どうしようもないから

博麗咲夜、十六夜霊夢

博麗咲夜は人里にて【完璧で瀟洒な巫女】と呼ばれる。
それは、どこぞの大店の主人が任せた妖怪退治を彼女が完璧に熟したから喧伝されるようになったものだ。

妻の敵を取ってくれ。最初は里人の平穏のためと述べていたそんな彼の本音を聞き、巫女としてそれこそ必死になって過日男の望みを叶えた咲夜は、実際完璧とは程遠い。

最初から退魔の仕事こそは何とかこなせた。
もっともそれだって低級の妖怪相手に震える身体に鞭打ち、天賦のあった退魔針使いが上手くいかなければ死体となっていたのは咲夜の方だ。

『……はい。どうぞ』
『これは……っ』

報告時も血まみれで泥に塗れて片足を引きずりながらという、瀟洒とは程遠い這々の体。
しかし彼の愛した女性の簪の欠片だけは証として大事に、それこそ宝物のように扱い返してくれた、そこに依頼主は少女にただならぬ心を見た。

『どうか、しました?』
『いいや……』

《《我が子と同じ》》異人じみた青い目をして、髪はまた銀でしかも子供。そのままでも人里にはきっと馴染まず、そして実際こうして巫女として立たされていれば尚更少女は孤独だ。
前途洋々とはいかなくても、しかしこの恩に感じた彼が咲夜という少女の未来に希望を見たいと思ったのは間違いなかった。
頭を振って、余計な考えを捨ててから、《《霧雨》》店の当主たる彼は。

『ありがとう』
『ん……』

やはり娘の金の髪と同じように柔らかだった銀の髪を撫でて労うのだった。
親にはもうなれない。そして後見人足りずとも、それでも親愛という持ち物を立場を持ってひけらかしてみれば、或いは助けになれるのでは。
そう願い、また出来れば何時か――少しお姉さんのようだけれども――魔理沙と仲良くなってくれたら嬉しいなと、微笑むのだった。

『……また、何かあったら』

そんな最愛を失ったばかりの男の優しさは、しかし孤独に毒のごとく染みた。
咲夜にだって母のような存在は複数ある。しかし、幼気だった彼女をこんなにゴツゴツした手で撫で付けて来たのは彼がはじめてで。
それにまた、こんなに真っ直ぐに|成果《退魔》を褒められたことがとても嬉しかった。

だから、それは《《癖に》》なるのだ。やがて博麗咲夜はまるで退魔が本業であるかのように、悪妖と対することとなった。
それこそ、男が望んでいた未来とはかけ離れた血みどろの道へと、彼の優しい手が突き落とすこととなるのである。

『ああ、頼んだよ』

ごしごしと、手慣れた手つきで撫でる男の笑顔はずっと咲夜の心に残った。
彼はそんな未来も知らず、願いばかりが清らかで。或いはもし少しでも男が捻くれてたり汚れた考えでもしていたら、少女は今こんなに辛くなかったのに。

しかしもしもはなければ、この世は運命的に綴じられた小節の連続で出来ている。

『はいっ!』

そして呪いのように彼女は人々にとって【完璧で瀟洒な巫女】となった。

「……寒い」

咲夜は《《十六夜》》の今日も今日とて、夜な夜な知らず恨みを買った人でなしを一人返り討ち。
今度は怪我も返り血一つ受けることすらない完勝。
でももう大人に近くなってしまった少女を撫でる大人なんておらず、だれも咲夜の殺戮を喜ぶ者などおらずに。

「月が綺麗、ね……」

今は一人ぼっち。血溜まりに映り込んだ満ち足り切らないその輝きに、魅入られるばかりだった。

 

霧雨店の若旦那が付けた【完璧で瀟洒な巫女】という大げさな二つ名にはそうなって欲しい、そうありますようにという願いが込められていることを、咲夜本人だって知っている。
次第に人々からは確かにそのようだと思われるようになったが、反面人間以外からの彼女への認識は酷いものだ。

「はぁ」

妖怪を嫌う殺戮人形とされて妖怪の多くから嫌われた、曰く最悪の巫女。
人に近い半妖である森近霖之助ですら、霧雨の旦那からの願いがなければ関わりたくなかったと初対面で吐き捨てた程、咲夜は闇に穢れていた。
とはいえ、そんな霖之助だって今となっては持ち込まれた素材から作成した武器の提供という形で精力的に助けになってくれているのだから、世の中は分からない。

