ルート1 熾火の恋人 火膳ふよう④

原作版・皆に攻略される百合さんのお話

たとえ二人の心に隙間がなかろうが、物理的な距離が大いに空いているとその関係に影響する場合があった。
人は、基本的には触れ合い擦れ合いに心温めるものであって、それを失すると仄かな程度の愛では心燃し続けるのは存外難しい。
世の恋愛ごとが遠距離に負けることだってあるのは、大凡そんなためであるだろう。
勿論、ふようのものは燃え盛る熱情である。焦がれ焼き付き、求め愛する飢えた心だ。
だが、そんなものであるからこそ、彼女は百合と一緒に居られない時間が怖かった。

何しろ、日田百合は、あの弱々しい魂はもう直ぐに命を終えるのだという話である。
柔らかさの印象ばかりで誰彼に傷跡一つ遺さないまま、終わってしまう。そんなのは、ふようにとって嫌だった。
そして、末期の先を望むのなんて今を生きる者には不可能であるからには、限りある日々を共にしたいと思うのは自然なこと。
だからその日、彼女は大荷物を持って日田邸に訪れたのだろう。
ぽかんと見つめる二人の視線を前に、彼女は柔らかく微笑んで挨拶を交わす。

「こんにちは」
「こんにちは、ふようさん! いらっしゃい!」
「ん……失礼するね」

いらっしゃいをしてくれるなら遠慮は要らず。
らしくもなくそんな図々しさを発揮して、一歩進んでふようは大きなキャリーバックにリュックを日田の家の中に持ち込んでいく。
ごろごろ音を立てながら搬入される荷物に白い目を向けながら、妹、アヤメはこう零した。

「火膳さん……どうして貴女は今日そんな大荷物で家にやって来たのです?」
「……今日から私は百合の家で過ごすことにしたから」
「はぁ?」

そして、返答に二人(と幽霊)暮らしを満喫していた日田アヤメは大きな瞳をぱちくり。
突如として三人(と幽霊)暮らしとなりそうな強引な流れを覚え、恐らくは片棒を担いでいるだろうニコニコの百合の細い肩に両手を置いて、問いただすのだった。

「お姉ちゃん、この人こんなことを言ってるけど……私の許可もなく何時オッケーしちゃったの?」
「んー? あたしは聞いてなかったな……ふようさん、どうしてふようさんはあたし達の家にお泊まりしたくなったの?」
「それは……」

これまで無理矢理を続けていたふようの動きが、ここにてはじめて止まる。
それは勿論、百合の死が恐ろしいから。でもそんな本音、恐らく近づいてきた終わりを聞いていないだろう妹さんの前にて口に出すことは出来ない。
だから、次善の言葉をふようは口にするのだった。

「愛し合う者同士が一つ屋根の下に住むのは当然だから」

胸を張り、ふようは言い張る。さも、それが当然のように。
真面目少女のどうだと言わんばかりの満足げな表情に、一時場が止まった。

「え?」

アヤメは考える。この場に居るのはたった三名。
その中で、自分とふようは愛し合うどころか関係性希薄で、そして姉妹として愛し合っているだろう百合と自分のことを今更口に出すことなんて野暮というかないだろう。
ならば、残った百合とふようが、ということだろうか。
そんなことはあって欲しくもないけれど、と恐る恐るアヤメは百合に訊ねる。

「……お姉ちゃん、これはどういうこと?」
「あはは……ごめんね、アヤメに言ってなかったよ」

そうして、大好きなお姉ちゃんは仕方がないなあと優しく笑う。
ああ、これはどうしたことかと思うアヤメに、百合はあっけらかんと言うのだった。

「実はあたしたち、付き合ってるんだ!」

それは、アヤメが何より恐れていた事態。自分以外が関係に割って入るなんて、そんなこと。
でも、この幸の薄い姉が幸せになるのはとても喜ばしいこと。
しかし、それでも隣が自分でないのはやはり認めがたくって、そして何より大ショックで。
どうすればいいかも分からなくなった少女はあわあわと心ごと慌てさせて、その結果。

「きゅう……」

お姉ちゃんと新しいお姉ちゃんの優しい視線を受けながら、あまりの事態にアヤメは気絶を選んだのだった。

 

しかし、はじめの過分な驚きに反して、実のところアヤメとふようの相性は非常に良く、以降なあなあではじまった同居生活においても殊更問題が起きることはなかった。
その堂々いちゃつくこともなければ、隠れて性愛に励むこともない様子。
なんだか清い関係だなあと、これならいいかと妹的にも認めざるを得ない。
むしろ、一緒してみると大凡しっかりしているふようのことをアヤメが実の姉を差し置いて頼りにすることも多々。
この日も、シャープペンシルを手に不明に口を尖らせていた彼女はおもむろに立ち上がり、読書をしていた学校内でも秀才で知られたもう一人のお姉ちゃんに正解を聞いてみるのだった。

