼もしいのも知っている。だが、身じろぎにすら溢れる赤も、何もかもが痛々しくってたまらない。

「けーねぇ!」

そんなものに守られているルーミアは思わず悲鳴のような呼び声を上げてしまうが。

「大丈夫」

だからこそ、幽香には出来ないくらいに深く笑んで、また彼女は少女を撫でる。
もう、少女にはそれが恥ずかしくなかった。ただ、涙目になってルーミアは信じる人を見上げる。

「ぐっ」

振り返った慧音、先代とはいえ極限まで究めた博麗の巫女がこれより行うのは、今まで一度たりとて成功しなかった最奥の業。
現役時代には発現すら出来ずにその在り方を嫌いすらしたそれに、ようやく少女は手を伸ばす。

自分は独りではない。それを信じてこれまで歴史を紐解いて来た少女。
だがそれが気づけば独りになりそうな自分を必死に慰め続けてきたものだとしたら、それは。

なるほど慧音という少女は孤独であり自由であり、ならばそれを使うに足りた。

「夢想……」

損傷の酷さによってその名を言い切ることまでは出来ない。

「ふふ」

しかしそれでも間違いなく、その奥義は形となったのだった。

 

「ぐぅ……」
「ふふ」

勝ちも負けも付かない、無為な勝負の末に、倒れ伏したは慧音一人。
だが、勝つことすら出来なかった哀れな最強は、友を抱き寄せ、呟く。

「無敵、か……」

どうしたところで、届かない。そんな位置はあまりにつまらなく、だがこの巫女崩れですら至ってしまった。
私のたった一人の友だちが、孤高なんてつまらないところにまで。そんなこと、最初に予期していたよりもずっと面白くなくって。

「それが貴女の孤独だとしたら……」

でも、どうしてこんなに幸せなのだろう。
違う形で、でもこの子も同じ独りだった。それが肩を並べるものとしてとてもとても嬉しいことであるのは、違いなくって。

「……それでも私はずっと貴女の友でいましょう」

それだけ言って、幽香は生まれてはじめて苦手な魔法を彼女のためにかけてあげるのだった。


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