「行きたくないわ」

そして、咲夜にとって分からないと言えば、今回の相手。
正直に嫌がりながら、彼女は足元の小石を蹴飛ばす。思ったより転がったそれは、離れた溝板にまで転がり高い音を立てた。

ふと見回せば人通りも少なくなった、ここらは人里の端。
あばら家のような賭博場や遊女屋等、ごろつきがよく彷徨くところだ。棄てられたゴミも多く空気も悪ければ、塀の向こうからずっと妖怪達がはみだしものを狙ってすら居る。

「こんな所を好むなんて、まともじゃない」

それは、博麗咲夜の本心。こんな学びもなく親愛だって遠い、倫理の最果てに居を構えている女なんて、と言わずともそこそこ純粋な少女は思うのだった。
向かう先にきっと今も書を広げて座しているのだろう彼女は霖之助が人間よりだとしたら、それより少し妖怪に近い、半獣。

そして何より白鐸なんていう神に近い獣の血肉を半分いただいた、里の中でも特級の危険な存在。
ここ幻想の歴史をもよく識る彼女の名は、上白沢慧音と言った。

ノックの回数は特に決めず、とにかく強かにゴンゴンと叩く。
だがそれが幼少からのこの相手への合図であれば、何の問題も起きやしない。
最初はやくざ者でも押しかけてきたのかと思ったよとそのノックの感想を述べた慧音は、しかし慌てず騒がず歓迎のために視線を上げる。

「おや……」

瞳の横を流れるは銀に青が混じった、特異な長髪。一昨日の夜などは満月の影響を帯びて青を緑に変えた上で角を生やしていたのだろうから、まこと人間離れしている。
そんな感想を持つ咲夜は、正直に慧音が苦手だ。
しかし幼さを脱ぎ捨て瀟洒な仮面を手にするようになった彼女はそんな気持ちはお首にも出さず、入室。
凛と涼やかな声が、本の山だらけの室内に響いた。

「失礼するわ」
「咲夜か。何用だい?」

これは見事な仏頂面に、向けられるはこれも素晴らしいアルカイックスマイル。
二人の機嫌は最初から全く逆であり、そしてだからこそ慧音にとっては余計におかしかった。
この巫女だって所詮、子供からはみ出してるだけの大人足らず。長生きしすぎた半獣にとって、こうまで親愛に怖じる手合は可哀想であり、愛らしくもあった。

つっけんどんな様子で、咲夜はこう言い張る。

「当然、貴女の監視に」
「なるほど。つまり私のもとに遊びに来てくれたというわけだな」
「っ……」

意に沿わぬ解釈に苦い顔をする、少女。咲夜の今の視線は、それこそ魍魎が裸足で逃げ出す程の険を含んで尖っている。
だが、やっぱり慧音にとってはそれだって毛を逆立てた猫と変わらず、愛おしいもの。
読書はしばらく中断だと立ち上がり、何やら珍妙な中華風な家風の帽子を頭に載せてから動き出す。
慧音は立ち尽くす咲夜に優しくこう言った。

「ちょっと待ってくれ。美味しい甘味が台所にあったはず……しばしそこらでくつろいでおいてくれよ」
「な……」

そして、咲夜は絶句。
見渡す限り積まれた、本、書、巻物。この光景のどこにくつろげるような場所があるのだろう。
もとより綺麗好きな気のある彼女にとってこの散らかりぶりは論外である。
結局何やら台所でごそごそしている家主を放って、仕方無しに周囲を整え出す。

そして、ざっと綺麗になったところで慧音が持ち出してきたのは、ういろうのような羊羹のようなよく分からないものだった。
見渡し、机に菓子を置けるに十分なスペースすら確保されているのに、彼女は驚く。神妙にも、こう呟いた。

「おお。あっという間にこれだけ片付けたのか。流石咲夜だな……女中としてもやっていけそうだ」
「そんなことないわ。私は結局巫女なだけ」

褒められて、反発。まさに反抗期の子のようで、だからこそ愛らしい。
私にこんな良い相手が出来るとは思わなかったな、と整えられた座布団にて慧音は、しかし頭を振った。

「私はそうは、思わないがな……ほら、お食べ」
「……そう? ん」

半信半疑のまま口にした菓子らしきものは、一言にまとめるならば、素朴。
多少甘いが、喉越しに障るざらつきがあり、とはいえ腹には溜まりそうだ。
まるで大して良くないものから必死になって良いものを集めた結果、こうなったというようなそんな風。
何となく、きっとこの《《先生》》にあげるために作った誰かの真心は感じられた。

