番外話① マーガレット・モア

救えない魔法少女

マーガレット・モアはイギリス、コッツウォルズの田舎町に生まれた少女である。
湖水地方の丘陵地帯。旧さに止まった村々にて、庭にしばしば現れるウサギやハリネズミを見つける度に笑顔で追い回していた、そんな自然に馴染んだ箱入り娘。
大好きな父が撫でるに屈まないといけない自らの背の小さいところを厭っていたくらいで、大凡綺麗な丸をつけられる日々を彼女は送っていた。

『マーガレットは、毎日幸せそうで良いね』
『ええ! お父様にもわたくしの幸せを分けて差し上げたいくらいだわ!』
『ああ……それは本当に、良かった』

年離れた父は、少女の短い癖毛を撫でることすら遠慮がち。
失った妻を影に想っては、こぼれたミルクを嘆いても仕方ないと思い直してばかりの日々にて救いは愛しき我が子の幸せばかり。
だから、父トーマスは少女の花丸笑顔を数えることで、あいつのない日々にも価値があったのだと安堵する。

『こほ』
『おや、咳かい?』
『いいえ……ただ、少しだけわたくしが呼気を失敗しただけでしょう』
『なら、いいけれどね……さ、風も冷たくなってきたし早くお家に入ろう』
『ええ』

風にうごめく雲の流れを忌々しく見つめながら、父は娘をマントにて少女を刺しかねないありとあらゆるものから隠す。
真、彼にとって世間は悪しきばかりであり、我が子の障りになってはいけないと思っていたから。
これまで薔薇の棘一つ一つを手折るくらいに大事に大事にと、マーガレットはトーマスの保護を受けていた。
だが、命とはあくまで燃えるもので外界との完全な遮断は不可能で、また危険とは外から発生するものばかりではない。

『……わたくしは、生まれてはいけなかったのでしょうか?』
『マーガレット……!』

この世に理想郷などどこにもないのであれば永遠などあり得ず、ましてやそもそも根本に黒点があれば花が開くことに難が出てしまうのも自然。
鏡写しとはこのことかと、トーマスは苛立たしく額を掻く。これまで以上に籠の鳥となったマーガレットは、生まれてから遺伝を恐れ頻度も高く受けてきた検査によって母と同じ病を案の定得たと知って深い悲しみを覚えた。

白血病。それを患い戦うのは大人でも明らかに苦。
抗がん剤治療は悪くすれば、がん細胞だけでなく正常細胞にも強い影響を与え、副作用による恒常的な痛みや嘔気は身もだえを続けたところで治まらない。
そして、頑張り続けたところで治ることのないことを悟ってしまえばマーガレットの母ジェーン・モアのように花のうちにと自死を選んでしまうことすらあるだろう。

『わたくしは無理に生きることを望みません』
『そう、か』

そして、先達の彼女の絶望を倣いに、モア一家は早々に闘病を諦める。
|ミルク《希望》は既にこぼれている。なら、覆水盆に返らずという同義のことわざを知らずとも、もうあいつの居ない世界で残る最後の希望一つも傷んでいたとしたらどうしようもないとトーマスは思えてしまった。

『この世に幸せを。みなさまにも、幸せにも幸せを……』

とはいえ勿論、命そのものに意味の必要は必ずしもなければ、絶望の中の命に価値がない筈もない。
もっとも成人安楽死法案が話題になっていた最中のイギリス。少女のための|ホスピス《終末病棟》だって、探せば見当たるものだ。
マーガレットは、病棟に併設された神の家にて毎日のように神を信じておらずともこの世のありとあらゆるものに対して幸せを望む。

栗色の癖毛は伸びが悪いのが彼女には不満だが、それでも伏した横顔から憂いを隠せるくらいに長じたそれに感謝をする。
組み合わせる手を同じくして、もう涙はいらない。マーガレット・モアという少女は短くも幸せな生を送っていたのだと本人も理解をしている。
ならば、ピリオドがもう少しで付きそうな今に、これ以上を望むことはなかった。

『あらあら』

わたくしは、この上なく幸せだったから。だから永遠でなくてもわたくしよりも長くて意味ある命を送ることの出来る全てに幸よあれ。
病と戦い命に縋り付くこともない子供のそんな妄想は、しかし通りすがりの誰かの耳のとまる。

その女性は自分が老婆と採れる見目と実年齢であることを重々理解していたが、それでも感覚器官の衰えの遅さには自負があった。
とはいえ、全体は健全とはまったく言うことも出来ず、むしろその内に巣食う病魔が彼女をいずれ犯して殺すのだと知り、焦ってもいて。

『幸せね……』

だから、生を諦めた他所の国の人間を一人や二人金で摘み、噂の魔法少女という自然発生した《《拡張型人間》》の亜種だろう存在を利用する前の実験台にしようと訪れた大学病院外れの教会にて、それと出会ったことを面白がる。
日の本の六大グループ企業の一つである上水会の理事長である上水愛のよく利く茶褐色の瞳には、目を閉じ他幸ばかりを願う縮れ髪の物知らずが映っていた。

『貴女は、私に対してもそう言える?』

目を閉じて願いを続ける純粋無垢に萎れた悪の華は、柔らかに問う。
勿論、愛にとってそれは名も知らぬ少女を安全マージンとするかどうかの試金石のための発言でもある。
だが、またそれは芯からの疑問でもあったのだ。

魔女。ただ、人がやれる手段を駆使したばかりの手弱女に対してそんな文句を投げつける周囲を嘲笑うのが愛の人生。
勿論成功体験ばかりではないが、しかし上り詰めてしまった彼女にとっては数多の犠牲も良い思い出でしかない。
つまり彼女は未だに倫理観という枷が行方知らずの老婆。明確な悪である。

