★ルート第四話 素敵な先輩

いいこちゃん いいこ・ざ・ろっく()

はじめて着いた土地に言うことではないかもしれないが、下北沢は都会の例に漏れずまあまあうっさい。
あたしは耳を畳めるようにデザインされた動物の子たちが羨ましいなあと思いながら、駅前にて人の擦れ合う音を聞く。
正直、あたしにはこれより遥かにうるささを湛えるライブハウスなんてものには、いい思い出がなかった。

「ひとりちゃんに、お父さんお母さんと来た時も直ぐに気持ち悪くなっちゃったもんなー……まさかあたしの鼓動が音のサイズで負けるとは思わんかった」

そもそもあたしは音楽嫌いというか、爆音をリズムと取れない臆病者だ。
命を整えるリズムは脈拍だけでいいってのに、人はよくそれを求めるものだなあと思うのは今更すぎた。

私は絶対に、ひとりちゃんに追いつかなければならないので、そのために音楽というツールの習熟は必須。
それに、今日こんな下北沢なんてハイソな都会にノコノコやって来たのは、ロッカーの卵から嘴ちょこんと出してみたばかりのヒヨコさんであるところの喜多さんからのお願いを聞いてあげたため。
好きでもないのに気になって構ってしまうのはあたしによくあることではあるけれど、嫌いなものにずっぽりハマっちゃうのはいかがでしょうか。

「そこんところあたしの駄目なとこだよねー、喜多さん」
「きゃわっ! な……井伊さん?」

そこんところが気になったあたしは、問いながら角で赤いふわっふわな長髪をなんか気にしてた彼女に突貫。
そうして、ボーダーなチュニックから伸びる緑色が何だか親近感な喜多郁代さんにあたしはおちゃらけを開始するのである。

「はーい。貴女と一緒にギタ男を取っ替え引っ替えして遊んでる直子ちゃんでーす。おはよ」
「おはよう……って、最近私ギタ男君触ってないでしょ? 井伊さんの伝手でこうして新ギター持ってるし……」
「そーだった、そーだった。あたしの先輩がお古のギター格安で譲ってくれたんだっけ? おかげでギタ男とあたしは元サヤだ!」
「うう……なんか井伊さんがギタ男君をやけに擬人化して話すからなんだか昼ドラの世界に入っちゃった気がしてきたわ……」

私の変な例えに微妙そうな顔する、喜多さん。笑顔泣き顔お似合いな美人さんでも、こういうのはあんまり得意じゃなさそうだ。
まあ、今の彼女が背負うギターバッグの理由を改めて説明するにはこれが一番簡易っちゃあその通りだからいいでしょう。

そう。なんと私のより元値お高めな世界のヤマハさんのギターを喜多さんは既に得ているのでした。
驚くべきことに、ひとりちゃんに隠れて音楽から引退してた地元の先輩から根切りに値切っていちきゅっぱ。
それでも即金では流石にと言う喜多さんに出世払いだよと現物を渡してあげたあたしは、未だに彼女からの払い(小遣い入金)を待っている立場だったりするのだった。

「まあ、この世はもっときらきらきららな世界だから大丈夫。借金持ちの喜多さんにだって明るい未来が待ってるよー」
「そうね……ごめんなさい。払いはやっぱり月末になっちゃうけれど……」
「だいじょーぶ! 井伊バンクはトイチの利息を厳守さえすれば期限は何時までもどこまでもー」
「井伊バンクって暴利ねっ!」

女子高生らしく、道の端で楽しい冗句を広げて楽しむあたし達。
ただ冗談でも借金と聞けばどうにも内容が切羽っ詰まっているかもと天使のような心の持ち主であっては心配してしまうようであり、丁度私達をライブハウスという(私的な)地獄から出迎えに来てくれたのは下北沢が誇る大天使。

彼女は、ひょっとしたら未発達の光輪なのかもしれない三角のアホ毛をぴょんとびっくりさせながらあたし達の話を聞きこう問ったのだった。

「えっと、喜多ちゃん、と……その子が話してたお友達? それとも債権者?」
「伊地知先輩?! ち、違うんですこれは……ちょっとした友達同士のオフザケの会話で……ね、そうよね。井伊さん!」
「そうだねー。あたしたち次はネットワークビジネスについてのお話でもしようと思ってたんですけど、伊地知さんもいかがです?」
「なっ!」
「あはは……そういうのは冗談にならないから止めようね?」
「はーい」