「まあまあね」
「ふふ……そうか」

しかし心のみで下等が上等に至るのは無理だ。
けれども認めては良いだろうと頷く少女に、微笑む半分獣。

「それで……貴女が貧民区の先生になったのも、なれると思ったから?」
「それは……ううん。違うなあ」

そして痛い所を突かれた彼女の微笑みは苦笑に変わり、しかし自嘲にまでは至らない。
人に手を貸しながら妖怪を嫌わず共存をすら模索するという中庸。まこと、変わっている。

「私は、なれそうになくても、目指しただろう」
「なら、私は仮に他になれたところで変わらない」
「そうか。それも……ありなのだろうな」

頷く、妖怪にして人間の賢者。面には、納得と許容が浮かんでいて、また未来を望んでもいた。

近すぎず、それでも安心できる。そんな様を見つめる咲夜はこれは、並大抵とは違うと感じる。
それこそ妖怪ハンター、要は妖怪殺しを好んで行うキラーを前にして、真っ先に握手を求めた妖怪は彼女一人。
歓迎と理解こそが入口。人様の前にてそうほざく妖怪を、咲夜は今だに嫌いきれない。

ここで改めて、慧音は問う。
青と赤の瞳がまっすぐ並んで、互いを探るように動く。

「君はまだ、私を危険視するのかい?」
「ええ。貴女がもし人を敵視するようになってしまったら、或いはそれを隠していたなら……どうしようもないもの」
「そうか……なるほど咲夜は私の能力に察するところがあるのかな?」
「ええ。貴女の自己申告であるところの【歴史を食べる程度の能力】……本当にそれだけなのかしら?」
「私も咲夜の能力が《《距離を失くす程度の能力》》とは信じられない気もするが……まあ、そうだね」

記憶にあるのは、モノ等の歴史を|食べて《隠して》しまえるんだとふんぞり返る、小さめ美人。
続いて咲夜が目にしたのは慧音が、ものを隠すのに便利だよと能力を実演した、姿。
しかし泰然としたそこに更なる奥行きを覚えたのは、自分もとてつもないものを隠しているからか。

しばらくの見つめ合い。
その後、仕方ないとでも言うかのように笑って神獣の半身は本当のことを話す。
それは、咲夜にとって酷く、驚くべき事実であった。

「君には教えておこう。満月の夜の私は【歴史を創る程度の能力】を持っている」
「っ! それは……」
「ああ。解釈や嘘で誤魔化すことも出来るし他の知っている人間にだって隠してはいるが……文字通り、私は歴史を創り変えることすら出来るんだ」
「そう……貴女はそんなにどうしようもなかったの」
「これでも半分は白鐸だからね」

何故かまたふんぞり返るようにした慧音に、咲夜は二の句を告げれない。
これはもう、悪さされたらどうしようもなく、そもそも悪さされたところで気付けないようなレベルのものだ。

ならば今。人の範疇である今に刃を突き立てさえしてしまえばもしもの恐れは消えるはず、なのだが。

「そうね。なら私も貴女には【時間を操る程度の能力があると】教えるわ」
「それは……うん。そうなんだね」

しかしもしもはなければ、この世は運命的に綴じられた小節の連続で出来ている。
そしてこのヒトはそれを紡ぐ理性的な歴史そのもので。

情が、刃を鈍らせることなんてままあること。そして血塗れだって、もうこれ以上汚れたくはなくて。
ふと、巫女として真剣すぎた面持ちを、外に逃がして咲夜は喋った。

「……信じるわ」
「どうして?」

短い言葉に、むしろ疑問が返る。
慧音は、この妖怪の断頭台地味た存在に処断される覚悟だってしていた。
正直は美徳なばかりでなく、むしろ愚かしい。そういう思いだってあるけれども、しかし寄り添うためにはと思って語った真実。

それがこうも綺麗な実をつけるとは思わなかったが、とはいえ咲夜は今日一番に穏やかな顔をして。

「貴女も私もどうしようもないから、かしらね」

そう、認められないものを認めたのだった。

「ふふ……そうか」

こんな歴史を、彼女は果たして識ってのことか。
賢者はしかし愚者のごとくに優しさのみを持って笑むのだった。


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