★ルート第五話 lock/錠前

いいこちゃん いいこ・ざ・ろっく()

さて。
喜多さんとちょっと近未来的なデザインの駅前で待ち合わせした上で、こうして暗くて狭くてうるさいという私的三重苦のここ「STARRY」なんてライブハウスに招かれた理由を、実はあたしは分かっていなかったりする。
取り敢えずよく分からないまま、いっこ上の可愛い人たちの歓待を受けながらあたしは今テーブルを皆で囲んで座している。

いや、誘われたらほいほい付いていちゃう年頃はもう卒業した筈だったのだけれど。
そういえば昔お嬢ちゃんいいものあげるから付いておいでって言うからてこてこついて行ったらあずきバーたらふくご馳走してくれたおっさん今も元気してるのかな。
なんか彼の店の業務用の冷凍庫がその日壊れちゃって、勿体ないからただでもいいから消費者を探して回ってたの後で知ったけど、実際おっさん結構な不審者フェイスだったためかあたし以外からは叫ばれて石投げられたりしてたな。
普通に話したらいいおっちゃんだったし、この前可愛らしいお嫁さん貰ってたのまでは知ってるけど、まだあのボロの冷凍庫使ってんのかなあ。

暗いぐらいの茶色を透かすドリンクカップに刺さったストローを指先でつんとしてからあたしは考えたままを口走る。

「でもよく考えたらあずきバーってそう簡単に溶けるのかな? 幼女時代のあたしの前歯持ってくくらいの密度だし……中々溶け落ちる想像がつかないね」
「あはは……井伊ちゃん、コーヒー口にした途端黙ってたと思ってたらまた唐突だねー。妙に真剣そうだったから……あたしインスタントなんて口に合わないって言われちゃうかと思ったよ」
「ん。いいこ。あずきバーも真夏の車の中に放っておいたら直ぐ溶けるよ。ソースは私の体験」
「なるほどー。なんだあずきバーもあんなに厳つく凍ってる割に夏の日差しに負けてゲルになるなんて、あたしの幼馴染と大差ないもんなのですねえ。あ。コーヒーはコピ・ルアクからうっすいコーヒー飲料まで全部いけます」
「そっかコーヒー苦手とかじゃなくて良かったー……って、井伊ちゃんの幼馴染の子ってゲル化出来るの!?」
「はい。メンタルも含めてあずきバーどころか夏場のチョコよりメルティな上、最悪道端で気化します」
「ええ……井伊ちゃんの幼馴染ちゃんって雨雲の子供か何か?」
「それとも日光苦手な吸血鬼? 取り敢えず、間違ってもそれ人間じゃないよね」
「ありゃ。ひとりちゃんは間違っても人間じゃなかったかー」

自信満々な山田さんの断言に、ぺしんとあたしは手のひらで額をはたく。
ああ、あたしの愛しのひとりちゃん。
どうして貴女のことを正直に語れば語るほど、疑念の視線があたしを貫くことになるのか。
それは自由過ぎるひとりちゃんの変形ぶりにあるのだろうけれど、しかし喜怒哀楽をその全身で表現しすぎるアーティスティックというかアートそのものなあの子とあたしはよく付き合えていたものだ。

思い出すのは、男子からの告白に私には直子ちゃんが居るからと断ったと思えばあたしにそれを聞かれてたことにひとりちゃんが驚き、混乱した結果爆破四散した二年前のバレンタインの日。
いや確かにその日ちょっと恋とかなんだかでピンクな空気だったけど、物理的に後藤ピンク色で学校染めるなよと思った私はその後掃除機に下方置換法まで用いてひとりちゃん(その際何か――男どもの煩悩?――をちょいと吸収したのかその日からブラのサイズが若干合わなくなったらしい)を集めきったのだから、むしろ偉業として称えてほしいくらいだ。
しかし実際はこうして白い目で見つめられるばかり。ホント、こっちが照れる暇すら与えてくれないし、困った子だった。

あたしがそんな風に懐かしさを反芻していると、お隣さんがどうにもむむむ顔になってしまう。
そういやちょい前に間に入ってもらうの拒絶してたなあと思いながら横目に見るあたしに、先まで黙していた喜多さんは呟いた。

「ひとりちゃん、かあ……」
「郁代はいいこのエア幼馴染について、何か知ってるの?」
「リョウ先輩……いえ、ええと……知らないですけど知らないから気になると言うか……」
「まあ、確かに友達の友達って要は他人だけどちょっと気になるって妙な関係性ではあるよねー……ん? ってひとりちゃん……どこかで聞いたことあるようなないよーな」

ひとり。あたしは可愛らしいと思うけれどその名は存外珍しいものである。
人数としてはよく用いる割に人名使用例の少なめなそれは、一度人に使われているのを知ると憶えられやすい。
案の定と言っては何だが、少し前に音楽界隈を騒がしていたあの子をがっつり音楽関係者だろう伊地知さんは知っていたようだ。

まず、ひとりちゃんは既に得意なギター演奏の合間に段ボールに隠れていたり、唐突に客席にダイブし墜落する等して地元では小有名人となっている。
そして、ネット界隈でも実は一時ちょっと流行っていた。基本的には弾いてみた動画での人気がメインだが、影ではネタ的な部分も含めて名が広まっていたのである。