肩に両手を置かれて、大天使伊地知なんとかさんに窘められるあたし。
話を有耶無耶に終えたいと思ったけれど、どうも転換した方向が良くなかったのは申し訳なかった。

「はぁ……本当に喜多ちゃんの言ってた通り、面白い子なんだね、井伊さんって」

とはいえ、あたしの一連の言動を見て聞いて、もしゃもしゃ情報と咀嚼仕切ったのかため息一つ。
伊地知さんは笑顔を見せてくれた。なんとも眩しいそれに、あたしは内心でろでろに溶けそうになるけれども、実際あたしはひとりちゃんと違って軟体生物ではなくただの動物。
故に鼓動のテンポ一つろくに盛り上がらないまま、この人はあたしなんかよりずっと佳い人だなと認めて。

「ユーモアこそ我が血肉……そんな嘘っぱちはさておいて、伊地知さん。今日はよろしくお願いしますね」
「うん……変わってる子だなあ」

余計を口にしてから、お辞儀。顔を上げてみれば苦笑に、正直な感想が返ってきたからあたしは内心ガッツポーズ。
これなら、さっきの全部の話は変わった子が適当抜かしてただけって勘違いしてくれると思ったけれど。

「……それと後で喜多ちゃんの借金のこと詳しく教えてね?」

なんか一歩近寄ってきた大天使さんは私に耳打ち一つ。
心地の良い伊地知ASMRを感じてぞくぞくしてしまうあたし。しかし先輩は真面目で。

「そのこころは?」
「だって、あたし達が焦らせて無理にあのギター買わせちゃったんだとしたら、嫌じゃない?」

誤魔化せませんでした。

 

「ん。やっと来た」

そして反省したあたしがお口チャックウーマンをし続けていると「STARRY」とかいう地下一階のライブハウスに誘われることになった。
するとファーストエンカウントとして現れたのはボブヘアと単に言うにはおしゃれな青髪の美人さん。
その草食の香りからあたしは彼女がよく喜多さんが褒め称えるリョウ先輩とやらと理解し、お口チャックはぼーん。
あいも変わらず適当な言葉を披露するのだった。

「どうも。口がヘリウムガスともうたわれる井伊直子ちゃんです」
「スリーサイズは?」
「プラスマイナス五ミリ規格で上から450・450・450となりますね」
「それってドラム缶(100L)のサイズ(内径・mm)」
「ダメ……これはどこからツッコめばいいのかもう分かんないね、喜多ちゃん……」
「普段使わないドラム缶の寸法をさっと思い出せるリョウ先輩、素敵……」
「……わあ。こっちも違う意味でダメだった」

変わり者に変わり者をぶつければハジけるのが普通。そして、それはあたし達であっても当然至極。
ついでにヘンテコな身の代わりっぷりを見せた唯一のまともだと思っていた後輩の姿を認めてしまえば伊地知先輩もがっくり。
実際ドラム缶じみたあたしのぺったんこ胸元とお尻は無視されて、その場には微妙な空気が流れて。

「さては山田さんって変人ですね?」
「井伊ちゃん、突然どうしたの!?」
「えへへ……そんなことないから」
「リョウ先輩も喜ばないでー!」
「へぇ奇遇ですね。あたしも全然そんなことはないんですよ」
「やっぱり」
「何このやり取り?!」

「……何やってんだお前ら?」

ぐだぐだなやり取りは、同じくきっと退化した王冠に違いない三角アホ毛を振りかざす伊地知さんのお姉さん(魔王)が出てくるまで続いたのだった。

 

そして、おはようございますとライブハウスに吸い込まれるように入っていく面々。
遅れて私も入店。その際にきっと受付担当であるのだっただろう山田さんは。

「あまり、私には気を遣わなくていいよ」
「……助かります」

そんなことを言ってくれたのだから、改めて喜多さんの言った通りに本当に素敵な先輩には違いないのだなと思うあたしである。


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