『魔女は、ただ焼かれるべきではなかった?』

それでも、人であるからにはふと思うことがあった。
私は私であって良かったのだろうか、と。
句点で断言出来る明白さこそ自分のウリであると識っている愛のそれは気の迷いであり、当然自覚もあった。
でも、時に人体実験を開始する前にはじめて命を奪った忘れたはずのマウスの亡骸が、耳元で呟くのである。

お前が死ぬべきだった、と。

ふと気を取り直し、愛は首を振った。

『ごめんなさいね。唐突に変なことを口にしてしまって……忘れてちょうだ……』
『いいえ。忘れません。そして、わたくしは貴女に対しても言い張ります』

だが、目を閉じたまま小娘は愛の愚言妄言に対して狂信を持って返す。
マーガレット・モアという少女は殆ど何も知らない。善も悪も、正義もそれ以外の正義も何もかも。
数多のイデオロギーに対してだってそっぽを向いて、でもそれ一つにだけ縋り付いて、多くにそれが沢山あってくれればいいのにと、願ってしまう。

でも、そんなの仕方ないことなのだ。
少女が初めて見た母の言葉、遺書に書かれた万感を込めた締めの文句が。

『幸せに、なって』

そんなものであって、それこそが何より美しい母の結晶だと信じてしまえば、少女にとって一つ星にさえなる。

『あら……』

どうしても理解ってしまう壊れた本音を前にして、珍しくも上水愛は瞠目した。

愛を知り、それだけで胸いっぱいに幸せ。そんな淋しい乙女は、小さなラブを持って世界に世界中に同化して欲しいと欲張りすぎている。
しかし、これが持つそれは真っ直ぐでカリスマ性をすら帯びているようだ。

『良かった』

なるほど、使える。そう理解した老婆は指先のサイン一つで部下を動かし、籠の鳥に無遠慮にその手を伸ばして。

『なら、私は私の幸せのために、貴女が壊れてしまうまで貴女を使ってあげましょう』

黒黒とした奇跡でもなければ手の施しようもない笑みを浮かべ、そう伝えるのだが。

『それでも、いいわ』

いつの間にか目を開いていたマーガレット・モアは、そんな彼女にすら優しく指先を預けるのだった。
強く握り込み過ぎていたためにより真っ白いそれはあまりに冷たい相手に触れて。

『わたくしなんかで良いのなら』

真実の愛というそんな花言葉を信じる自殺志願者は目を閉じて、そっと暗黒に身を投げる。

 

さて、この世で二番目に上等とされたモルモットはこうして、悪の檻に入れられた。
だが、終わると信じていた命が魔法によって永らえ、また《《三人目》》としてその力の欠片を得てしまえばどうだろう。
彼女は何時しか、ただ想うだけではいられずに、何時しか意思を持って離した手のひらを真の意味で誰かのために使うようになっていた。

「ふむ……これはわたくし。これは、シー等に任せてしまっても良さそうね」

晴天極まりない本日も新島ユートピアの女王として、マーガレット・モアは慣れない日本語の様々な要請に対応するために、右往左往。

柔らかさはそのまま、彼女は報われない魔法少女達のためになろうと、それこそ必死だ。
悪意のために最愛の友と別れて、見せしめのためと父をバラバラにされたとしても決して破らなかった檻から、《《ありとあらゆるものの幸せ》》のために這いずり出てしばらく。
マーガレットは願うことを止めて、想うことすら稀になってもいつの間にか目指すようになった多くの幸せのための最善に向けて動く。

「桜」
「はい」
「貴女はこれを持ってシーの下へ」
「畏まりました」

メイドを顎で使う。それに立場として違和感が発生することはない。
だが、ずっとボロ雑巾以下の扱いをされていた経験のある女王には、一つ一つのマネごとがストレスだ。
開かれた扉から文字通り飛び立っていく、コスプレ好きな片腕を尻目に、マーガレットはこう溢さざるを得なかった。

「毎日、アイツのマネごととは反吐がでてしまうわね……」

生き物でなくても変化があるなら、人の心なんて幾ら裏返ってしまっても仕方ない。
ましてや、命の恩人の奇跡を病気とした上その発生原因とまで陥れて、あまつさえ一人彼女の魔法を享受出来るようその周りのすべてを操作したことを、私の命を永遠にするためと曰った悍ましき自愛を前にした経験があればそれは尚更に。
高名で人格者な海山教授の心をたっぷり汚し、大好きなゆきの前では《《井口》》と名乗っていたあの魔女。

マーガレットは火あぶりにされるべきでしかなかった、ユートピア最大の障害である上水愛を想起して、聖母の如くと喩えられる湛え続ける穏やかな笑みを怒りに歪める。

そして。

「本当、あの時、アイツの首を刎ねて殺しておけばよかった」

断言。
友を体の良い国民のストレス発散の的のままにさせ続けている己の業を忘れ、正義の前に、悪の抹消方法を考え続けるのだった。
一転黒黒としたものを顕にするそれは、まるで過日に認めたあの悪の大物の物真似じみていて。

『マーガレットは、井口の婆ちゃんの孫みたいだ!』
「ちっ……」

おもむろに鏡を見れば、そんな何より大切な少女、ゆきの勘違いから来る言葉をいちいち思い起こさせるから、不快だった。
でも。

 

『なら、マーガレットも幸せにならないとな』

優しい思い出。それも、マーガレットの花言葉の一つ。

「はぁ……」

一人生き残ってしまったから、ハリネズミのようになってしまった心を胸に、ハートの女王は今日も月うさぎを追いかけ続けるのだった。


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