第二話 怪獣みたい

朝茶子 うつくしさ極振りのアイドル生活

これは、美という概念すらを換えてしまったあのホンモノの身近で彼女を慕っていた、一人の人間の本音。
十を超えた取材交渉により彼が得ることができた、一欠片。しかし晒されることすらなかった一つ。

「はぁ……」

久方ぶりに、雑誌記者皆賀片尾(みながかたお)はあの日の取材を振り返った。

美しさは誤差である。そう、佐々木夕月(ゆうづき)は考えていたそうだ。
幼い頃からサテンのドレスの裾を掴みながら、社交の合間に美しく着飾った醜いものをよくよく見てきた少女にとって、美とは表層に過ぎない。
人の芯はそこにはないのに愛をさらっていくその薄っぺらは、むしろ彼女の白藍色の瞳には邪魔にすら映っていた。

父は不憫である。母が努めた美麗を底なしと勘違いして結ばれてしまったのだから。
母も不憫である。父が勤めた大金を底なしと勘違いして結ばれてしまったのだから。
両方とも、ミリが計る単位に丁度いい、その程度の浅薄だと言うのに。
そして、当然のように愛情だって無限ではなかった。だから、尽きた二人が別れてしまったのも、至極当たり前のことだったのだろう。
そんなこんなをトラウマにして、だから少女は一時期自分の面構えすらも忌んでいた。しかし、夕月は何時か本物を知る。

「ワタシはきっと、上等なのでしょう」

夕月は可憐な少女だ。幼い頃の贅の渦中から抜け出し祖父母の親愛に囲まれるようになり、その溺れるようなスキンシップから離れて一人暮らしになった今も変わらず彼女の表面レイヤは愛らしい。
自分が美しいなんてそんなこと、言われ飽きるずっと前から知っている。神が望んだその造作に、手抜かりなんてどこにもなかったというのに。
けれども、彼女は違うと頭を振るのだった。

「でも、それでも朝茶子様には遠く及びません」

そっと、夕月は空を見上げる。曇りに塗れて天は暗澹。果たしてその向こうに輝きなんてあるのだろうか。目を開けるばかりの余人には理解できない、絵空の彼方。
感覚器の拡張なしには覗けもしない遥か遠くに、陽光よりも巨大な炎塊は確かに存在していた。
それを近くに見てしまった少女は幸か不幸か。想起した眩さに、少女は目を瞑る。そう、夕月は高き天井にて、天蓋を知ったのだ。

「造り、ではありません。そもそもの質が違う」

それは、位階違いのカオリナイト。純度も白の意味すら異なる、何か。
夕月の輝きは惹き付ける灯。朝茶子の光は利己をも消し飛ばす日。そんなものを、直(・)に見てしまった幼さはどうなったのか。

「なんでワタシはこんなに醜いのだろうと、死にたく、なりました」

相手が気に入らないバケモノなら良かった。しかし、彼女は愛されるための存在。ミューズですら汚らわしい無垢。とても、叶(敵)うものではない。
それはそうだろう、何しろ相手は活き(生き)モノでないのだから。生物というよりも血が流れているばかりの静物。愛玩されるための白磁。完成している(終わっている)ものだった。
動物の斑は生命活動故。いかに生物の中で整っていようとも、そんな代物と並び立ちはしない。
だが、奇跡的ですら生ぬるい、ひたすらに幽玄でしかない朝茶子は、その中身も生まれたままで終わっていた。変わらずの、白い汚れ知らず。
だから、生きた人間に感動を残すだけでなく、当人は奇矯な音色を響かせるのだ。
その時のことを思い出し、胸元を押さえながら、朝焼けと似て非なるものを持つ夕月は語るのだった。

「けれども、朝茶子様は言ってくださったのです。少しくらい汚れていないと生きていられないよ、と」

磁器と見紛うばかりの至極美しき、白骨屍体。かちかちと、おばけの少女はそんなことを言ったそうだ。

「ワタシには、このお言葉の意味がよく分かります」

絹に皺が付くくらいに強く、少女は言葉の綾に、感じ入る。程度の差が甚だしくないからこそ、夕月は朝茶子の意図と美しさを理解できた。
そう、泥を潤滑油とするこの世にて、それ一つまとえない綺麗でしかない裸の彼女はどれほど。

「死にたいくらいに恐れ入るワタシよりも、朝茶子さまはよっぽど生きるのが痛かったのですよ」

それこそ、何もかもを殺してしまいたくなるくらいには。言の葉の合間に、生き物として生まれなかったただの綺麗なお終いに対しての敬意と憐れみに、窮屈な笑顔が花のように咲いた。

「言ってたなあ、そんなこと」

あの日の訳知り顔に語った少女の言葉なんて、片尾にはとても理解できるものではなかった。
だが。

「痛かった、ってのはマジだったかもな」

記憶からその言葉ばかりを拾い、中年男性はどうしようもなかった彼女を思う。そして。

「まあ、終わったことだ」

そんなすべてをなかったことにして、ぱたりと記憶の扉を閉ざす。

「おとーさん!」
「よ、軽いなあお前」
「わー! おとーさんすごい力。怪獣みたい!」
「がおー、ってか? あはは……は」

だがその日は子らと戯れながら、片尾はどうにも、忘れたはずの煙の味が恋しくてたまらなかった。


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