具体的にはギターヒーローと同一人物じゃねえか考察から端を発して発掘された、バンドの動画等にしばしば映るやらかしの数々から。
もっともヘドバンしながら来店する姿や、勘違いパリピサングラスと何時ものピンクジャージで唐突に新宿ど真ん中にてギターを弾き出す映像なんてあたしからすれば初心者向けなものだったが、これが結構ウケた。
そして彼女が変でもちゃんと見れば目麗しい上に肝心のギターの腕前はギターヒーローとしてだけでも承認力10万を超える程であるからには人気にならないはずがない。
バンド解散騒動も記憶に新しいことだし、まあここの誰かがひとりちゃんを知っているというのはあたしの中で織り込み済みだ。

もっともさわりの部分しか知らないようだった伊地知さんはしばらく首を傾げて長いシングルテールを右に左に。
何となく猫ちゃんの欲求みたいにそれに手を伸ばして遊びたいなあとあたしがウズウズし始めると、先に合点をいかせた山田さんが確かめるようにこう言った。

「確か、インディーズで活躍してた少し前に解散したバンドの最年少ギターが後藤ひとりって名前だったかな。……いいこ、合ってる?」
「ええ。合ってますよー。その子があたしの幼馴染であり、目指すところでもありますねえ」
「うっわー……友達でライバルってなんだかいいねー。かっこいい」
「うーん……ひとりちゃんとはお友達で確かに並びたいですけど、ライバルってのはちょっと違うかもしれませんね」
「……どういうこと?」

山田さんの細められた瞳に、長い睫毛がかかってこちらを見つめる。
何かあたしの言が彼女の琴線に触れたようだ。今の彼女はどう見たって草食動物には思えない、もっと鋭いものだ。
これはちゃんと答えてあげたいなと思うあたしはしかし上手く纏まっていない心をさらってぽいぽい散らかしながら呟く。

「近くまでは行きたいですけど輝きを競い合うより陪星、衛星みたいになりたいというか、うーん……」

後藤ひとり。あの子は間違いなくあのまま一等星として活躍できた。
だがしかし、本質的に彼女は孤星。メンバーからすれば厄介な輝きとまで至ってしまい、不和を嫌った彼女は望んで孤独となった。

あたしは、だから未だにあたしが間違っていたと思ってしまう。

『直子ちゃんなんて、知らない!』

ああ、あたしはもうこの子は一人ぼっちじゃないんだと思いこんで、諦めて目を離してしまったあたしのことが、大嫌いだ。

「ま、簡単に言えばあたしはあの子をもう、ひとりにしたくないんです」

本音は、思ったより重い言葉になってずるりと胸からこぼれ落ちた。
比翼の鳥の有り様には憧れるけれど、でもあたし達はきっともっと不格好。
付かず離れず。そう、あたしのやりたいことなんて一つきり。

間違っていたのだから、やり《《直》》すこと。そのためにあたしは弾き、時に《《歌い》》もする。

「ひとりちゃんだけが、あたしの心の|ロック《lock/錠前》を開けられる子ですから」

そのためにあたしはあの子のための、ギターボーカルになる。

 

「えっと……」
「そう」

まあ。
こんな初対面とクラスメイト程度の仲の人間に他人の決意というか偏屈を垂れ流したら、空気が死ぬのは当然至極。
それでも苦笑してくれる伊地知さんは流石大天使。ちなみに、意味ありげに頷く山田さんは頭から煙プスプスで目が泳いでいて多分あんまり分かっていない。
いや、一人で抱えていたの正直辛かったからとはいえ、こんなところでゲロゲロするなんて良くなかったなとあたしは反省。

次はごめんなさいとしようとするあたし。すると隣で、バンとテーブルを叩いて身を乗り出し、喜多さんがこう叫んだ。

「井伊さん、想像していたよりずっと重い、重いわっ!」
「わ」

それはもっとも。とはいえ、感想の声量がデカい。
いや、鼻歌でも綺麗だから歌ったら上手いのだろうなと思っていたけれど、これで並々ならぬ肺活量も確認できたことで喜多さんのボーカル適性の高さはかなり感じられた。
でもそんなものを間近で感じるものではなければ、そもそも過敏な耳はじんじんするくらいに響く。
思わずたじろぐあたしに、瞳をらんらんと輝かせてキターンと寄ってきた彼女はあたしの手を取り続ける。

「でも、素敵! そんなに井伊さんってひとりちゃんって子が大好きなのね!」
「まー、引くほどビッグラブしちゃってる自信はあるかなあ……」
「ええ! でもそんなに井伊さんが好きなのだったら……」
「っ」

興奮した様子の喜多さん。てっきり仲直りを手伝うわ、とでも衝動的に口にするのかとあたしは思わず身構える。
でも、次の言葉はあたしが予想していたものと全く違っていて。

「私も何時かそのひとりちゃんのズッ友になるわ!」
「へ?」

それなら一人ぼっちじゃなくて三人にはなるわよね、と鼻息荒くする喜多さん。
あたしは、そんな彼女の本気に確りと返すことが出来なかった。

「ふふ」

ああ、これは紛れもなく本物。
きらきらきららと、陽キャはやっぱり日の下じゃなくても眩しいものなのかもしれない。

 


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