「ふようさん……ここ、分かります?」
「ん、大丈夫。去年勉強した内容なら、大方忘れていない」
「助かります……姉さんは、どうにもうっかりが多いので、あまり信用にならなくて……」
「なんだってー!」

線が引かれた問題を、問題ないと頷くふよう。
頼りにならない姉より、真面目な他人。それは正しいのかもしれないが、信用にならないとは姉的に聞き捨てならない台詞だ。
これには、ソファーでごろごろしながらテレビを観ていた百合もかんかん。
あたしも宿題を早めにやる真面目さんなのに、と文句を言うのだった。

「むぅー、あたしそんなにボケボケじゃないのに、アヤメ酷い!」
『でも、実際百合ちゃんの答案見ると完全なバツより減点の三角の方が多いよねー』
「……確かに百合は頭悪くないけれど、そういうところがある」
「もう、みんな酷いっ!」

まさか、90点だよ見てー、とした際の三角形の数を幽霊の紫陽花に覚えられていたとは、彼女も計算外。
その証言を認めるとこれでは皆の言の方が正しいばかりで自分がお間抜けさんというばかりだ。
でも、そんなの百合は認めたくない。ぷりぷりと怒りながら、彼女はお菓子入れからお気に入りのミルクキャンディを口にころり。
頬を膨らませながら、飴を口内で遊ばせるのだった。可愛らしい、これが少女なりのやけ食いである。

「ふんっ」
「もう、姉さん……」
「……ふふ」
『あはは』

飴をかみ砕くことすらなく機嫌の悪さを彼女なりに表そうとしている、そんな百合の珍しいところを見て、微笑む三人。小さな怒りの周りで笑顔の花ばかりが咲く。

その後、心地よい沈黙が合間に流れた。
テレビの音声、ペンの音。椅子の軋みですらも安心の元では聞こえの良いものにしかならない。自然、百合の機嫌も元通りになる。
友達以上、家族未満であれども一人への大切を基に絆結ばれた少女達は、それなり以上に幸せ。
間隙すら心地の良い時間でしかない、そんな時。

「ん」

ふようの携帯電話が震えた。つい時計を見てそんな時間かと彼女は思い、表示された登録名を覗く。すると、それは予想通りお父さん、というもの。
立ち上がり皆の前で、ふようは言った。

「……今日もお父さんから電話来た。いつも通り」
「ふようさんのお父さん、すっごくふようさんのこと大好きだよねー。何時も八時きっかりに電話くれるもの」
「……そう、かもね。それじゃ電話してくる」
「うん!」

ふようは百合のばいばいとアヤメと紫陽花の生暖かい視線を受けながら、自分のために宛がわれた部屋までのそのそ。
廊下にさし当たり、通話をオンにして愛により心配性になってしまったお父さんと話をはじめるのだった。

「ん。お父さん。こんばんは」
『よう、ふよう。元気してるか?』
「元気」
『ったく、こんな熱のねぇ元気ってのも中々信じられるもんじゃないが……ま、大丈夫そうだな』
「それはもう。お父さんこそ、大丈夫?」
『んなのこうして電話してる時点で決まってんだろ。よゆーだ、よゆー』
「良かった」

深々と薄い携帯電話に向けて頷くふよう。
愛する人の側に居て問題などそうそうあるはずもなく、むしろ、父親を一人の家に置いておくことこそがふようにとっては心配だった。実際、太り過ぎな彼の体調は不安である。
だが、情の使い方を思い出したばかりとはいえ大人でもある有樹が一人に不便することなど少ない。
ただ、愛娘であると思い知ってからこの方、思考がふように割かれがちである彼は、定期連絡をしたがった。
娘が同居生活をはじめてからこの方、大体毎日30分間の通話を晩酌前に行うのが彼の習慣になっている。

『おい、ふよう。そういえばお前、金は大丈夫か? 通帳見たら全然減ってねえから、逆に気になったわ。まさか、ガキん家に金出させてるってことはねぇよな』
「それも大丈夫。……お父さんはこれまで気にしてなかったかもしれないけれど、私は吝嗇家に近い。最低限にしか金銭は使わないタイプ。後、百合はガキじゃない」
『って言ってもお前……服とかはどうしてんだ? それと百合か? あんなちび助、オレ的にゃガキさ』
「服も最近一着買ったから大丈夫。私は月一で買うタイプ。それと、今度百合をガキとかちびとか次に言ったら私はしばらく電話に出なくなるよ」
『分かった。……そしてすまん。どうにも、百合ってのはその、苦手なタイプでな……』
「ん。そうなんだ」

心の支えになりつつある娘の電話応答を人質に出されて、父親はタジタジになって本音をぽろり。そして、それにふようは納得を覚えるのだった。
ふようは、父有樹が百合とはじめて会ったその日を思い出す。お父さんだよ、と喫茶店で紹介したところ途端に、これはあたしが娘さんを下さいって言っておじさんが娘はやらんって怒る流れなのかな、と首を傾げた百合のおかしさも引っくるめて微笑みながら。

「ふふ……百合は、ちょっと変わってるからね」
『変わってるどころじゃないだろアレは……どんな幸運に恵まれたら、あんな無知が笑ってられるんだ……お前もあいつが悪ぃのに壊されちまわないようよく見ておけよ。まあ……言われるまでもないだろうがな』
「うん」

娘の納得の頷きに、父は口をへの字に曲げる。
苦手。しかしだからと言って単にそれを嫌いとはならないのが、情の複雑なところ。むしろ慣れない心配までして、男は娘の恋人の平穏無事を思っていた。
有樹が、短い邂逅の合間に感じられたことは、一つ。それが異様な程の無垢であるということ。
百合はたとえぶっきらぼうなおじさんに対してだって、笑顔を絶やさずにその一挙一動に対して真剣に当たる。有樹には、稚さすら感じ取れる少女にそんな真心を初対面にて配られたのが、どうにも理解しがたいことだったようだ。
バカでもなければ人は笑顔の裏に相手をどう陥れようと考えを操っているというのが、有樹という男にとっての常識。その考え方からすれば、百合は当たり前から外れたバカである。そしてまた無闇に快いバカでもあったのだ。
一緒したらむず痒くなりそうだからあまり関わりたくもないが、しかし嫌いでない希少生物を保護してやりたくなってしまうのは、大人を自覚している男にとって当たり前。
娘に余計なことを言ってしまうくらいには、百合という少女を彼は買っていた。

「これからもずっと、百合とはなるべく一緒には居るつもり」
『まあ、家を出た理由がそれっていうのは分かってるが……本当に、百合は身体悪いのか? オレには一度じゃ判らなかったが……』
「ん……百合も、そこそこ上手に化粧と慣れで隠してるからね。でも、もう大分ボロが出てる。アヤメ……妹さんからは姉の体調不安の相談を受けているし、百合も私に検査の数値を私に見せてくれた」
『……どうだった?』
「お父さんの精密検査の項目が散らばっていた健康診断結果なんて、むしろ健康極まりないものだね。数値が、その……必要な量がどこも足りずに、肝臓とかの一部の数値が高すぎて……」
『比べりゃ肝硬変に近い脂肪肝って言われたオレですら健康ってのも、こぇえ話だな……改めて聞くがそれ、治んねえんだよな?』
「うん……医者の先生には移植とか聞いてみたけど、たとえ全身を取り替えたところで同じだって」
『ああ? そりゃおかしいだろ。流石に、良いのと悪いの全部取っ替えたら……そうだな馴染まなくて健康とならなくても、ダメにはならんと思うが』
「そう、普通は思うよね。でも、百合の場合は違った。あの子は、臓器の一つも特別すぎて何一つ他の人間と同じものがないんだ。だから、全身取り替えたところで、百合という生き物は機能しない」
『……どういうこった?』

頭でっかちと、頭でしかものを考えてこなかった、ある種似たような親子は一人に付いて悩み合う。有樹は先からふようの声が一切揺れていないのが、むしろ気がかりだった。
大好きのその生命に届かねない悪いところを語っているというよりも、むしろ何か自慢をしているようですらあり、そんな全てが父を不安にさせる。
時計の針にはまだまだ刻限とした三十分には余裕があり、しかしどうにも男の心には余裕が失われているようだった。
久しぶりに足を揺らしだした父を知らず、ふようは結論を語るのだった。百合という少女の存在を結論付けるに足る、そんな情報を当たり前のように恋する少女は綴るのだ。

「百合の臓器は理想的な形と、働きをしてるらしいんだ……それこそ、この世に適さないくらいに」
『意味分かんねぇな……理想的ってんなら動きゃそう悪くなんねえ筈だろ?』
「そう、思うよね。でもね、あの子の身体は臓器まで理想を求めていて無垢で悪性知らずなんだよ。濾過機能が殆どなく、毒すら拒絶しないで取り込んじゃう。それこそ、大気の僅かな歪すら百合の肺腑を傷つけて、食べるもの飲むものすら拙いのにそれと感じず無理に補給できてしまい、その結果身体を常に痛めさせる」
『それは……地獄というか、なんてっか……いや、むしろ』

言いにくそうに、しかし怜悧に有樹は思う。
それこそ、自分だってこれまで生きにくい世の中だと思っていた。しかしそれでも生きてきて、最近ようやくこれから娘のためにも頑張り続けるために健康を意識するくらいには変われた。何せ、ちょっと努力すれば生きるのっていうのはそれに最適化された身体ならば楽だから。
だが、百合は明らかに違う。それこそ、ここが場違いであるかのように、存在からしてちぐはぐで、生きることにすら難儀していても愛を信じていて。
ああ、そんな存在、何というのだったか。頭悩ませる有樹に、酷く優しく誇らしそうにすらして、最愛の娘は。

「うん。まるで百合は本当なら、天国の生き物だったみたい」

何かを諦めて、そう通話口前にて呟くのだった。


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